他人の感情

『うまいこと「自分が一番正しい顔」をして上手にいきていける人は幸せだ。
それ以外の正論がないとして生きていけばいいだけなのだから。
ただそれを声高にいうのは間違っていると思う。
あくまでも道徳は個人や、狭い範囲だけのものであって、倫理とは大きくずれる可能性があるもの。
思う限り、私は私の中に彼らと同じ道徳を持ち合わせていない。』

私が自分の発達障害、ADHDに関してその要素を認めつつ治療をしていない頃に書き出した内容だ。
自分と他人との間で、前提条件があったにも関わらず、それを忘れて私が責められることがよくあった。またそれに苦しむことが多かった。それを思い出した時にメモに残しておいた。

ここ数年の間で、であれば
1.あくまでタイミングの問題(スタート時に私はいて、相手が居なかった)で、人数が固定される集団の中にいたら「ミツコが俺のことを悪くいったせい俺がはずされた」
2.同居している相手(夫)が仕事にいけない状態が続いたため、「将来が不安だからフルタイム勤務になる」と告げた上で勤務形態を変更したが、後に「どうして自分に黙って仕事を増やしたのか」と冷戦状態になった。
3.私がいない場での暴言がきっかけで分裂した間柄について、「ミツコさんが悪い」と名指しされる。
4.(SNSに画像をあげるのは)リスクがあるからしないほうがいいんじゃない?→なぜか私がばら撒いたことになる。等。

おそらく私が変な人にホイホイ絡まれているのも、大きな問題点としてはあるとは思う。
ただ、共通点として彼らの言い分は「私・俺のせいじゃない、悪いのはミツコ」になることであった。
そして恋愛の相手でも同性の相手でもなく、ただの1集団の中の男性とも上記の内容が起こるので、正直とてもめんどくさい。

「定型」と思われる人間に対し恐怖を覚えたり、最終的に私自身への悲観により、メンタルがマイナス方向にぶれる原因になることが多い。

まず、感情に任せて解決に向かうはずの道筋を、ひたすら塞ぐ言動や行為を続けられること。

私は「状況・前提条件を伝えた」のに、齟齬が起きていること自体が問題だと思っている。
そうなると状況・前提条件の「内容の認知」の確認を最優先事項として置く。

上記の例であれば
1.「あなたはまだ居なかったよね?」(他の人もなぜミツコさんに怒ってるの?となっていた)
2.「フルタイムになると伝えたよね?」(ログで残していた)
3.「私がその場に居なかったの、あなたは知っているよね?」(相手はいた)
4.「私は見ていないけれど、と最初に言ったよね?」(ログで残していた)

ログ等があれば、それを使って「内容の確認」をするのだが、そこを彼らはなぜか上手い具合にスルーするのだ。
私にはできない技術なのでなんとも言えないが、どうやってか彼らはスルーをする。
「ちがう」「そうじゃない」「そこを言っているんじゃない」と言って確認を投げ捨てられるのだ。
そして「揚げ足取り」「言い返し」と認知され最終的に「火に油をそそぐ」結果になる。

もう一つは、相手が本能や感情に任せて「何か」を忘れてしまうこと。

彼らは、驚くほどに感情に実直だ。
感情に実直なあまり、「争点前の前提」をきれいにさっぱり忘れるか、再度伝えてもうまい具合にスルーする。
ナウシカで王蟲が目を真っ赤にして走るが、彼らはまだ理性を即時に取り戻す。
その点、蟲の方がまだ話が通じそうである。実際は虫だめだけれど。
ログ等の具体的な証拠をみせてもそうなってしまうと、もうお手上げである。

ここまで書いて気付いたのだが、彼らが求めているのは「自分の絶対的優位性」なのではないか。
私が求めているのは前提を確認した上で「対等の立場」であることを理解してもらい、その後齟齬があった部分に関して納得の行く解決を求めている。

それはかみ合わないわけだ。
相手は「自分は悪くない、自分には非がない。じゃあ他に原因があるはずだ。」この考えが原理にある。
私は「お互いに勘違いをしているところがあるかもしれない。どうして今の状況になっているのか」の答え合わせをしたい。
その場に関して相手の結論は「ミツコが悪い」以外何もない。
「ミツコが悪い」、で自分が納得できればいいのだ。
実際上記の例に関して「ミツコさん悪くないよね?」と必ずに近いレベルで他人に言われる。
もしかしたら相手にも言っているかもしれない。それは別にかまわない。

交通事故でさえ10:0はない。しかし、それを理解できる人間は少ないのかもしれない。

自分を悪く思う人がいる、という場面に私は相当数立ち会ってきた。
学校でも、バイト先でも、職場でも。
過去に抱えてきた問題、今なお抱えている問題、私の記憶の中でまだ続いている問題は「私と他人」の間に生まれているものが多い。
そしてそれによって疲弊・落胆する場面があまりにも多かった。
アドラー心理学のとある本の中に「人間が抱える問題は、すべて対人関係上の問題であると考える。」という内容があった。
私は今の時点で、人とは「浅く広くも狭く深くも関わらない方がいい」と思っている。
おそらく、この先関わる人にとって私という存在は「よくもわるくも」なるからだ。

私は今後も、他人からの「ネガティブ」な感情と出会うことがあるだろう。
そこに対して対処は「なるべく人と関わらない」というある種の「予防」に近い。
その「予防」も上手くいかなかった場合、どうするか。
これに関しては今後も課題として残り、そして答えの出ないものになるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?