魔術師とは科学者であり芸術家である「モダンマジック」ドナルド・マイケル・クレイグ著~感想日記~
「モダンマジック」 ドナルド・マイケル・クレイグ 著
概要
ユダヤ教の家で生まれ育ち、ミュージシャンであり手品師でもある筆者が自身の実践経験と長きに渡るレッスン教示の知識のもと、「モダンマジック」というタイトル通り「現代における魔術」について幅広い題材を実践的な視点で紹介している魔術書である。
その主軸は筆者が「黄金の夜明け団」で学んだものがベースとなっており、タロット、追儺、四大元素のエネルギーワークに祭壇と魔術道具の作成方法などが外陣つまり基礎として挙げられ、これだけでもかなりの情報量である。続く内陣パートでは、タリズマンの作成と充填、召喚と喚起、性魔術、アストラル体投射などについて述べられ、幅広い領域について網羅したこの本はまさに現代のグリモアと呼べる一冊である。
感想
全753ページという重厚感ながら、筆者の簡潔で明瞭、そしてユーモアの効いた文調のおかげか非常に読みやすく無事読了できた。
ハリーポッターの影響で幼少期から魔法使いに憧れていた私は、図書館の児童文学書籍の棚に置いてあった「魔女図鑑」を何度も借りてはその内容を自分のノートに熱心に書き写していた。学区内に回ってくる移動図書館の車には「恋に効くおまじない」が書かれた本がいくつかあり、私はそれを熟読し、またそのうちのいくつかを試したものだった(その時の魔術は失敗に終わった)。
その後中学に進学すると勉強と部活動、そしてアイドルの追っかけの両立に忙しく、大学受験の時期に現実逃避の一環でチャクラについて学んだりチベット体操を始めるようになったりした以外にはしばらく魔術について学ぶことはなかった。
社会人となり、ちょうど日本にスピリチュアルブームが到来し始めた頃から再びその世界へ関心を抱くようになり、天使たちの存在、チャネリング、瞑想、インナーワークの数々という”theスピリチュアル”な世界へ足を踏み入れた。異なるいくつかの団体のWSに参加し、スピリチュアルと一言で言えども皆がみんなベールを纏い水晶玉を覗き込んでいるわけではなく、様々な角度からものを言っている人たちがいるのだということも知った。
「モダンマジック」を読み、私が憧れていた「魔女」なる存在に近いウィッカ、ペイガンという文化の存在を知り、また当時熱心に行っていた「おまじない」はタリズマンの類であることが分かった(その時の魔術がなぜ失敗したかも理解した)。この本にチベット体操が取り上げられていたことには個人的に驚きだったが、筆者が西洋魔術を基本としながら東洋の考えも取り入れていることが分かる。昨今流行りのスピリチュアルブームで見聞する様々な専門用語についても簡潔明瞭に整理されており、これまで抱えてきた数々の「?」に明かりが灯ったようだった。
このようにスピリチュアルを少しずつかじってきた私だが、実は"スピリチュアル"に懐疑的である。それにはいろいろな理由があるのだが、一言で言ってしまえば「人々を支配したりお金を巻き上げるための"スピリチュアル"は糞くらえ」という話である。また、地に足がついておらず「スピリチュアルな世界を信じているから私はすべて大丈夫」という何の根拠もない思い込みを押し付けてこようとする人間にも嫌悪感を抱いている。こういう人間は大抵、自分自身ではなく自分以外の誰か(それはある団体の代表、インフルエンサー、もしくは彼ら自身が「チャネリングで繋がった」と主張するなにか)の言ったことを信じており、最悪の場合支配されお金を巻き上げられる側になる。
このように”スピリチュアル”をかざして人々を支配&利用しようとする人々、そして支配&利用されてしまう人々が生まれる背景には、スピリチュアルな世界が”目に見えない”領域であるからであり、その不確実性が原因であることは明らかである。
目に見えない世界や宇宙の神秘について全容を窺い知るなんてことは不可能だとしても、その入口や探求の仕方について、私は科学的な視点を必要としていた。
