見出し画像

抒情派フォーク名曲集①~マイペース、さだまさし、伊藤敏博、永井龍雲、鈴木一平、クラフト、冬子と夏子等11曲

前回、前々回と続けて「とんぼちゃん」について書いたので、その流れでその他の「抒情派フォーク」についてもまとめておこうというシリーズです。

個人的には、「抒情派フォーク」の双璧は「とんぼちゃん」と「NSP」だと思っているのですが、「NSP」についてはその内に。「双璧」と言っても両者の人気と知名度には格段の開きがありますが。

「抒情」(叙情)の意味ですが、大半の辞書には「叙事の対義語で、感情を述べ表すこと」と書かれています。これだと味もそっけもなく無味乾燥過ぎますね。Weblio辞書には、「広義の意味では非常に感慨深い様子、対象に対して情緒溢れるものを感じること、胸が締め付けられるような切なさを超えた深い感動を指すもの。」とも書かれていて、こちらの方が定義としてはしっくりきます。

もっとも、軽音楽的史には「抒情派フォーク」というはっきりしたジャンルや特別なムーブメントがあった訳ではなく、聴いていると「泣ける」「切なくなる」「悲しくて胸が締め付けられる」「哀愁を感じる」類のフォークソングをいつしか「抒情派フォーク」と総称しだしたという事のようです。

「抒情派フォーク」の全盛期は1970年代。それ以前の60年代フォークは、反体制学生運動と呼応する形で政治や社会、国家の在り方などに反対し、異議を申し立てる「プロテストソング」が主流でした。

これに対し、70年安保闘争の「敗北と挫折」を境に「全共闘世代」より少し後に生まれた世代は政治や政治・社会に対する関心が薄く、「三無主義」「シラケ世代」「ノンポリ」「個人主義」と呼ばれるような若者たちが増えて行きました。

若者たちの関心が社会などの外界から自分自身の内面へと向かう中で歌詞の内容も大きく変化。社会や政治問題を主題にした「プロテストフォーク」や「反戦フォーク」は急速に姿を消し、個人的な恋愛、失恋、友情、寂しさや孤独、過去の思い出などを歌う「私小説的」な歌が主流となって行きました。

この流れは以後も変わらず、1970年代後半、「抒情派フォーク」、「四畳半フォーク」、「アングラフォーク」「フォーライフ系商業フォーク」「日本のロック」などを包含吸収する形で、全く政治性のない所謂「ニューミュージック」全盛の時代へと繋がって行きました。

この辺りの経緯については、こちらの記事で少し詳しく書いています。

さて、前置きはこの位にして、肝心の「抒情派フォーク」の名曲を聴いて行きましょう。

マイペース 「東京」(1974)

当時、レコードが擦り切れる位何百回も聴いた抒情派フォークの代表曲。 東京が「美し都」と歌われていてちょっと驚きます。まだ「集団就職」も行われていた時代(集団就職列車は1974年が最後)、東京に何度も行った事が歌になる位ですから、「美し都」の実態を知らない地方に住む若者たちにとって東京は、遥かに遠い憧れの大都会だったのでしょうね。

マイペースは、1枚目のシングル「東京」がオリコンチャートトップ100に45週間ランクインするロングヒットになり華々しいデビューを飾りました。 しかし、残念ながら後が続かずシングル5枚、オリジナルアルバム2枚を残して解散してしまいました。確かに最初のアルバム全体を聴いてみても目ぼしい曲は「東京」以外には見当たらず、一発屋で終わってしまったのも仕方がなかったと思われます。

マイペース 「東京」(ライブ)

映像は、再結成して2011年『NHK歌謡コンサート』にオリジナルメンバーが3人揃って出演した時の映像。少し音ズレがあります。

さだまさし「檸檬」(1978)

歌詞の中に聖橋、湯島聖堂、(駅前の)スクランブル交差点、赤い快速電車と各駅電車のレモン色などの風景が散りばめられていて、お茶の水界隈で青春時代を送った(昔の)若者たちにはなつかしい曲ですね。御茶ノ水駅周辺は私大がひしめいていて、当時、駿河台にあったマンモス校中央大も八王子に移転するがしないかの時期で、「石を投げれば学生に当たる」という時代でしたから。

