きっと梅雨のせい

しとしと雨が降る午後は、母のことを思い出す。
アイロンがけをしながら、「雨の日はあれもやらなきゃこれもやらなきゃと思わなくて済むから好き」と言っていた。
子どものころはよく意味がわからなかったけど、大人になるとよくわかる。
お日様を無駄にしないようにと、あれもこれも今のうちに洗濯しておこう、とか
あれも掃除しておこう、これは天日干ししておかなきゃとか思わなくて済む。
母も日々家事に追われながら、がんばっていたのだろうなと思う。

まだ存命だが、長くリウマチを患っておりその症状を抑えるための薬を飲み、その薬の副作用を抑えるための薬を飲み。。。と薬漬けで病気のデパートと化している。
完璧主義者で、掃除には場所に合わせて雑巾が13本、それが母のタイミングで順次格下げされていくものだから、手伝おうにも手伝いにくいことこの上なし。
掃除も洗濯も料理も母のやり方でやらないとやり直しさせられる。

小さい時、学校から持ち帰ってきた上履きを自分で洗ったが、私の洗い方が気に入らなかったらしく、干してあった上履きをまたゴシゴシ洗い出した。
もちろん私はやる気を失い、もう自分で洗うことは辞めてしまった。
せめてその子が気づかないように洗えよ。
人の気持ち、というものがわからない人なのだ。

小学校のときに家に初めて私宛にクラスメートの男の子から手紙が届いた。
当時封書はたしか60円切手、でもなぜか40円切手で届いていた。
しかもピンクの封筒。
郵便屋さんが子どもの書いたものだし、と送り主に戻さず届けてくれたのかもしれない。ただそれが細かいことが気になる母親の印象に残っていたらしい。

それはいわゆるラブレターだった。
私は恥ずかしくて母には内容は言わなかった。
が、ある時「あれ、ラブレターでしょ?」と言いながら妹と一緒に私をからかってきた。
そんなふうにからかわれると素直に言い出すことも相談することもできず「どうでもいいでしょ」と適当にごまかした。

数年後、なにかを探していて母の引き出しをふと開けると、見覚えのあるピンクの封筒が見えた。また40円切手が貼ってある。あの時の封筒は私が持っているのに、なぜここに?と思い、中を見てみると、それは同じ男の子からのラブレター第2通目だった。
毎年夏にあるお祭りに一緒に行こうと、公園で私がくるまで待っているいう内容だった。しかしそれは数年前の話。
その子は一体どうしたのだろうか?
何も知らずに来るはずのない相手をずっと公園で待っていたのだろうか?
その子への申し訳なさと、母が私の郵便物を勝手に読み、しかもそれを私に黙ってずっと隠していたことに強い憤りを感じた。
信じられなかった。

小学生の男の子が勇気を振り絞って書いたラブレター。それをよくそんな風に扱えたものだと今だにその人間性を疑ってしまう。
しかも私はその子のことを残念ながら両思いというわけではなかったのだが、万が一私も彼のことが好きだったらどうしたのだろう??

これ以降、私は母に、いわゆる娘が母に相談するようなことを相談したことは一切ない。恋愛、結婚、出産…まあ、相談するようなことも起こらなかったのだけど。
キャリアのことは母に相談しても、まるで私が宇宙の話をしているかのように目がぐるぐるしているので、これはダメだとそれもあきらめた。

映画やドラマのように深い愛情や人生の気づきを与えてくれるような瞬間はこれまで一度もない。そういう時間を作れたらと、母との2人旅も計画したが、直前で母の体が嫌がったのか体調不良で直前キャンセルした。あたたかい母の愛情、を感じた瞬間を思い出せない。

でもそれもこれもきっと梅雨のせいだ、と思うことにする。


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