日記:祖父の猫
注:この話には動物とのお別れの話、少し残酷な内容を含みます。
猫が好きだ。猫の持つ可愛さや愛嬌の良さは大勢の人間から愛されてきたことだろう。でも私にとっての猫の良さというものは他人とは少し違う。それは少し汚れた野良のような猫が好きということ。立派な家で丁寧に世話された幸せそうな猫も良いが、私の心を惹き付けて離さないのはつやつやの毛並みでも丸々とした瞳でもない。少しその話をしようと思う。
私が唯一猫と関わる機会、猫と触れ合う原体験、それは祖父の家に住まう猫たちだった。祖父の家は実家から車で10分という比較的短い距離にあり、幼い頃から頻繁に家を訪れていた。物心ついた時から家にいたのはアメリカンショートヘアのアメと真っ白なシロ。祖父のつける名前はいつも適当だった。2匹は基本放し飼いで、特に人懐っこいアメは幼い私の遊び相手だった。シロは人見知りが激しく、ほぼ毎日やってくる私をいつまで経ってもよそ者扱いしていた。
シロはいつしか天寿をまっとうしたが、人懐っこいアメはある日見知らぬ人の手のイタズラによって尻尾を骨折させられてしまい、それがきっかけとなって帰らぬ猫となってしまった。半野良のような猫が辿る運命なんてそんなものなのかもしれない。2匹が亡くなって10年以上経つが、今も祖父の家に上がれば無邪気な私に背を撫でさせてくれたアメ、壁を引っ掻いて怒られていたシロ、あの頃の景色が蘇る。
それからしばらくして、叔父が1匹の捨てられた子猫を連れ帰ってきたらしく、また祖父の家には1匹の猫が住み着くようになった。今度も白いから、名前もちびしろ。アメの時に余程反省したのか、祖父はちびを首輪に繋いで外すことが無くなった。家の玄関が少し広い庭のようになっていたので、昼の間は玄関に繋いでそのまま放っていたのだ。幸運なのか哀れなのか、拾われた子猫は家の玄関の前でぼんやりくつろぐだけの一生を歩むことに。その頃の祖父は歳をとり、元気に世話をする体力を失い、ちびに寝る場所とトイレ、餌だけを与えるようになっていた。あまりにも退屈そうなその姿に、その頃には中学生になっていた私は、一度見るに見かねて「猫に散歩をさせるんだ」などと言ってリードを持ってちびしろを自由に歩かせたりしたものだ。祖父の家に餌だけ貰いに来ていた半野良と喧嘩したり、見知らぬ世界…といっても家の庭程度だったが、を軽く見せれば、祖父が言うには私が帰ったあとには「ちびしろが力尽きて寝ていた、大いびきだった、余程はしゃいだんだろう」と。あれがちびしろにとって良かったのか悪かったのかは分からない。ちびしろもまた人に懐く猫で、誰も汚れを気にかけてやらないため抜け毛だらけで薄汚れたちびの額を良く撫でていた。
もう1匹、餌だけをもらいに来ていた半野良。台風の時には家の中に入れてやるなど、祖父は相当気にかけていたがついぞケージの中だけには入らず、決まって庭に来ては下手な声で鳴き、餌をもらってはふいにどこかへ行ってしまう猫だった。生まれつき耳が聞こえないようで、名前はつんぼ。祖父の名付けの適当さもここに極まれり。私が実家を離れてしまってからは祖父の家に顔を出すことも少なくなり、それでも盆や正月に家を尋ねれば餌だけをもらいに来ていた猫をよく見かけていた。今は名前も姿も見えない、もう天寿をまっとうしてしまったのだろうか。どうかそうであって欲しい。野良にしては程よく世話された幸せな野良だった。夏に庭先でセミを叩き落として遊んでる姿を見て、うちのちびしろもこんなことが出来るのか、いやあいつは一日中寝ているでぶだから、さすが野良は動きが違うなどと家の中から眺めている人間にそう会話される程度の、ささやかな幸せがあの半野良にはあったはずだ。
そんなのばかりを見て育ったものだから、私の好きな猫は半野良だか雑に飼われているかの、毛だらけの薄汚れた、のびやかに生を謳歌する、いつも嫌そうな目で人間どもを眺めてる、でもどこかで勝手に人間どもに愛されていそうな雰囲気、そんな猫。
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こんな話をしようと思ったのは、今年の盆、ついにコロナ明けということで久しぶりに祖父の家を尋ねたからだ。玄関に着くや否や、どうもいつも出迎えてくれたちびしろがいない。どうしたと妹に尋ねれば、去年死んだ、とだけ聞かされた。コロナの流行している間にさらに歳をとり要介護者になった祖父と、その事で手一杯な家族を前にしてそれ以上は何も聞く気が起きず、そう、とだけ答えた。逝ってしまったのなら教えてくれても良かったのに。忙しいから仕方ないか。
ちびしろを最後に見たのはいつだったか上手く思い出せない。ああ、撫でたら汚れるからよしておこうなんて思わず、最後に会った時に顎でも撫でておくんだった。ちびしろと私との関わりなんてあまりにも薄く、希薄なものだった。祖父の家から帰る時にチラッとちびしろを見て、ちびしろはそんな事お構い無しにあくびをする。気が向けば軽く触ってそれっきり。でもそれが私にとっての猫の全てなのだ。アメにもシロにもつんぼにもない、ちびしろだけの魅力。どの猫の事も好きだったが、何よりも私はちびしろの事が大好きだった。私の少年時代を、本当にあるかないか程度の微妙な距離感で過ごしてくれたちびしろ。重ねた年月が他の猫とは違う。
だから、だからこそ気がついたらまるで魔法にかけられたかのように消えてしまったちびしろが痛いくらい心に染みた。ケージが取り除かれて広々とした玄関の景色が私の心を襲った。この世からいなくなってしまって半年も経ってから、ぽつりとその事を聞かされるだけなんて、最後の最後まで私とは関わりが薄かったことがちびしろらしい。
ちび、オマエは拾われてきて幸せだったか?おれはオマエが来てくれて幸せだったよ。ありがとうね。
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