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私の大切にしたいこと、その価値観の原点は?

以前、ayaさんの「私の最高の価値観と強みを知るための無料ワークセッション」を受けて、以下の記事を投稿しました。

ayaさんのセッションを受けていた時に、私がすっかり忘れていた父母との思い出がよみがえってきました。

なぜ今私が大切にしたいことは「家族」なのか、その原点を振り返ることが出来ました。

今日は、セッション中に思い出したこと、それがどのように私の価値観に繋がっていたのかを書いてみようと思います。

また、ayaさんからモニターセッションのまとめが送られてきたことを元に、私の価値観についてもまとめようと思います。

ayaさんも言っていましたが、「大人になってからの学びや経験で身についたものも「強み」」です。
と共に、幼い時に経験したことも、私の価値観に繋がっていることも感じることが出来ました。

ayaさんから教えてもらった私の価値観の上位は

【大切にしていること(価値観)】
1.家族が、お互いを「大事に思っている」ということを言葉で伝え合う
2.家族と、楽しみを共有する
3.健康でいる
4.自分のしたいことを全部する

私は家族が大好きで、一緒に楽しむことが一番の幸せと思っていること、だからこそ自分が健康で自分自身も生き生きとしたいことをしていくことが家族の幸せにも繋がると考えています。
そして、愛している、大好きだよ、大事に思っているよ、ということを言葉でも伝えあうことを大事にしたいと思っています。

「人生の最期」を迎える前に、家族との関係の再構築や、「家族に愛を伝えること」の大切さを伝えていきたいという行動に繋がっていることをあらためて実感できました。

ワークやセッションを通して思い出したこと

私は、両親が共働きで、小さいころからかぎっ子でした。
下の記事はnoteを始めて間もないころの記事でスキも少ないのですが貼り付けます。

父も母も教員だったため、同じ市に住む私の行事(授業参観、運動会、など)には全く参加してもらったことはありません。

教員であったこともありますが、まだその時代は、有給休暇の保障もほどんどなく、なかなか休めなかったのだと思います。

弟が生まれつき障害を持って生まれたことで特に母は人生を変えるくらいの体験をしたため、弟については授業参観にも何とか出ていましたが(なぜか覚えている私)、同じころ行われる私の授業参観には出たことはありませんでした。

そんな私は、学校から帰ると鍵を開けて家に入り、ごはんを炊く準備をしたり、買い物に行ったり、弟と両親の帰りを待つ生活でした。

母は夕食後、足の不自由だった弟の足のマッサージをしながら弟と話をする姿も記憶がありますが、私は母とゆっくりのんびり話した記憶があまりありません。

私は幼いころから「私はお母さんに愛されていない」と思っていました。

そんな私ですが、子どものころの母や父との思い出があったことをセッション前のワークで思い出したのです。

母との思い出

私は小学校4年生のころ、学校に行かない日がありました。
両親が出勤してから、私がカギをかけて学校に行くので、私が不登校をしていることは数日両親は知らずにいました。
もちろん、お休みの連絡もしませんから、学校から母の元に連絡があったようです。
「どうして学校に行かないの?」と言われましたが、「おなかが痛かったから」と言った覚えがあります。
そもそもなぜその時に学校をさぼろうと思ったのか、その時の私の気持ちの記憶はありません。
でも、追求してくる母に
「おかあさん、仕事を辞めて!」と泣きながら言ったことは覚えています。
そして母が切なそうな顔をしていたことも・・・。

少し話はそれますが、私の家は学校のそばにありました。学校で遊んで帰ることもありましたが、しなければならないことがある場合(買い物やご飯の準備、弟と過ごすなど)遊ばずに早く帰ることもありました。
そんなある日、友達が遊んでから帰るときに私の家に寄ったのです。
私は友達に「カルピス」を入れてあげました。
でも友達に「恵子ちゃんの家のカルピスはあったかいんね」と言われたのです。そう、みんな氷を入れたカルピスをお家の人に入れてもらっていたのでしょう。その言葉はこの歳になってもよく覚えています。

話は戻して、
とにかく学校をさぼっていることがばれてしまいましたから、次の日は登校しました。
ところが学校に行くと本当におなかが痛くなり、熱も出てきました。
学校から連絡があり、母が早退をして病院に連れて行くと、血液検査をして「盲腸が炎症している」ことが分かり、入院手術をすることになったのです。

手術室に運ばれている時、泣きながら私に付き添っていた母の姿を見た時に、なぜか私は「おかあさんに仕事を辞めてって言って悪かったな。辞めなくてもいいな」と思ったこと、そして泣いていた母の姿がいまだに目に浮かびます。

入院をしている間も、母はもちろん仕事ですから4年生の私は一人で過ごしていました。
でも、母からあるノートを一冊届けられて「これで交換日記をしよう」と言われたのです。
それから、私と母の交換日記が始まりました。
思っていること、学校であった嬉しいこと悲しいことを日記に書き、母と交換し合うようになり、退院してからもしばらく続けていました。

そしてその経験が、友達との「交換日記」にもつながりました。

父との思い出

父との思い出は、私の小学校の卒業式の日のことです。
同じ市で行われる卒業式なので、両親とも私の卒業式には参加はしてくれませんでした。
そのことについて寂しかったとか感じていたかと言えばそれは覚えていません。

ただ、卒業式が終わって、桜の花の下(その時の桜の木の景色を覚えています)で友達と一緒に他のお家の方々に写真を撮ってもらっていた時に、父がカメラを持って走ってきてくれたのです。
そして、友達と一緒に写真を撮ってくれました。

