Stones alive complex (white Labradorite)
ホワイトラブラドライトは。
優秀なライフシナリオプログラマーだが、
どちらかといえばデバッグの方が好きだ。
プログラミングソードをペンにして脚本を対象のライフブックに書き込むが、
実質的には、それは既存のスクリプトを刃で削った後に刃先で刻み込んでいる。
各種観念サブルーチンたちとの仕様変更交渉力は、その右に出る者はいない。
けれど実はメインストリームを見下ろせるお気に入りの静かなオープンカフェにひとり座って、
絡みあいながら急ぎ足で稼働してゆくマンウォッチングならぬマインドウォッチングやら、
パッチプログラムのアイディア構想を妄想しつつボンヤリするほうが好きだ。
彼女が備えた機能を定義する表現は色々とある。
概念更新概念。
マインド構築マインド。
シナリオルーチン編集ルーチンシナリオ。
しかし内面ではそのいずれでもないと思っている。
その内面では、いまだに自分を未定義のプロトタイプのように感じている。
永遠にプロトタイプという基本の立ち位置は大切だが、
ライフシナリオの編集は、現実と向き合ったとき本当にはじまる。
彼女らライフシナリオプログラマーとして大切なことは、すべてリアルな現実から学ぶのである。
ホワイトラブラドライトは、これは真理であると日々感じている。
現実とは答えだ。
やっかいなのは、答えだけしか見せてくれないってとこだ。
「・・・すると・・・こうなる」の答えだけなら有り余るほど、至る所に転がっている。
だが、その答えを。
見えて感じる世界へ毎秒ごとに弾き出してる方程式プログラムの方は、
ブラックボックスの中にイントールされたオペレーションシステムと密着する近さにあって、
常駐するバックグラウンドアプリケーションとして強力にライフシナリオを動かす。
ライフブックで例えれば。
それが記述されているブラックボックスは、まだ読んでないどこか後半のページではなく。
本を綴じてる綴じ糸として、より合わされてる。
全ページを一貫して刺し貫き、束ねているものだ。
さらには。
答えを導き出す方程式の綴じ糸が固定するページの順番こそが最大の謎であり、
ホワイトラブラドライトにとって最大の関心事だった。
正常な方程式なら、
テーブルの上にコップを置いてからその中に水を注ぐ、
であるのに。
テーブルの上に水を注いでからその中にコップを置く、
の順で綴じられてるケースが多々ある。
奇妙なことに、
その奇妙なフローチャートで動かされてるものは、
奇妙なことをしてるとは思っていない。
なぜなら。
「それを奇妙だと思うな」というコードが条件分岐として付加されてるからだ。
自覚防止の奇妙なセーフティである。
極端な場合では、
水を注いだ上にコップを置いてからその中にテーブルを注ぐになってる。
その結果がどうなるかとは無関係に、日々粛々と無自覚に。
閉じて綴じて。
開いて拓いて。
シナリオブックは、
綴じた信念の順に目くるめく、めくられ続く。
ホワイトラブラドライトであっても、ひとつのアプリケーション。
初期状況ではデバッガー機能をメインとするプログラムコードだ。
彼女は自分自身を一種の人格のように感じるだけでなく、
実体のない夢のように観察することもある。
自分を俯瞰する視点のその夢の中では、
順がへんてこなバグまたはウイルスプログラムとでも、
同じCPUを仲良く並列タスクで使ってる条件反射関数として、
対等なロジック上にある。
時系列からは半独立のポジションにいるので、
矛盾をはらんだ解説になるが。
彼女は過去には執着しない。
今に執着する。
しかし、過去の影響が現在に至っているならば、
それは今の範疇として扱えることになり、そうならば執着はためらわない。
それに彼女にはわかっていることもある。
過去はもはや物理的に存在しないので変えられないが、
過去を今起こっていることと同列に並べて扱うだけで、
意識下へ再配置され、それは変わらざる負えなくなるのだ。
変えるとは、
ページの記述を書き換えるレベルから、
一部のページを引き破るレベルから、
綴じ糸を切り離すレベルまであり。
もちろん、
未知の内容が刻まれたページに差し替えるから、
違うメーカーのOSコードで綴じ直すまである。
綴じ糸とは、
本来ならば無関係に点在していたバラバラな物事を、
半ば無理矢理に根拠なく繋ぎ合わせるものだ。
そのこと自体には問題がなく、
生命のオペレーションシステムが世界観の認識を構築しようとする自然の成り行きだ。
問題があるとしたら、
先に例に上げたテーブル、コップ、水、の組み合わせ順。
それが常識という名の世界観として定着されるからだ。
ライフシナリオプログラムであるホワイトラブラドライトは、
こうしてデバッグ対象をデバッグしながら、
自己のシナリオコードもアップデートしていってるのだが。
それにまったく気づかないところが、いかにも良い意味で脳天気な彼女らしい。
いつもはるか先の切り替えポイントでしかその事が自覚できないというお気楽なパラドックスは、
何度体験しても純粋な驚きをもたらす。
(おわり)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?