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『ボレロ 永遠の旋律』の感想

この文章を書く今も、頭の中からボレロが離れない。

ボレロはとても好きな曲で、そもそも小さい頃にNHKの夕方クインテットで聴いたのが初めてだろう。小さい頃にも好きだった記憶が朧にある。
ボレロの素晴らしさは、やはりあの繰り返しのメロディと一貫したクレシェンドである。そしてまた、それらが全てエンディングを引き立たせるものとなっていることであろう。
常々、私はホイジンがの『ホモ・ルーデンス』を褒める時に、まるでボレロのようだという。今回は珍しく逆となるのだが。『ホモ・ルーデンス』においてホイジンは、「遊びの相」を早々と一章あたりで見出して、それを各々の文化的行為に当てはめて順に最終章へ進む。そしてやはり最終章では芸術的なまでの論を披露するのである。内容はもちろんのこと、この素晴らしき美文と論理構成によっても『ホモ・ルーデンス』には一読の価値がある。
さて、ボレロの魅力をお分かりいただけただろうか。本来なら、このブログを読みながらボレロを聴いてくれればと言いたいが、残念ながらそのような美文を作る腕がない。

この映画さえ最初から最後まで、全くもってボレロに貫かれている。
そしてだから、この映画は悲しい映画だ。
さて劇中、ボレロに他の曲も全部回収されてしまうと、劇中ラヴェルは言った。ボレロの初演が大成功するシーンのすぐ後、成功するのは嬉しくないかと問われて、夢が叶うのは悲しいと答えた。

病気に侵されて彼は、頭に捉えた曲想を、書こうとしても書き出せない状態となる。時間も言葉も音符も消えていく焦燥感の中で、休暇を勧められるとそんな暇は無いのだという。音楽と結婚したのだという彼の言葉の通りに。
私などがいくら体を揺すっても綺麗な音は出ない。残された健康な時間で作品一つを残すなど臨むべくもない。彼はそれが出来るから苦しみ、私はそれが出来ないから羨む。
彼には成功は嬉しくなくて、夢が叶うのは悲しいことなのだろうか。

そんな場面も、あるいは過去のどんな場面も、全て切り刻まれて貼り付けられる。従軍のシーン、子供の頃のシーン、母の死、作曲、恋愛。これらが継ぎ目なく入れ子に繋がって、もう人生のどの場面がどこに来ているのかも分からない。
走馬灯を見るようですらある映画だ。
シャッフル航法というのがある。円城塔とやくしまるえつこの作品である。一文一文が切り刻まれて入れ替わって立ち代わって、そういった作品なのだが、この映画においてもそのある種の暴力性が滲んでいる。

逆から読めば、まさにこの映画はエンディングの為に構成されている。ラヴェルのボレロのエンディングを重ねて、それを最も素晴らしいものにするべく構成されている。その為にラヴェルの人生を切って貼って入れ替えている。それら彼の人生の一瞬一瞬は、ボレロの為に構成されている。
オープニングでは様々なバージョンのボレロが流れ、エンドロールに入る前にはラヴェルの指揮のもとでボレロが奏でられ、その演奏が終わると同時に映画も終わる。これほどまでにボレロが引き立つ映画があるだろうか。

ラヴェルの人生がボレロの為にあったのだとすれば、この映画は素晴らしい。そうでないのだとすれば、この映画は悲しい映画だ。

孔子やゴッホは生前の不遇を以て死後に不朽の表現を残し、そして名を成したけれども、生前に不朽の表現を成したが故の苦しみだろうか。
晩年、ボレロが誰の曲か分からなくなった彼は「悪くない」と一言評したが、作品に振り回される感情も、この一言の感情も、私には分かり得ないだろう。

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