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Heaven(17話) ――どんな未来になったとしても、僕らは誰かを想うだろう 【連載小説】 都築 茂

   僕は不覚にも泣きそうになって、唇をぐっとかみしめた。
 ナオはそんな僕に気付かないふりをしているのか、しばらく笑顔で僕を見つめた後、僕が落とした枝を砂浜のほうへ引っ張っていく。
 僕は屋根の反対側も点検するために、梯子を外して移動した。
「気を付けて。」
 梯子を上る僕に、ナオが後ろから声をかけた。なぜか二回目のほうが怖くて、屋根に体を移したとき、ひざが少し震えた。今度こそ落ちるかもしれないと、屋根を見渡す。落ちないためには過信せず、油断せず、危険を自分で回避する。初めて歩く場所は慎重に、安全だとわからなかったら体重をかけない。自分で自分に責任を持つ。以前、シンジと二人、病院でナオに聞いた言葉を、頭の中でくり返す。まずは右手の屋根の端まで、進むんだ。さっきと同じ作業でも、屋根の状態が同じとは限らない。さっきよりも慎重に、僕は作業を進めた。
 こちら側の屋根の点検が終わって梯子を外すと、タケルが向こうから歩いてきた。
「お疲れ。無事で何よりだ。」
「…何かあったら助けてくれって頼んだのに、どこにいたんだよ?」
「俺がいると、うるさくて気が散るだろ?健気にも、物陰に隠れて静かに見守っていたのさ。」
 僕が黙り込んでいると、ナオがまた、こらえきれないというように笑った。
「タケルくん、あそこの木陰で確かにユウヤを見守っていたよ。」
 ナオの証言に、タケルが誇らしげに胸を張るので、僕は何も言えなくなってしまった。
「2ヶ所、補修をしたから。雨が落ち着いたら、きちんと修理をするね。」
 僕の代わりにナオが説明をして、補修した場所を伝えるために、2人は小屋の中に入っていった。
 僕は梯子を片付けて道具をまとめ、帰る支度をした。することがなくなって、今日初めて海を眺めた。灰色の空と海の間にひかれた水平線、打ち寄せる波の音。じわりと心の中に広がる、説明のできない小さな変化を感じた。
「さあ、帰ろうか。」
 小屋から出てきたナオが言い、タケルが相変わらずの笑顔で言う。
「来てくれてありがとな、ユウヤ。今日のことは、忘れない。お前が俺を頼るなんて、めったにないことだからな。」
「今までの貸しは、これでチャラにしとく。」
「え、俺、そんなに借りあった?」
「あるだろ、沢山。今までも、これからも。」
 タケルは声を上げて笑い、荷物を背負った僕らに、じゃあな、と手を振った
 僕とナオも、じゃあ、と手を振って、来た道を登って帰り道についた。
「タケルくん、今まであいさつ程度にしか話したことなかったけど、優しくて面白いね。」
「あいつには言わないでください。調子に乗って、面倒くさいから。」
 その後も僕らは当たり障りのないことを話しながら、仕事場へ向かって歩いていた。別の道と交差するところで、シンジが歩いてくるのが見えた。両手に手提げ袋をいくつも持っている。
「仕事の途中か。お疲れ。ナオさんも、久しぶりです。」
 シンジは、短く挨拶をした。ナオは、こんにちは、と応じた。
「親父さんに会いに行くのか?」
 シンジが向かっている方向には、隔離棟があった。
「ああ、いつもの差し入れ。」
「そっか。」
 僕はこの間アキに聞いた、シンジがクウガさんと新しい薬の研究をしている話を思い出していた。
「また今度な。」
「ああ、じゃあな。」
 シンジは袋を下げたまま、片方の手を少し上げて歩き出した。
 ナオは、シンジの姿が見えなくなると、ぽつりと言った。
「シンジくん、いろいろと大変よね。」
「そうですね。きっと、他人にはわからない大変さが、あると思います。」
 歩きながら僕が言うと、ナオはこっちに顔を向けて目を細めた。


――― 18話へつづく


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