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となりの敷地の神白さん:第三話【シュガーバターサンド】

となりの敷地の神白さん:第一話【天ぷら①】

前話⇒となりの敷地の神白さん:第二話【天ぷら②】


次の日の、職場でのお昼時間。

小さな地域密着型の工務店である竹庭建設で事務員として働いている私は、「笹森 苺花(ささもり いちか)」という、自分の名札を首から外し、食事の準備をする。
鞄から、昼食のために作ってきたシュガーバターサンドを取り出す。

ラップに包まれたサンドイッチを一口食べると、我ながらバターと砂糖の分量が絶妙だ。砂糖のジャリジャリとした食感を楽しみながら、甘さを噛みしめる。

「今日はサンドイッチ?」

ふと、同じ部署の同僚にデスクの斜め向かいから話しかけられる。

事務の同僚である土浦 美里(つちうら みさと)さん。ボブヘアーの内巻きの茶髪に、白いブラウスに黒いカーディガンを羽織り、ウォームグレーのタイトスカートをはいている。
高校生の娘さんがいるベテランの主婦であり、よく私の事を気に掛けてくれる良き先輩でもある。

私の本日の昼食は、ラップに包まれたシュガーバターサンドのみ。
片や土浦さんは色とりどりの華やかなお弁当。

我ながら、女子力の欠片も無い。しかし、寒い時季に、「楽」なことはとても重要だ。

「はい。今日は帰ってから洗い物をしたくない気分で」
「あー、分かる。そういう日ってあるのよね」

叱らずに肯定してくれる土浦さんは、なんてやさしいのだろう。
そのやさしさに、神白夫妻を思い出し、私は何気なく口を開く。

「そう言えば……最近、お隣さんから天ぷらを頂くんですよ」
「天ぷら?」
「はい。これがめちゃくちゃ美味しくて…!」
「え。まさか、その天ぷらを食べたの?」

本当に何気なく言った言葉だったのだが、どうも土浦さんの様子がおかしい。
何か、信じられない話しを聞いたときのような…例えるなら、帰り際、急に課長に仕事を振られたときと、同じ顔をしている。

「はい。美味しかったです」
「いやいや、そうじゃなくて。その……気を悪くしないでね?赤の他人の作ったもの、よね?笹森さん、そういうの平気なの?」

指摘されてはじめて気付く。そんなことは、生きていれば誰しも経験があるだろう。
今の指摘は、まさにそれだった。
ああ、言われてみれば、神白さんと私は赤の他人。親戚でも無いし、共通の知り合いがいるわけでもない。
フレンドリーだが、言ってみてまだ、出会って数ヶ月の「他人」もしくは「知り合い」なのだ。

「……全く気にしてませんでした」

我ながら、警戒心がゼロだった。
「関東は怖いとこだから、気をつけてね」「知らない人に着いて行ったら駄目だよ」「鍵の確認、絶対忘れずにな」そんな言葉をくれた友人や親戚達の顔が浮かんでは消えていく。

しかし、心の底から「この人は大丈夫」と思ったのだ。
だから有り難く頂いた。

流石の私も、あからさまに怪しそうな人から食べ物は貰わないし、渡されても食べない。

「お隣さんは、衛生観念は普通にありそうでしたし、何より、天ぷらって高温で揚げてあるので、大丈夫かと思いまして」
「まあ、お腹を壊してないなら大丈夫……なのかしら」
「それに、お隣さんが私に毒を盛るメリットも無いかと」

土浦さんを安心させたいので、そんなことを言ってみた。
最近見た刑事ドラマで誰かが言っていた。
人が行動するには、なんらかのメリットが必要だとか…確か、そんなようなことを。
だが、私の意に反して土浦さんは心配そうな顔をする。

「それはなんとも言えないわよ?」
「そうですか?」
「快楽殺人者、ってのもあるからね」

ああ、確かに…!と、内心で頭を抱える。
人に自分の感情や思いを伝えることはなんて難しいのか。「大丈夫ですよ~。安心して下さい」だけでどうにか出来ないものなのか。
そんな時、会社の開けっぱなしの扉から、パーカーにジーンズというラフな格好の男性が入室して来る。
設計部の寿 護(ことぶき まもる)さんだ。
私と歳の近い彼は、いつも寝癖をそのままに出社してくるのだが、お客さんとのミーティングのときもそのままなので、よく上司にどやされているのを目撃する。

そんな寿さんは、コンビニ弁当と袋に入ったカットキャベツを抱えていた。

「あの……二人して昼時間になんて話ししてんすか」
「あ、寿さん」
「お疲れ様です」
「おつかれっす」

気怠そうに欠伸をする寿さんを見ていると、不思議と和む。
マイペースで、肩に力が入っていない様子が良いのかもしれない。

「まさか職場でそんなワード聞くなんて、流石に眠気も吹き飛びました」
「え、さっき欠伸してましたよね?」
「生理現象なんで」

淡々とした返しに、土浦さんと顔を見合わせ、笑ってしまう。

そこから、最近のドラマの話しや家の話しなど、別の方向に会話が展開していった。

図らずも、寿さんに助けられた。
彼にその自覚は全くないだろうが、今度資料作成で困っていたら手伝ってあげようと思う。

土浦さんと寿さんの話しに耳を傾けながら、シュガーバターサンドを口に運ぶ。
ジャリジャリと、砂糖が口の中で鳴る。

その甘さを噛みしめながら、昨日の天ぷらのことを思い出す。
ほんのりとした、やさしい甘さ。

あんなに美味しい天ぷらを作れる人が、あんなにやさしい笑顔を人に向けられる人が、あんなに赤の他人の私にまで細やかな気遣いを出来る人が、そんな物騒なことをするだろうか?

「いやあ、ありえないな」

誰にも聞こえないように、けれどどうしても声に出したくて、口の中で呟く。

物騒な考えを実行する人だっているので、注意をするに越したことは無い。
しかし、疑ってばかりよりも、信じた方が人間関係は広がっていくと思う。

今後は土浦さんの意見も参考にするとして、私のお隣さんは、きっと大丈夫だ。
その方が、しっくりくる。

私は残りのシュガーバターサンドを口に放り込む。
もう砂糖は無かったが、バターの香りが口の中に広がった。

⇒となりの敷地の神白さん:第四話【カレーライス】

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