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40周年、冒険なお途上

2010年8月21日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 先週も書いたが、今年は植村直己さんの日本人エベレスト初登頂40周年だ。これは同時に父、三浦雄一郎の世界初エベレスト8千㍍地点からのスキー滑降の40周年でもある。日本を代表する2人の冒険家の接点は1970年のエベレストにあった。
 スキー隊として先にサウスコルからパラシュートを背負い滑り降りた三浦の模様を、植村さんは6400㍍の第2キャンプから見ており、そしてその後、彼は山頂を極めた。エベレスト日本人初登頂と世界初のスキー滑降、それぞれの偉業を果たしたあとも、冒険家としての2人の活動は続いた。

 世界で初めて5大陸最高峰登頂を果たした植村さんはその後、犬ぞりで単独北極点横断や南極遠征など山の垂直方向の冒険からオリジナリティーあふれる水平方向の冒険家としてシフトしていった。
 一方、三浦は山岳スキー分野で世界の誰も滑ったことの無い山々に挑戦し続け、ついには世界7大陸最高峰をすべて滑り降りるという、より垂直の世界を探究していった。彼らの冒険は日本よりも国外で高く評価されている。
 単独北極点犬ぞり到達は世界初の快挙であり、植村は日本人として初めてナショナルジオグラフィック誌の表紙を飾った。三浦のエベレスト大滑降の記録映画「The Man Who Skied Down Everest」はドキュメンタリー部門でオスカーを受賞した。70年代から80年代にかけて当時の最先端の冒険を世界的な感覚で敢行した2人が打ち立てた金字塔は、多くの海外メディアに取り上げられている。

 三浦と植村さんの対談記事にこんな文面がある。植村「人それぞれが冒険したい、何かやってみたいという要素を含んでいて、そういうものが我々にとって何かこう形になっちゃったんじゃないかと思うのです」。三浦「そこに自分の知らない世界があるからじゃないですかね」。
 エベレスト・スキー滑降40周年を迎えた三浦に、米国のスキー雑誌やスミソニアン博物館から「記念行事を行わないのか」という問い合わせがあった。父は「まだ私は冒険の途上ですから、80歳にエベレストに登ったらあるいは何かするかもしれません」とだけ答えた。植村さんが生きていたら69歳だが、彼も父同様、冒険の夢を燃やし続け40周年を他人事のように見るのではないか、と僕は思った。

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