私はその時に号泣したのを覚えています。
お父さんが駆けつけてくれた、私のために・・・

決して忘れられない思い出です。

両親の思い出

小学校5年生ごろになると、友達から誕生会の招待状をもらい、誘われて参加するようになりました。招待状を作成するのも流行っていた記憶があります。
誕生会に行くと、その家のお母さんが、美味しそうなお菓子を用意してくれたり、冷たい飲み物を用意してくれたり、みんなでケーキを食べたり、そんな経験をしていました。

私も自分の誕生日が近づいた時に、自分で作った招待状を友達に勝手に渡してしまいました。
もちろん、両親は仕事の日です。
当日の朝、招待状を配ったこと、友達が来ることを母と父に伝えましたが、休むことなど当然できないことはわかっていましたから、私なりに、お菓子を用意したり、氷を用意して(笑)カルピスを入れたり、ゲームをしたりしながら、友達と過ごしていました。
すると、その日は母が早く帰ってきてくれて、さらに父はケーキまで買って帰ってきてくれたのです。
そして、友達と一緒の写真も撮ってくれました。
その日の写真の私は満面の笑みで家族と友達と一緒に写っています。

セッションにて

そんなワークを通して思い出した経験をayaさんにも話す中で、ayaさんから私の強みを教えてもらいました。(ayaさんのまとめの報告に加えて私が思ったことのまとめ)

【欠落感⇒行動⇒身についた強み⇒今どう助けられているか?】
両親に愛されていないと感じていた、でも、我慢ばかりではなく、自分の意思表示のために思い切った行動に出ることができる。
(学校を休んでしまうこと、母に「学校を辞めて」と言えたこと、勝手に誕生日の招待状を渡してしまうことなど)
⇒上司に対しても言うべきことは理論的に、恐れずに言うことができるようにもなった。

交換日記を通して、文章を通じて自分の気持ちを表現するのが得意になった。また、文章で相手と気持ちを通わせることができる。
⇒文章での発信が好き・得意で、いろいろな発信や活動をする際に役立っている
⇒障害を持った弟がいることで友達と遊べないときも交換日記を通して繋がることが出来ていた

障害を持った弟がいたことで
⇒年下の相手、障害などがある人の面倒を見るのが得意。
⇒保育士の仕事を選び、自分を活かしながら働いてきた。

子どものころの寂しかった経験から
⇒子どもの学校行事にはできるだけ全部参加する
⇒家族と過ごすことを大切にする
ことを大事にしてきた。


今回のワークとセッションを通して

誕生会や卒業式の経験で、母や父に愛されていたエピソードも思い出すことが出来ました。
それでも私は「大好きだよ」「大事だよ」と言ってほしかったんだということも気が付きました。

そして欠落感があったとしても、そこから身に付いた「強み」もあることも知りました。
「ストレングスファインダー」をして「強み」を活かすことも大切にしていますが、そこもさらに分析してみようと思います。

今、私の大きなテーマの一つである「終活」「家族関係の再構築」も、「生きている間に、物理的なこと(相続)・気持ちに関わることもきちんと整理し、愛しているならそれも伝え合っていい関係で終われるようにする」(ayaさん)
という点で価値観を持っていることが納得できました。

ayaさん、本当にありがとうございました。
ayaさんのこれからのご活躍も応援しています。


今私が思うこと

人は誰でも、色々な経験を積み重ねて、今を過ごしています。
過去には辛いこともあった、それがトラウマのようになることもある。
でも、そんな経験も、自分の強みになることもあり、またそれを克服することが出来ることを感じています。

過去を受け止めつつ、私達は「今」を生きています。
過去の経験が、自分の価値観を作っているとしても、それを前向きに受け止められて、より幸せになるように生きていく。

過去は変えられないと言うけれど、過去の受け止め方は変えられます。

小さいころ寂しかった私、愛されていないと思っていた私ですが、両親なりに私を愛し、大切にしてくれていた。
子どもの時にはわからなった大人の事情も社会の事情もあった。

そう思うだけで、過去の受け止め方は変えられたのです。


今私は「ポジティブ心理学」を学んでいます。
この学びは凄い!と感じています。
この学びもアウトプットしたい、しなければ、と思っています。

私の弱みは(笑)、学んだことをアウトプットすることです。
今回もなかなか記事にできず遅くなりました💦💦
頑張ります!!

長くなってしまいましたが、
今日もお付き合いいただき
ありがとうございました<m(__)m>

ハナミズキ街路樹


「書いた人】

江村恵子@夢☆相談室・ゆるふわ雑談会です。

「恵子さん」と呼んでください。

⭐つなぎびと⭐ 元保育士/
1種幼稚園教諭/終活アドバイザー/
終活ライフケアプランナー/
身上監護アドバイザー/終活ガイド上級 ☆/
心理カウンセラー彡

好きなもの・好きなこと💓/
家族、旅行、自然、家庭菜園、空、新緑、花、
読書、俳句、おしゃべり、カーブス

尊敬する人/マザーテレサ

リアルでは
「終活アドバイザー群馬サークル」
代表。


オンラインでは、元保育者として、
母として、終活ワーカーとして
「素敵に生きる人生について」について
発信をしながら、
「ゆるふわ雑談会」を開催中。


また、仲間と立ち上げた「夢☆相談室」の室長もしています。

Twitterもしています。 
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