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『一陣』第二章

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第二章


 
 「豊松、秩父の一揆のことは聞いてるかい。」
俺はその言葉で郷里の騒乱を知った。おかみさんは優しい人で、家族の安否を尋ねてやろうかと聞いてくれたが、俺はなぜか断ってしまった。たぶん、父は中心人物だ。そう直感した。豊五郎、豊五郎と皆に慕われ呼びかけられる声がこだました。俺はそんな父が誇らしかったが、年毎に上がる年貢に怒りをあらわにする父を見ていると、なぜだが胸中が騒めいたのを覚えている。次男坊の俺をここ江戸の大きな呉服屋に奉公に出したときも、「すまんなあ、よくしてもらえ、いっぱい食べろよ。」と優しく頭を撫でてくれた。この大店はかなり羽振りも良く、旦那様もおかみさんも奉公人に優しい。他よりお礼奉公も短いうちに、のれんを分けると聞いている。俺は丁稚だから自分の店を持つ事なんか夢のまた夢だけれど、それでもこの恵まれた環境に感謝していた。
 そんな穏やかな日常に湧いた暗雲の知らせだった。
 
 「庄助さん」
俺は誰かに話したくなって、もう遅い時間だったが、いつも目をかけてくれている番頭の庄助に声をかけた。本当は相談事など、手代の子供頭などにすべきだろうが、俺はなにやら不必要なまでに威張り散らす彼が苦手だったし、話などする気になれなかった。番頭の庄助など豊松が親しくできる相手ではないのだが、彼は誰にでも好かれていて、子供らにも慕われていた。
「おお、豊松、どうした。」
「俺、あの、俺、……。」
なにか訳ありだと察したのか、庄助は家へ誘ってくれた。長屋だが自分の家を持てるなんて、俺からしたら憧れだ。それに、長屋は色々な人が住んでいる。江戸の大好きな所だった。初めて来たときは人の多さに目を回した。様々な人がいる。様々な仕事をして、様々な暮らしをしている。なんて広いのだと思った。
 でも俺の世は、店の中と使い先だけだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
「で、豊松、どうした。……一揆のことか。」
「はい……おかみさんが家族のことを調べようかと言ってくれたんですけど、俺、なぜか断っちやって……わからないんです、俺、家族が心配なのに。」
「豊松。そりゃ怖いからだ。知るのが怖いんだろ。でもいつか知ることになる。それなら早めに知って、早めに家族を正しく想ってやった方がいい。明日、おかみさんに俺から言っておくよ、やっぱり調べてもらおう、な、豊松。」
庄助は俺の肩に手を置いた。野良仕事に勤しむ者のような豆はないが、働き者の手である。
「一揆はうまくいったらしい。中心になった奴らは捕まるだろうがな。ここんところは、世の中騒がしくなったなあ。」
「どうしてお上は俺たちが働くからいい思いが出来るのに、俺たちを大切にしないんだろう。」
「そりゃお前、同じ人じゃねえからだろ、お上はお上、俺たちは俺たち、別なんだよ。」
そういうものか、目に入らないんだ、じゃあ俺と同じ人って誰だろう、庄助は……少し別に見える。同じ人なんかいるのかな。
「とにかくもう遅い、おかみさんも怒るぞ、そろそろ帰れ。気ぃつけな。」
人が残っているのか、大店からは少しだけ明かりが漏れているが、長屋の住民にはそんなに油を使える金などない。夜の江戸は暗かった。空が少しだけ、郷里のものに似ているように見えた。
 


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