1. はじめに
M&A契約に定められる表明保証には①買主・売主間のリスク分担、②情報開示の促進といった意義・機能があります。
デュー・ディリジェンスで明らかになったリスクは、定量化できるものについては買収価格に織り込んだり、定量化が難しいものについては特別補償条項を定めるといった対応がとられますが、リスクがあるか明確ではないものや規制の不確実性が高いものなどについては売主が表明保証を行うか否かが契約交渉の重要なポイントの1つとなります。
そして、①売主が表明保証を行った場合、もしその表明保証に違反があったときには、買主はM&A契約を解除することや補償の請求をできることになり、また、②売主が表明保証を行わない(あるいはできない)場合には、当該事項に関連する情報を売主から開示してもらい、買主においてM&A取引の実行の是非を含めたリスク評価を行うことになります。
AI技術は急速に進化しており、また、複雑であることから、デュー・ディリジェンスを踏まえてもリスクを正確に評価することが難しい一方で(なお、AIに関連するリスクについては、「M&P LEGAL NEWS ALERT #9:米国企業の開示からみるAIに関する取締役会の監督」もご参照ください)、欧州では世界初となるAIに関する包括的な法規制であるArtificial Intelligence Actが2024年8月から発効するなど、世界でAIに関する規制の整備が進められています。
そこで、AIに関する表明保証が重要になってきますが、M&A契約においてAIに関する表明保証等が具体的にどのように定められているか、近時の米国企業のM&A契約をもとに検討します。
※本noteで記載しているサンプル条項は、米国の上場企業が開示したM&A契約に定められている条項を参考に筆者が作成したものです。
2. AIに関するサンプル条項
(1)概況
米国企業のM&A契約においてAIに関する表明保証等を定めているものは現時点では一般的とまではいえないという印象です。これは、AIに関するリスクについても法令遵守や知的財産権の非侵害、訴訟等の不存在といった典型的・標準的な表明保証でカバーできることが多いことによるものと考えられます。
もっとも、AIに関する規制の整備が急速に進められていることもあり、今後、対象会社の事業・業態等によっては、典型的・標準的な表明保証ではカバーされないと判断されることもあり得るため、AI技術が対象会社の重要資産の1つであったり、対象会社のAI技術に固有のリスクが想定されるといった場合にはAIに特化した形で表明保証が行われているものも見られるという状況です。
(2)定義
定義については、「AI技術」を定義語としているものが多く見られ、その内容は、対象会社が開発、提供または使用・利用するAI技術を適切にカバーできるように、以下の①から③のサンプルのようにシンプルなものから詳細なものまでバリエーションがあります。
他方、「訓練データ」などについては定義語とされていない場合も多いですが、いずれにしても表明保証でカバーする内容と対応した定義とする必要があります。
(3)AIに関する表明保証
AIに関する表明保証は、知的財産権に関する表明保証の中で規定されていることが多いですが、内容としては、AIに関連する法令等の遵守や知的財産権の非侵害、AI技術に関連する訴訟等の不存在についての表明保証となっています。
具体的には、以下のサンプル①から⑥のようにバリエーションがあり、対象会社の事業・業態や対象会社におけるAI技術の位置づけ(AI技術の開発企業・提供企業であるのか、AI技術を使用・利用する企業であるのかなど)、対象会社のAI技術に関連して想定されるリスクに応じて表明保証の内容がカスタマイズされています。
(4)AIに関するその他の表明保証
生成AIに特化した表明保証を行っているものや、AIに個人データを読み込ませていないことなどデータプライバシーに関する表明保証を行っているものも少数ながら見られます。
生成AIについては今後の規制の不確実性が特に高いこともあり、対象会社が事業・業務において生成AIを使用しているといった場合には、以下のサンプルのような表明保証を求めることも考えられます。
なお、米国のニューヨーク市ではAIを利用した採用プロセス等における偏見や差別を予防するための規制があることから(*1)、このような規制の対象となるAIツールを使用していないことについて表明保証を行っているものもあります。
今後、AIに関する規制の整備が進むことで、特定の規制の対象となるAI技術やツールを使用していないことについての表明保証を求めることになることも考えられます。
(5)AIに関するコベナンツ(誓約事項)
買主としては、M&A契約の締結からクロージングまで対象会社の価値が維持され、M&A契約の締結時と実質的に同じ状態で対象会社を取得できるようにするため、対象会社におけるAIに関する運用やポリシー等を変更させないことを売主のクロージング前のコベナンツとしているものも少ないながら見られます。
3. おわりに
これまではAIに関する独自の表明保証等を定める必要性が高くなかったこともあり、米国企業のM&A契約においてもAIに関する表明保証等が定められているものは現時点では必ずしも一般的とまではいえない状況ですが、今後、AI技術の進化や規制の整備に伴い、AIに関する独自の表明保証等を定める必要性が高まった際に、具体的にどのようにドラフティングするかの一助になれば幸いです。
Author
弁護士 関本 正樹(三浦法律事務所 パートナー)
PROFILE:2007年東京大学法学部卒業、2008年弁護士登録(第一東京弁護士会所属)、ニューヨーク州弁護士。21年7月から現職。18年から20年にかけては株式会社東京証券取引所 上場部企画グループに出向し、上場制度の企画・設計に携わる。『ポイント解説実務担当者のための金融商品取引法〔第2版〕』(商事法務、2022年〔共著〕)、『対話で読み解く サステナビリティ・ESGの法務』(中央経済社、2022年)等、著書・論文多数