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「僕は編集者です」と言える日は来るのか

ずいぶん時間が空いてしまった。

この1年はウェブ上で文章を書く、というよりも書ききるということができなくなってしまっていた。何度も書き始めたのだが書ききれなかった文章の亡霊たちが下書きマークをつけたままインターネットの宇宙を漂っている。

自分の意見といっても水物でいくらでも変わってしまうので書けない、ネット上で情報に触れすぎてキャパオーバーし何も考えがまとまらず書けない、などなど様々な理由はあるが、とにかく何かを書いて表明する自信が持てなかった。

でも新型コロナウイルスが猛威を奮っている今、職場は静かに落ち着いている。ゆっくりと考える時間のある今こそ何か書いてみようと思い立ったのである。

さて。タイトルの問いだが、結論としては「腹括って編集者を名乗るしかない」の一言に尽きる。以上。

……で終わってしまっては味気ないのでここに至るまでの過程を書き記しておく。

三浦はもう6年近く会社の広報誌づくりの仕事をやっているが、未だに「自分は編集の仕事やってます」と胸を張って言えない気持ちがある。なぜなら編集とはなんなのかを全く知らずにつくり始め、今もわからないままつくり続けているという、そこはかとない負い目のようなものがあるからである。

でもこの2月、ローカルメディアの大先輩でもあるRe:Sの藤本智士さんと初めてお会いして対談する機会があり、少し考えが変わった。

その時のことは藤本さんが『みんなのミシマガジン』での連載で3回にわたって書いてくださっている。

こちらの最後の記事『「三浦編集長」が編集の教科書だと思う理由』に書かれている内容は、自分の悩みに対するドンピシャの答えだった。

そこでは、すでに三浦は編集者として見られているとはっきりと言われた。そうであるならば、自分で編集者を名乗らないのは誠実じゃないことになる。そんなことに気付かされた。

結局三浦はいわゆる一般的な編集者のキャリアを経ないまま編集長を勝手に名乗っていることに自信が持てず、自分自身を編集者だと認めることで生じる責任やプレッシャー(ちゃんとしたクオリティのものをつくらないといけない、など)から逃れようとしていたのだ。

思えば責任取るのが怖い、不義理ばかりの不誠実極まりない人生だった。文章を書ききれなかったのも同じ理由と言えるだろう。

でも藤本さんはそんな三浦の未熟さや葛藤を分かった上で、三浦編集長(三浦編集室)を「編集の教科書」と呼んでくださった。0から編集者になっていく成長を見守る、ジャニーズのような旨味があるのだと。

他にも藤本さんからは元気をたくさんもらった。あたたかな視点からポジティブな言葉をもらえたのは本当にうれしかったし、大森にも足を運んでいただいてゆっくりお話しできたのはいい時間だった。

記事内にも書かれているが、藤本さんに三浦編集長をまとめた書籍を編集してもらうという大きな希望もできた。これ以上ない舞台が目の前にあるのに踊らない理由はない。

ここで突然令和2年度の目標である。
「書き抜こう。責任を持とう。締め切りを守ろう。」

書こう。しかしどんなクオリティで仕上がってもそれが現在の自分の限界であることを重々承知しよう。自分のアウトプットに責任を持って、良からぬ部分は反省し改善に向け精進しよう。最後に、締め切りを守ろう。

あ〜がんばる!ぞ!藤本さんありがとうございました!!!