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米国務省を辞めて、家族を選んだ女性 ーアン=マリー・スローター
国務省を去ることを決意
アメリカで、「キャリアウーマン像」に問いを投げかけた女性がいます。
アン=マリー・ロースターは、2010年ヒラリー・クリントンが国務長官時代に、女性で初めての国務省の政策本部長となった女性。
そう、「キャリアウーマン」の代表選手のような女性でした。
その年の12月。彼女はさらにその上の役職に抜擢されそうでした。自分から立候補すれば、そのポストが用意されることはほぼ間違いありませんでした。
自分の人生をかけてきた仕事。今、飛び込まなければいつまたチャンスが巡ってくるかわかりません。
しかし、アンさんはその昇進にワクワクすると同時にとても悩んでもいました。
そして結論から言うと、アンさんはそのポストを諦め、国務省の仕事自体も譲ることにしたのです。
その理由は、家族のためでした。
共に過ごす時間が減り、家族に危機が起きる
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仕事場のあったワシントンから自宅までは距離があり、国務省の仕事を始めてから2年は、単身赴任のような生活でした。
月曜の朝5時に家を出て、金曜の夕方か夜に帰宅。急な仕事も多発し、家族の大切な用事や祝いの席に出られないことも多かったそうです。
その間に、思春期を迎えた息子に問題が起こるようになりました。
中学2年生になる息子が停学になったり、警察沙汰になる事件を起こしました。
「仕事には情熱を持っていたけれど、電話やメールで息子の問題行動を知るたびに、どうして自分はこんな所にいるのだろうと悔やまずにはいられなかった」
とアンさんは言います。
もちろんどちらも両立できる働き方を試行錯誤しましたが、結局良い妥協案は浮かびませんでした。
家族か?キャリアか?
究極の選択を迫られた状況でした。
アンさんはこの危機によって自分の幸せは家族があってこそだと気付き、潔くポストを譲ることができました。
この決断を彼女自身が、とても意外に感じていました。
自分の伝えていたフェミニズムは違っていた
アンさんはフェミニストでした。そして、キャリアを目指す女性のロールモデルでもありました。
これまで、女性も「すべてを手に入れられる」という信念を持っていました。
女性も社会的な権利を行使し、男性と同様に働き、経済的にも自立できるという信念を。
このキャリア危機を経験し、社会的、経済的な成功は、男女に関係なく、多くのケースで、家族の協力や犠牲の上に成り立っている。
ということに気が付きました。
そして、このあり方は将来に引き継ぎたい姿ではないと確信しました。
彼女は自身の経験をメディアに寄稿しました。
この記事は全米で話題となり、賛否両論が沸き起こりました。
まだまだ道半ばの男女平等の問題に、アンさんは自らの体験をもって一歩ずつ新しい光を当てていっています。
それは、これまでの男性にも女性にも厳しいフェミニズムではなく、家族が幸せになるためのフェミニズムなのです。
参照:「仕事と家庭は両立できない?」アン=マリー・スローター
https://www.ted.com/talks/anne_marie_slaughter_can_we_all_have_it_all?language=ja
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