そんな時に運命的に出会ったのがこの「モダンマジック」である。
「魔術師とは、科学者であり 芸術家である」
筆者はそう表現している。この本を読めば、「魔術」がいかに「科学的」であり「芸術的」であるかが納得できるだろう。
私が「引き寄せの法則」について話そうとした時、ある知人Aは「あんなのは嘘だから、スピリチュアル云々は全部信じない方がいい」と言った。
私が「魔術についてもっと詳しく学びたい」と話した時、別の知人Bは「スピリチュアルをそんなに難しく考えるべきではないと思う」と言った。
私はそのどちらの言い分にも納得がいかなかった。
どちらの知人も、「魔法の杖一振り」で現実を変えられると思っていたのではないだろうか。
知人Aは魔術を試してはみたものの「なにも変わらなかった」と早々に諦めてしまった。
知人Bは魔術を試し続けるものの成功・失敗いずれの結果においても内省・分析を行うことはなかった。
「モダンマジック」の筆者が言う「魔術」とはある種の「科学」である。この本のやり方に則れば、魔術師は実践データを収集し分析する。また、占術により事前に魔術の結果も確かめる。魔術を安全に行うために必要な準備はたくさんあり、また準備が万全であったとしても魔術師本人が望んだ結果が得られるとは限らない。その理由は分析により明らかとなろうが、魔術師の経験不足、準備不足、心的要因、環境要因などが考えられる。儀式は成功しているが、その結果が魔術師本人の思っていた現実とずれている場合もあるだろう。いずれにせよ、魔術師が儀式を行った結果はいかなる場合もなにかしらの形で必ず現実に反映されるのだ。
魔術を行うのであれば、それは「魔法の杖一振り」とはいかない。
早々に諦め「魔術は嘘だ」と決めつけてしまう姿勢には、自身の行った魔術がどのような結果として現実に反映されているか、また魔術を行った自身の状況がどうであったかを検証する視点が欠けている。「魔術が嘘」なのではなく、自身が魔術の因果を捉え切れていないだけである。これは魔術に限ったことではないが、それが「嘘」であることを証明できない以上、それを「嘘」だと言って片づけてしまうのは賢いやり方ではないと思うし、ナンセンスだ。
「スピリチュアルを難しく考えるべきではない」として魔術の結果や自分の行為を内省・分析しない人。このような人種は昨今のスピリチュアルブームもといスピリチュアルビジネスブームにより急激に増加していると思うが、正直言って、自分の行為を内省・分析できない人がむやみやたらに魔術的行為を行うべきではないと思う。「モダンマジック」を読んで尚更そう思うようになった。自分のためにも他者のためにも、因果の法則、カルマの法則というものを理解するべきである。
先ほど挙げた二人の知人は別に魔術師を目指していたわけではない。魔術師ではないからといってそれに関わらずどちらもそれぞれ幸せな人生を送っているだろうし、そうであってほしいと願っている。
しかし、どちらの知人も昨今のスピリチュアルブームにより「魔術」を”かじった”のである。そういった人たちは多いだろうし、ブームが続くかぎりこれからも増えるであろう。魔術を行うのであればその時ばかりは誰でも魔術師である。宇宙の法則は誰にでも平等に働くということを忘れてはいけない。
そして、魔術師には自身を見つめる曇りなき視点、魔術に対する真摯な態度、宇宙の諸力への感謝と尊敬、そして何よりも自身の魔術的行為の責任を負うという自覚が必要なのだ。
真に魔術師となるには鍛錬が必要なのである。しかし、それこそがあるべき姿ではないか?筆者は「魔術の神秘とは自ら発見されるべきものである」と述べている。「真実」とは誰かやなにかに一方的に伝授されるものではないのだ。自ら歩んできた道のり、そこで獲得した体験・気づき、それそのものがその人にとっての「真実」となる。なんと素晴らしいことであろうか。
魔術師としての道を謙虚に賢明に鍛錬を積んだ先に見える景色はどのようなものだろうか。
その一歩を踏み出したい方は、ぜひ。