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神戸を離れるということ 〜神戸とヴィッセル神戸への想い③〜

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神戸とヴィッセル神戸|miwa|note


被災した年に浪人した私は、翌年の春に無事志望校に合格し、晴れて大学生となった。

以前から親に「下宿させる金はない」と言われていたので、神戸から奈良まで通うことになった。

4年で大学を卒業した後、超がつく就職氷河期のためなかなか内定をもらえず、唯一内定が出たのは、関西採用ではありながらも東京勤務が決まってる会社だった。

神戸を離れるのか…

若干の戸惑いはあったものの、当時の私は若かったので、チャレンジとか一人暮らしをしてみたいという思いが勝ってた。

初めての一人暮らし 東京


上京してまず驚いたのが、見える景色に海も山もないことだった。

海の見えない景色はどこか息苦しさを感じた。


そして、約二カ月かけた研修の後に配属された部署では、とにかく仕事がなかった。

私はなんのために神戸を離れて東京まで来たんやろうな…


一人暮らしは楽しかったし、周りの人にも恵まれてはいたけど、仕事のない状況が本当に耐えられなかった。

仕事をするために住み慣れた神戸を離れて出てきたのに、、これでは東京にいる意味がない

どうせ仕事で経験できないなら、神戸におった方がええやん

なんとか神戸で転職できないもんかなぁ

すでにその頃には私にとって神戸はとても大きな存在だったので、そこを離れるからには…と求めるものが大きかったように思う。

神戸になくて東京にあるもの

もはや「仕事」しかなかった。

その仕事が思うようにできない
なら、私が東京にいる意味はなかった

とは言っても会社が違えば東京でまた再起できるかもしれない。

仕事がないことをいいことに、私は東京と神戸で転職活動を始めた。

最初、東京でいい仕事ができそうな会社から内定をいただいた。

でも運が悪いことに私は引っ越しをしたばかりで、そこに勤務するには再度の引っ越しが必要だった。

どうせ引越しするなら神戸に戻りたい

さらに転職活動を続けてなんとか神戸勤務の一社から内定をもぎ取った。

これは今思えば大きな運命の別れ道だったように思う。

ここで東京の会社に転職していたら、関西の仕事の状況をみても、もう神戸には帰らなかったかもしれない

帰ろう神戸に

3年で東京を離れ、私の短い一人暮らしライフはこうして終了した。

ようやく神戸で働けるんだ

ようやく掴みとった神戸での生活

引っ越し準備に退職準備、、バタバタと神戸に戻った。


その頃、、経営難に陥っていた地元のクラブのことなんかつゆ知らず…

こうして神戸の新しい生活が始まったのでした。



〜 神戸とヴィッセル神戸への想い④ 〜 につづく

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