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となりの敷地の神白さん:第二話【天ぷら②】

となりの敷地の神白さん:第一話【天ぷら①】

神白さんとのやり取りを終え、帰宅する。

賃貸の扉を開けてパンプスを脱ぐと、開放感にホッとした。
暗がりの中、スイッチを押して電気を点けると、ワンルームの部屋が照らされる。

シングルベットにローテーブル、座布団を置けば充分。といったくらいのスペースしかない部屋だ。
そのため、必要最低限のもの意外は置いていないし、買わないことにしている。
20代の一人暮らし女性の部屋にしてはシンプルな様子に、「理想と現実はうまくいかない」と言われているようで、自然と溜息が出る。

部屋で吐いたはずの息が白く、私は慌ててエアコンの暖房をつける。
寒いのは、苦手だ。冬の澄んだ空気はわりと好きだが、出来ることなら、冬の無い国で生活したい。
職場の同僚にそんなことを言ったら、「東北育ちなのに?」と言われたが、「東北育ちだから」なのだ。
恐らくあの人は、冬の雪かきの恐ろしさを知らないのだろう。

「はあ……」

最近、一人になると溜息が増える。
重い鞄を床に置き、コートをハンガーに掛けながら、「これは良くない」と、そう思う。
しかし、思ってはいるが、出るものは出てくるのだ。

そのとき、コートを脱ぐためにテーブルに置いた天ぷらが目に入り、思考が現在(いま)に引き戻される。
明日も仕事だ。こんな考え事をしている場合では無い。

そして何より、頂いた天ぷらは冷めないうちに食べたい。

先ほどの神白さんの顔を思い出し、さっそく夕飯の支度をする。
電気ケトルに水を入れてスイッチを押し、冷蔵庫の冷凍室からは、あらかじめ冷凍してラップに包んでおいたごはんを取り出す。
電子レンジの扉を開き、かちかちに凍ったごはんを入れ、解凍ボタンを押す。
便利な世の中だ。これで白米は、あとは待つのみである。

次に、茶碗を2個準備してから、ふと手が止まる。
天ぷらを塩で食べるか、めんつゆで食べるか……。悩み所だ。

塩をかけて食べるのも、個人的にとても好きだ。
ただ、今日のような寒い日には、めんつゆをあたたかいお湯で割って、その中に天ぷらをくぐらせて食べるのも捨てがたい。

せっかくなので、洗い物は増えるが、どちらの選択肢も活かすのはどうだろう。増えると言ったところで、せいぜい皿が1枚増える程度だ。
それに、天ぷらはタッパーに詰まっている。皿に移すと山になることは、予想出来た。
同じ味でその山を崩していくのも良いが、味を変えながらの方が2倍楽しめる気がする。

「……」

別に誰が見ているわけでもないのに、なんとなく贅沢をしているような背徳感で、身を小さくしながら、そっと平皿を1枚追加する。
例えるなら、台所に隠してあった誰かのおまんじゅうを盗み食いしたような気分だ。

江戸時代の盗人のようにほっかむりをした自分を想像していると、突然玄関のチャイムが鳴り、心臓が跳ねる。
実家から離れた場所でひとり暮らしをしている上に、知り合いも神白さんか職場の人達くらいしかいない状況なので、誰かが訪ねてくる予定なんてものは無いに等しい。

緊張しながら玄関モニターのスイッチを押すと、そこに映っていたのは神白一(はじめ)さんだった。
先ほどの、神白ともえさんの旦那さんである。
白髪交じりの髪に細い面長の顔。丸いシルバーフレームの眼鏡が印象的だ。
知っている顔にホッとする。

「はい、笹森です。どうしました?」
「郵便屋さんですよ~」

ニコニコしながら言う「郵便屋さん」という言葉に、もしや、と思う。
基本的に、神白さんがわざわざ足を運んでくれたときというのは、私に何かを持ってきてくれたときなのだ。

「あ、今行きますね」
「はーい」

扉を開けると、手に小さな巾着のようなものを持った神白さんが立って居た。

「こんばんは」

鼠色の寝間着に紺色のダウンを羽織っている神白さんの頬は、ほんのりと赤らんでいる。
もしかすると、湯上がりなのかも知れない。

「こんばんは。神白さん、天ぷらありがとうございます。今から頂きますね」

私がお礼を言うと、神白さんはにこりを微笑んだ。

「うん、うん。美味しく出来たから食べてみて。それでね、これを付けて食べても美味しいから、持ってきたんだけどさ」

神白さんのお宅は、旦那さんである一さんが料理担当だ。
時代を先がけた料理男子なのである。

「ええっ、貰ってばかりですみません。ありがとうございます」

そんな料理男子から手渡されたものを見ると、ラップに塩のようなものが包まれていた。
心なしか、薄らと桃色にも見える。

「これは…塩、ですか?」
「うん、岩塩。普通のお塩も美味しいけど、手に入ったからお裾分け」
「え、良いんですか!?ありがとうございます…!」

岩塩、という単語を聞いたことはあるしどんなものかは知っているが、食べるのは恐らく人生ではじめてでは無いだろうか。

「いえいえ、じゃあ、私はこれで」
「はい。寒い中、わざわざありがとうございます。ありがたく頂きます」
「いえいえ~。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」

お互い軽く手を振って別れ、神白さんの背を見送る。
思いがけない頂きものに目を向ける。

「贅沢だ……」

自前の塩とめんつゆの組み合わせよりも、数段お洒落なイメージの岩塩。
これはもう、今日は岩塩一択だろう。

- - -

自室に戻ると、お湯も沸いており、ごはんも解凍されていた。
先ほどまでの背徳感をすっかり忘れた私は、意気揚々とごはんと天ぷらをそれぞれ皿に移し、岩塩を平皿へ、味噌汁をお椀に準備する。

「いただきます!」

サクサクの衣に包まれたサツマイモの天ぷらに岩塩を付けて食べる。
甘いサツマイモの天ぷらと、岩塩のしょっぱさが身に染みる。
天ぷらの美味しさは勿論だが、普段の塩とは違う岩塩の特別感に、頬が緩む。

南瓜の天ぷらにも同様に岩塩を付ける。

……美味しい。美味しすぎる。

私は、天ぷらの美味しさと、初岩塩の感動を噛みしめながら、なんとも幸せな時間を過ごしたのだった。

⇒となりの敷地の神白さん:第三話【シュガーバターサンド】

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