デミアン / ヘルマン・ヘッセ

散歩がすき。

明るい道も暗い道もよく歩く。

特別空気を感じるわけでも注意深く色んなものを探すわけでもなく、ただ歩く。

何も考えず感じていない、と勘違いできる時間がすきだ。

たまに花を見つけるときがある。

いい子は寝る時間に見つけた一輪の綺麗な花。

と思ったらもう一輪あるんかーい。

そこにもかしこにも。

自分では気づかないうちに、いつの間にかその花しか見ていなかった。見えていなかった。

本を読むと、しばしばこういう気分を味わうことがある。

日本以外の本を読むとなおさらだ。

いつも私たちが使っている言葉だけで多彩な表現を作り出していて、それを私たちは本を開けばいつでも見ることができる。

本の中で起こる出来事や感情もまた然り。

そしてこの本は、その連続だ。

はしがきから心をもっていかれる。

つまり、この本しか見えなくなるのだ。この本しか見ていない。

そんな馬鹿なと思うだろうが本当なのだ。

私は何駅逃しどれくらいの時間をかけて帰ったのか。いつもの倍はかかったかもしれない。これは少々盛りすぎた。

そして、聴いている音楽や周りの人の声なんかは、水の中にいるときのように私の耳に入ってくる。輪郭なんてまるでない。

私たちが使っている言葉だけだと書いたが、それは全くの嘘だ。初めて目にした言葉さえあった。

しかしそんなことも気にせず読むことができるのがこの本の醍醐味だ。

意味が分からずとも憶測で読み進めてしまえるのだ。

シンクレールがまだ小さい頃に体験した恐怖と優越感。私はこの感覚を知っている。どちらも私の中に存在していて決して混ざることはなかった。そしてこの何とも言えない状態を私は好んでいた。密かに。

理解されないことがほとんどだが、実際多くの人が体験するものではないかと思う。のに、知らないふりをして嘲笑うと同時にいけないことだと叱りつけるのだ。

私は小さいときもう既に心得ていて誰にも口を割ることはなかった。

そうして出来上がったのが今の私だ。

見た目やその時々の返事で、あの人はこういう人だと憶測してすっかり知った気になる。

私はそれに気づいても知らんぷりをし続けるが、みんなの見えないところで醜いものに為り変る。

しかしそれは私には私に見える。みんなそんなこと気づいているのに、自分以外のことになると醜いものでも見るかのように避けていく。

まあこんな私の愚痴なんか綺麗さっぱり忘れて下さい。


13 「 デミアン / ヘルマン・ヘッセ 」

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