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2010年月7日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。 7月29日未明、冷たい横殴りの雨の中、先々週ご紹介した、遠位型ミオパチー患者である中岡亜希さんを中心に、40人ものボランティアがまるで巡礼者の列のようにヘッドランプで足元を照らし、暗闇の中、富士山頂を目指していた。 予報では29日昼頃から暴風雨になるという。そのため僕達は午前2時30分から富士山9合目の万年雪荘を出発した。 風が次第に強まる中、歩きながらいつ引き返そうかと考えていた時、車いすに乗った
2010年7月31日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。 僕たちの仲間の一人に日本のフリーダイビング(素潜り)の先駆者である松元恵さんがいる。彼女の師匠でトレーニング・パートナーであったのは、かの有名な映画「グラン・ブルー」の主人公のモデルとなったジャック・マイヨール氏だ。 松元さん自身も数多くの世界大会に入賞し幾度も日本記録を塗り替え、先月末から今月初めにかけ、日本の沖縄本島で初開催となった「AIDAフリーダイビング世界選手権」を誘致するのに尽力した。
2010年7月24日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 昨年、このコラムで紹介した遠位型ミオパチーという希少難病患者である中岡亜希さんが来週、再度、車いすで富士山に挑戦する。 遠位型ミオパチーとは体の中心部から離れた所より徐々に筋力が弱まり、次第に全身の自由が奪われる難病だ。国際線客室乗務員であった彼女がこの病気にかかっていると判明したのは7年前、25歳の時で今では上半身のわずかな筋力しか残っていない。 病気が進行するなか、彼女は一念発起し、自ら特定非営利活動法人(
2010年7月17日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。 梅雨空が続いていたころ、めっきり太陽とご無沙汰だった。ヒマラヤにいた時の刺さるような日差しが懐かしい。空は目を細めるほど眩しいのにどこか蒼(あお)黒い。強烈な太陽光はじりじりと肌を焦がし容赦なく目の網膜を焼いてしまう。宇宙を間近に感じる高所では太陽との付き合い方を真剣に考えなければいけなかった。 そんなヒマラヤを思い出しながら、庭のプランターで真っ赤に実をつけたトマトを見ていた。トマトは僕たちの
2010年7月10日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。 先週、新潟県阿賀野市の村杉温泉で順天堂大学、加齢制御医学講座の白沢卓二教授と恒例のアンチ・エイジングキャプを行った。 今回のテーマは「ときめき」。31人の参加者の多くが新潟県出身であることから、彼らは子供時代にきれいな新潟の川で遊んだ思い出はあるのではないかと思い、沢登りをアウトドアイベントに取り込んでみた。 しかし、多くの高齢者にとって、いきなり沢登りはいハードルが高い。そのため、まず参加者
2010年7月3日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 多くの人がクギ付けになったサッカーワールドカップでの日本チームの戦い。その中で最も印象に残ったのは日本代表がデンマークを破り、決勝ラウンドへ駒を進めた直後の岡田監督の言葉だった。 「まだその先は雲の彼方にあるけど、次の山に向けてスタートしなければいけない」 ベスト4という目標を見据えたこの言葉に、僕は101歳まであくなき挑戦を続けていた祖父、敬三を思い出した。
2010年6月26日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 最近では、若い女性とも山道でよくすれ違う。数年前まで中高年の登山ブームと騒がれていたが、トレイルランニングがひそかなブームになっていることや、登山道具に若い人向けのファッショナブルなものが増えてきたこと、さらには登山にダイエット効果を期待している面もあるのだろう。 鹿屋体育大学スポーツトレーニング教育研究センターの山本正嘉教授とミウラ・ドルフィンズのスタッフらが1カ月にわたり、①食事指導のみのグループ、②食事指導
2010年6月19日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 サッカーの日本代表はカメルーン戦で先制点を守り切り、海外でのワールドカップ(W杯)では初となる歴史的な白星を挙げた。南アフリカで行われたこの試合を興奮しながらテレビ観戦した僕は、先月、エベレストベースキャンプでネパール人の青年プシュカ・シャーさんに出会ったことを思い出した。 彼は世界150カ国を自転車で巡った。その中にはいまだ紛争地域にあるアフリカの国々も含まれ、戦争により多くの命が奪われ貧困に苦しむ人々の現実を目
2010年6月12日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。 フライトエンジニアとして国際宇宙ステーション(ISS)に161日間にわたって長期滞在した野口聡一さんが先週地球へ無事帰還した。 この時、野口さんに手渡され食べたリンゴが「重い」といったことがとても印象的である。ニュートンはリンゴが木から落ちる現象をヒントに万有引力の発見につながったといわれているが、宇宙空間で重力から解放されていた野口さんが地上に帰ってきたときに手渡されたリンゴを通じて、万有引力を
2010年6月5日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。 先月、僕がエベレストの清掃活動でベースキャンプを訪れていた時に、アイスフォールから5体もの遺体が回収された。温暖化による急激なアイスフォールの溶解により、今まで氷塊の底に眠っていた彼らの体がまるで過去の亡霊のように姿を現したのだ。 上部の第2キャンプ(C2・6500㍍)の状況をこの目で見ようと決心したのは、もちろんゴミを確認するためであるが、それ以上にベースキャンプに滞在中、コンラッド・アンカー氏
2010年5月29日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 パンっとはじける音がした。 僕の右手で大型トラックほどの氷塊がはじけて崩れ、それがきっかけで下のさらに巨大な氷頭を倒していく。大自然のドミノ倒しの轟音は連鎖が吸収されるまで続き、僕の足元がいかに不安定なものかと、いいようのないおののきを覚えた。 この場所は通称ダムと呼ばれるエベレストのアイスフォールでも最も危険な地域だ。急こう配の氷の塊は昼夜の気温差で簡単に崩れ、周りをのみこんでしまう。一刻も早くこの危険地帯から
2010年5月22日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。 5月初旬から僕はヒマラヤに来ている。再びエベレスト街道を歩いた。この街道はエベレスト山ろくへ通じているということで、世界中の登山家やバックパッカーが集まる。道中での出会いはトレッキングの楽しみの一つでもある。 ネパールの首都、カトマンズから小型機で標高2850㍍のルクラへ飛び、徐々に登って高度順応を行う。その途中のディンボチェ(4346㍍)の村で出会ったのがアメリカのハッキングファミリーだ。 彼
2010年5月15日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 このコラムを書く時のアイデアの多くは走っている時に出てくる。 ゆっくりと、歩くより若干早いくらいのペースで走り始め、そのうち体が温まると少しスピードを上げる。ペースと呼吸のリズム、この二つが合うと気持ちがよくなり、1つのアイデアからどんどんふくらみ始める。最近興味を引いたものやニュース、以前読んだ雑誌や記事などがつながり始め、ランニングを終わるころには大まかなストーリーラインができているのだ。
2010年5月8日日経新聞夕刊に掲載されたものです。 エベレスト街道は延々と山や谷間を縫うように作られている。そこは足を持ったモノのみに許された道であり、人のほかに馬、ヤク(高所に適した牛)、ゾッキョ(ヤクと牛の交配種)が往来する。これらの動物の歩き方を比べるとそれぞれはどのように山道に適応してきたかがわかる。 例えば馬は平地や平原を速く走るのは得意だが、彼らの蹄(ひづめ)は1つなので、不規則な石がごろごろしていたり、不安定な斜面を越えるとき、足元が安定しないのがわかる