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日記の迷宮

日記ってなんだっけ

ここ1週間くらいについての日記を書こうと思ったんだけど、なにがあったか忘れてしまった。
そもそも、1日の終わりに日記というのは書かれるものでは?

とりあえず思い出せるところで言うと、おなかを壊していた。
夏が近づくとおなかを壊すことが多い。
急に暑くなって体温が上がったあと強い冷房にさらされたりしてると、自律神経がおかしくなっちゃうんだと思う。
もともと頭も狂ってるのに、自律神経も狂ってて、あと一個なにかが狂えば大当たりという感じか。(スロットならね。)

医者に行って下痢止めとビオフェルミンをもらってきて、症状は改善された。
ずっとうどんとかおにぎりとか、油をつかっていなくて体が冷えなくて、消化にいいものを食べていた。
今は反動でポテチやらパウンドケーキやら食べている。
めちゃくちゃおいしい。油っておいしいな。
味が濃いものもおいしい。
コーヒーもおいしい。
体に悪いものが好きなんだねえ。別に不健康になりたいわけじゃないのに。

……という日記を書いたのが、今から2週間くらい前の話。
だから日記ではなくて、回顧録?
思い出?

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海の夢ばかりみる

海が出てくる夢ばかりみる。
夢の中の海は驚くほどきれいで、エメラルドグリーンであったり、淡い水色であったり、深い青であったりする。
自宅の目の前が海であったことに気づく夢をみて、
目が覚めてからそんなわけがないことを嘆いたり、
白い砂浜の浅瀬で打ち寄せる透明な波をうっとりと眺めて、
目が覚めてからずっとあの場所にいたかったのにと思ったりしている。

どうして私をそこにいさせてくれないの?

悪夢ばかりみていた時期もあったから、
それに比べたらずっとうれしいけれど、
あの海へ行くことができるかどうかわからないからとてもさみしい。
現実の世界が嫌いなわけじゃない。
ただ、不安なことだらけだから、怖い。

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怖い

いつも嵐にほんろうされるように生きてきて、
主体性がなかった。
それは簡単に言ってしまうと親との関係がうまくいっておらず、
自分の感情を親に伝えたときに、
「そんなはずはない、ほんとうはあんたはこう思っているはずだ」
などと言われ続けたせいで、
自分の感情がわからなくなってしまったからなのだけれど、
そんなこと他人は知る由もない。
だから私の主体性のなさを、笑って楽しんでいる人たちがいる。
その人たちに悪気はない。
私のことを嫌いですらない。
ただ、「なんでそんなこともわからないのか、どうして自分で決められないのか」と不思議に思っているだけだ。
そして、自分より劣った存在を見てほっとしているのだ。
その気持ちはわかる。でも、私には私の事情があって、笑われるために生きているわけでないのでやめてほしい。

主体性のなさは悪い人間に利用される危険を引き寄せる。
悪い人間はすべてを他人のせいにすることが得意である場合が多い。
そういう人間に目をつけられると、
主体性のない人間は、どんなにひどい目に遭わされても、
「自分が悪いのだ」
と思い込むことになる。

……という感じのことを乗り越えてここまで生きてきた。
今は、他人に利用されているなと思ったらその人と距離を置くことができるようになった。
しかしまだ人間が怖い。
自分自身も怖い。
自分がなにをやらかすかわからない。
未来が怖い。
なにが起こるかわからない。
どうしてみんな狂わないでいられるの?
明日、急にすべてを失うかもしれないのに。

心配しないで

心配しないでほしい。
私は今、職業訓練校に通ってスキルを身につけている途中だし、
そこで友達もできたし、毎日楽しく暮らしている。
お金はないけど。
充実した日々を送っていて、笑うことも増えた。
就職できるかは不安だけど、まったくなにもないよりはずっといい。
勉強して、資格も取って、そうしたらきっとどこかには就職できるはず。

でもね、不安は消えないし、怖いのは変わらない。
だから私はあの海に行こうと思う。
いつか、もうどうしようもなくなって、
誰にも頼れなくなったら、
あの夢のなかの海に行こうと思う。
そしてもう帰ってこない。

心配しないで、そんなわけないんだから。
そう思い込んでいたいだけだから。
でもね、もし私がもう帰ってこなくなっても心配しないで。
あの海にいるから。

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