この曲がヒットしていた頃、聖橋から檸檬を実際に放り投げて電車との交差具合を確かめようとした輩が続出。夥しい数の檸檬が神田川に浮かんだという噂がありましたが、私は一種の「都市伝説」だとばかり思っていました。
後になって大学の後輩にこの話をしたところ、本当の話だと言うのでびっくり仰天。さだまさし本人が深夜ラジオ番組で、わざわざ「不法投棄は、おやめください。」と視聴者に呼びかける事態にまでなったそうですから、こうなるともう社会現象ですね。

神田川に浮かんでいた檸檬の多くが、齧りかけだったというのが笑えます。 この時投げられた檸檬が「盗んだ」ものかどうかは定かではありませんが、さぞかし酸っぱかった事でしょう。作品のベースとなった梶井基次郎「檸檬」では「一つだけ買うことにした。」と書かれていて、「盗んだ」ものではないのですけどね。

画像1

御茶ノ水駅と聖橋                                  

伊藤敏博「サヨナラ模様」(1981)

まさにエレジー(悲歌)という言葉がぴったりの名曲で、歌い出し冒頭の比喩表現が素晴らしいです。初めて聴いた時、このままゆっくりとしたスローテンポで最後まで行くのかと思ったら、途中で別の曲のようにアップテンポに転調して、これでもかと女性の悲痛な思いを歌い上げる曲構成には感心しました。
作詞・作曲者の伊藤敏博は、この曲のヒット当時は国鉄の鉄道員。安定した職業の国鉄マンがフォーク歌手に転身という事で話題になりました。

永井龍雲「心象風景」(1978)

永井龍雲は大ヒット曲こそないものの、デビューした1970年代末から地道に抒情的世界を歌い続けているシンガーソングライター。「心象風景」は、3枚目のシングル「ひと握りの幸福」のB面。A面よりB面の方が遥かによいというシングルは数多ありますが、この曲もその一つ。

美しいメロディと共に、後部車両のデッキから見た語り手の心象風景と、目の前を通り過ぎる汽車が「君にすれば引幕のように」という比喩で表現される女性側の心象風景とが対比的な合わせ鏡のようになっていて、歌詞にも深みがあります。語り手の悲痛な悔恨を感じさせるラストの歌詞が泣かせます。

鈴木一平「黄昏の中で」(1980)

こちらも「水鏡」のB面。A面にばかり光が当たり過ぎて陰に隠れてしまっているので、文字通りの隠れた名曲です。

鈴木一平「水鏡」(1980)

鈴木一平最大の、そして唯一のヒット曲。多くの歌手にカバーされています。

鈴木一平「雨の糸」(1982)

5枚目のシングル。アップテンポの軽快なリズムとアレンジであまりそれとは感じさせませんが、この曲もマイナー調の曲です。

冬子と夏子「鶴」(1973)

佐渡の伝説とそれを元にした木下順二の戯曲「鶴女房」(夕鶴)をモチーフにした美しいバラード。元歌である仲宗根美樹の「恋しくて」もユーチューブにアップされていますが、全く別の曲のように聞こえます。
発売当時、宣伝のために、ハガキで申し込めば無料でレコードを進呈しますというTVのキャンペーンをやっていて、私もこのレコードを送ってもらい今でも持っています。

クラフト「僕にまかせてください」(1975)

「抒情派フォーク」第1回のラストは再びさだまさしの曲です。流れるように美しいメロディに三井誠の泣き節とビアノがぴったりマッチしています。森谷有孝の哀愁を帯びたマンドリンもいいですね。           物悲しいメロディとは逆に歌詞の方は、抒情派フォークには珍しく前向きな明るさを感じさせます。さだまさしは、この曲のように超マイナー調の曲を書かせると超一流ですね。

クラフト「僕にまかせてください」(ライブ)

クラフトが、TVK『ヤングインパルス』に出演した時の貴重な映像。   よくぞ残しておいてくれたものです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?