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信心深い家の子ども


今村夏子さんの小説『星の子』は、体の弱い娘のために両親がおかしな宗教にハマるお話。特別なお水を沁み込ませたタオルを頭の上に乗せて生活するという、突拍子もない、いかにも胡散臭いものだ。しかし子どもからしてみれば”そういうものだ”と、特におかしな事だとは感じていない。


以前女優の清水富美加さんが宗教専従の道に進むため芸能界を引退した。周りから見れば人気女優の地位を捨ててまでなぜ‥?と思うだろうが、聞けば家族で信仰していたとの事。清水さんにとってはまさしく”そういうものだ”ったのだ。


私にもそんな経験がある。
祖母は神道の熱心な信者だった。自宅の和室には”天照大神”の大きな掛け軸がかけてあり、家族はその部屋を”御神前(ごしんぜん)”と呼んでいた。御神前には神様からいただいたお水”御神水(ごじんすい)”が一升瓶に入って置かれ、普通に飲んでいた。両親は家業で忙しくしていたため、私はおばあちゃん子で、月に一度は祖母と教会所へお参りをした。

家でも、御神前で神様に手を合わせ朝晩の挨拶をしたり、お願い事をした。
何を拝んでいるのか、それにどういう意味があるのか、そんな事は分からなかった。ただ”そういうものだ”と思ってやっていただけだ。私が高校生の頃には祖母は周りから”先生”と呼ばれるようになっていたので、相当熱心な信者だったのだろう。母は祖母の信仰をあまり良くは思っていなかったように思う。


そんな母が熱心に通っていたのは”朝起会”だ。朝起会は宗教ではないが、家族の幸せを願っての事だったろうと思う。夏休みになると私も一緒に朝起会に行き、母たちが修行をしている隣の部屋で宿題をした。
朝起会に通う家の子ども達が集まる会にも行った事がある。ゲームをしたり、朝起会に通ってこんな良い事がありました的な話を聞いたりした。行きたかったわけではなかったが、親が朝起会をしているから行くのは当然、”そんなものだ”と思っただけ。会場がたまたま同級生の家の近くだったので後日その事を同級生に話すと、「へぇ、そんなのがあるんだぁ」と言われ、これはあまり人に話すべきではないのだな、と子ども心に悟った。


朝起会の次は”御大師様”だ。そこには”先生”と呼ばれる人がいて、母はそれこそ右の物を左に動かすのも(少し大袈裟だが)、先生に電話してはいちいちお伺いを立てていた。私はその頃はもう大人だったので、さすがにそんな母の事を滑稽に感じた。父が病に倒れて一番先生を必要とした時に何故か先生と疎遠になってそれきり、自宅から御大師様のグッズが消えた。何があったかは知らない。


信仰熱心な家の子どもであった私が信心深い人間に育ったかというと、そういうわけではない。ただ、祖母や母が家族のために一生懸命精進したおかけで、今の私があるとは思っている。信仰って”そういうものだ”もの。
周りから見ればそういう思考回路こそが、宗教っぽいのかも知れないけど。



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