特別編.アナリストとしての4年間

今回はバレーボールアナリストの垣花実樹さんからお誘いを頂き、「バレーを語るアドベントカレンダー」に参加させていただいてのnoteとなるので特別投稿です!!


1.自己紹介

ではまず、簡単な自己紹介をさせていただきます。
私は奈良県に所在地を置く、帝塚山大学4年生の山口美生と申します。大学4年間はバレーボール部に所属し、アナリストをやっていました。先日、全日本インカレ・天皇皇后杯ファイナルラウンドを終え、4年間の大学バレーを引退したてホヤホヤです😢
詳しいここまでの成績などは、これまでに私が投稿している記事や、特に第2回の投稿を見ていただけると嬉しいです!

そんな引退したての私がアドベントカレンダーに投稿させていただくのは「アナリストとしての4年間を振り返って」。

この4年間アナリストを続けられた理由、その中で何を思い、葛藤があったのか記していこうと思います。

2.アナリストという役職との出会い

恥ずかしながら私自身、大学に入学するまではアナリストという存在を全く知らず、帝塚山大学に入学後すぐはセッターをしていました。でも、私は中学・高校時代から選手をしつつ試合の構成や分析をするのが得意で、気づくと監督とそれについて話をしているといったアナリストの卵のようなことをすでに行っていました。さらに、将来は教員志望で指導者を目指していこともあり、指導方法やゲームのつくり方、メンタル面の勉強を独学で進めていたりしていました。そんな中でアナリストという役職に出会ってしまったもんですから、私が先輩に選手を辞めてアナリストを志願しに行ったのは言うまでもありません…笑
そこからはアナリストとしての新しい知識の習得、これまで以上に求められる観察眼とタイピング能力のレベルアップ、また大学は企業のようにアナリストだけの役職というのはあまりないのでマネージャーの仕事との両立など、選手の時とは比べ物にならないぐらい多忙な日々が始まりました。
なによりこの当時、帝塚山大学はアナリストという役職を作って半年も経っていなかったので、私はただ入力が出来るだけでスプレットシートの作り方はおろか、その見方さえあまり分かっていませんでした。


さて、私が今ここまでアナリストとして活動してこれたのには実は3つの転機がありました。そのどれか1つでも欠けていたら今の私はいなかったと思います。
それでは1つ1つ話していきたいと思います。

・転機1 仲間

まず最初の転機は大学2年の冬。アナリスト育成セミナーへの参加です。毎年12月末に日本バレーボール協会(JVA)と全日本大学バレーボール連盟によって行われるこのセミナーへの参加が私のアナリストとしての世界を1つ広げてくれました。
これの参加によって一番大きかったのは同じアナリストの仲間が他大学に出来た事です。これまでは他大学のアナリストがどんなシートを使っているのか、どこまで入力を詳しく行っているのか、聞ける人が全くいなかったため情報収集が出来ませんでした。しかしここで仲間が出来たことにより、分からないことは仲間に頼り、またしんどい時は相談したり出来たので、精神的にもさらに成長できました。

・転機2 恩人

2つ目の転機は大学4年の春。この頃、大学の練習に元Vリーガーの方が来てくれるようになりました。当時私はこの先教員として進んでいくことに迷いがありました。”せっかく4年間アナリストをやってきた…それをここで辞めていいのか…もう少し極めてみたい。でもVの世界でやっていくなんて今より未知なことばかり。。”と悩みに悩んでいた時期でした。
そこでVの世界で戦ってきたそのコーチに相談したところ、とても親身に聞いてくださり、アドバイスを沢山いただきました。悩みに悩んでいたところを背中を押していただいたことで一歩踏み出すことが出来ました。
この方がいなければ、この先きっと私が沢山アクションを起こすこともないですし、このnoteも始めていなかったと思います。このコーチは行動力の塊みたいな人でした。それを見習って動き出した私の行動だったので、本当に感謝しかないです…( ノД`)

・転機3 繋がり

3つ目の転機は、今年の6月ごろ。新しい分析ソフト”VolleyStation”との出会い…そしてVolleyStationに関わる方々との出会いです。
このアドベントカレンダー企画をしている垣花実樹アナリストをはじめ、VolleyStationの日本代理人の三上岳アナリスト、その他沢山の方々との出会いが私の人生を大きく変えました。
これまでも人との繋がりは大事にしてきましたが、この頃から人脈の広がり方が尋常じゃないくらいに増えていきました。それも全てこの方々のおかげです。

ここまで私がアナリストとして活動してきたうえでの3つの転機をお話ししました。しかしこの4年間上手くいくことばかりでなく、むしろ壁にぶつかって挫折しそうになることの方が多かったです。

3.葛藤

アナリスト1年目の頃。アナリストとはどういうものなのか、その知識がななく壁にぶつかりました。どこまで選手に口出ししていいのか、データに出ている数字をどこまで伝えていいのか、何も分かりませんでした。でもこれは後に気づくことになります。これに関しては誰かに聞いてどうにかなるものでもないし、答えがあるわけでもない。自分の中で基準を作らないといけないんだ、と。まあ、これに気づくまで2年かかるんですけどね…笑

そしてアナリスト3年目。2個上の先輩アナリストが卒業されて、3年生ながら自分が一番上になった年に大きな壁にぶつかりました。それは監督のゲームメイクと私がデータを見て出す指示が合わなかったことです。前の投稿でも少し触れましたが、ここで私は自分の存在価値を問い始めてしまいます。このチームにアナリストは…私は必要ないのではないだろうか。それと同時に、私の方が正しいのに!といった様々な感情が湧きでてきたことで迷走します。そうです、アナリストとしての大反抗期に突入してしまいました。笑


そんな沢山の壁にぶつかりながらも何とか4年間アナリストを続けてこれたのは4年生に上がってから私と出会ってくださった沢山の方々のおかげですし、何より仲間の支えが本当に大きかったです。
また、新しい分析ソフトVolleyStationを導入したことも大きなチャレンジでした。それについては第3回の投稿で詳しく記していますのでよければご覧ください!!

4.まとめ

はい、ありがたいことにいつも私の投稿を読んでくださっているニッチな方々は分かると思いますが、今回もどえらい長くなってしまいました。笑
でも、4年間を3000字以内に納めただけマシだと思ってください笑 それぐらいこの4年間アナリストとして活動してきたことは大きかったし濃かった。
この先、どこまで続けられるか分かりませんが、自分が納得するところまで突き進んでいきたいと思います。
これからも沢山の方々に頼ってしまう事が多々あるかと思いますが、その時はどうぞ宜しくお願い致します。。

そろそろホントに終わりにしますね…これ以上いくと終わり方分からなくなりそうなので…。
それでは!ここまで読んでくださった心優しい方々、本当にありがとうございました!✨
そして、今回アドベントカレンダーにお誘いいただきました実樹さん、このような場を頂きありがとうございました!

これからも頑張ってまいりますので宜しくお願い致します!!

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