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夏の大詰めに百物語の成立を回避した私のライフハック

今年の8月末のこと。
私は百物語の成立を回避することに成功した。

事の経緯を説明すると、私は先月末に『新耳袋』を読んでいた。
この『新耳袋』は、現代の怪談・奇譚を99話集めた掌編小説集である。
あたかも百物語に参加しているような読書体験を味わえる。

『新耳袋 第一夜』

さて、ここで、こんな風に思われた方もいらっしゃるだろう。

「99話しか入ってないなら安全でしょ?」

そう、仰る通り、この本の中に怪談は99話しか収録されていない。
これだと、『新耳袋』を読んだだけでは、原則として百物語が成立しないように思われるだろう。

しかし、私は原則の枠を超えて生きる女である。
私は、この本を読む直前に『犬神家の一族』を読んでいた。
この物語には「ミステリー」という分類が当てはまると思うのだが、見方によっては、若干ホラー枠としてもいける気がする。

と言うことは、ここで怪談を99話連続して読むとなると、不覚にも百物語が成立してしまうのである。
なんてこった、これは大変だ。
私は焦った。

問題となった『犬神家の一族』

「いや、犬神家はホラーじゃないでしょ」と、冷静なツッコミを入れてくださる方もおられるかもしれない。
しかし、この時の私は、百物語の完遂に伴う霊的な体験を、なんとしても回避することしか念頭になかった。
考えてもみてほしい。
霊側から、何が怪談として判定されるかなんて分からないんだョ。。。

どうしようどうしよう、呪われちゃう(泣)、とパニックになる頭を半狂乱でフル回転させ、結果、ついに素晴らしいと思えるような対策を見つけてしまった。

百物語の途中で、怪談じゃない話を挟めばいいのではないか───。

『新耳袋』に収録されている作品を50話くらい読んだあたりで、何か別の話をぶち込むことで、場に溜まった霊的エネルギーを中和することが出来るはずだ。

ここで肝心なのは、先ほども述べたが、あちら側にとって何が怪談という判定になるかわからないので、なるべく恐怖の感情が湧き起こらないものが良い、ということ。
出来れば、可能な限り能天気に明るくて、馬鹿笑いできるような、そんな───。
早く、早く新しい物語を用意しなければ。

その後の私の行動は早かった。
自分の部屋に行き、本棚の積読本が並べられている一角に向かい、にわかに手を伸ばしたかと思うと、「これなら間違いない」と思われる一冊を手に取ったのである。

それが朝井リョウ『風と共にゆとりぬ』だった。

希望の光、『風と共にゆとりぬ』

著者のエッセイは今までに『学生時代にやらなくてもいい20のこと』、『時をかけるゆとり』を読了済みであったが、これらの著作に見られる軽快にしてコミカル、おふざけアクセル全開の語り口で描かれる日常の出来事が、この場合には最も除霊に適していると判断した。
今回のエッセイも、きっとそんなノリであろう。
そんなノリであってくれ。
そういう訳で、私は『新耳袋』を半分ほど読んだあたりで、『風と共にゆとりぬ』に収録されているエッセイを一篇、拝読した。

かくして、9月も半分ほど経過した。
『新耳袋』を読み終えてから既に半月ほど経ったことになるが、私の身の上には、今のところ特に何も不可思議なことは起こっていない。
これは、百物語に起因する怪異を回避することに成功したと言って、ほぼ間違いないだろう。

今は楽しく『風と共にゆとりぬ』の続きを読ませていただいている。

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