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サイレンが鳴ると


結婚して今のところに住んで以来、我が家の近所で2度火事があった。どちらも火元のお宅は全焼し、2度目の時は亡くなられた方がいた。


1度目は我が家の斜め前のお宅。1月の終わりの寒い明け方だった。我が家は1階が旦那さんの仕事場と駐車場で、2階3階が住居だが、私たち家族の寝室は3階だ。そのため火事に気付かず寝ていた。近所の方から電話がかかってきて初めて知った。
慌てて外へ出てみると、既に地元の消防団の人たちや消防車、そして野次馬の人たちでごった返していた。

これだけ騒がしいのによくもまぁ気付かずに寝ていたもんだと、ちょっと可笑しくなったくらいだ。しばらく野次馬感覚で見物していたら、風向きが火元の家から我が家の方へと変わり、火の粉が降ってくるわ、電線を伝って火が我が家にも回るかも知れないわで、おちおちしていられなくなった。近所の人に家に入って大事なものを取って来た方が良いと言われた。子どもたちは「どうなるん?うちも燃えるの?」と泣きながら聞いてきた。

「どうなるか分からないけど、燃えたら燃えたで仕方ないからね。泣かなくていいから。」と、家の中へ促した。

さて、何を持って行く?
お財布、通帳、印鑑、あとは何だ?大事な物って何だ?

いざとなったら物じゃない。命だ。思い出だ。
家族の、子どもたちのアルバムを持って行きたいと思った。全部は無理、何冊かだけ。子どもたちは子どもたちで、自分の大事な物をカバンに入れる。ランドセルは?うん、とりあえず持って行こうか。いや、無くていいや。


そんな会話があった気がする。実はよく覚えていない。焦っていたのだ。
とりあえず荷物を持ち外へ出た。

近所の人が、「風向きが変わったよ。多分もう大丈夫」と教えてくれた。
良かった。焦った。怖かった。

全焼してから約1週間は燻り続け、その間消防団の方が見回りをしてくれた。



2度目は、我が家の斜め裏のお宅。やっぱり寒い冬の日だった。私は夜に洗濯ものを干す。干場は3階。その日洗濯ものを干していると、家の裏がやけに明るく感じた。何だろうと思っていたら消防団のサイレンが聞こえた。どこかで火事かしら?そう思っているとみるみるサイレンが近づいてくる。それも1台や2台じゃない。


え?近い?そう思った時、家の裏で火柱が上がった。明るかったのは火事だったからだ。すぐに旦那さんと子どもたちを呼んで逃げる準備。「うちも燃える?」「分からない。燃えるかも。とにかく急いで」

荷物を持って外に出た。近所の人が、車を移動しといた方が良いかも言うので駐車場から出す。我が家の隣の家の裏に火の手が迫る。次は我が家。どうなる?
四方八方からホースで水をかける。かけてもかけてもまた火の手が上がる。風は?不思議なことに下から上に吹いている。火は上に上がるけど横には広がらない。

もう大丈夫。良かった。怖かった。


火事の後しばらくは、毎朝目が醒めると安心した。夜の火事を2度も経験したので夜が怖くて、無事に朝を迎えられるだけで感謝の気持ちだった。

それでもサイレンはいまだに怖い。夜のサイレンはもちろん、昼間仕事中にサイレンが聞こえてくるとビクッとして窓際へ見に行く。もちろん何も見えない。サイレンの音の行方に耳をすます。もしかしたら我が家が燃えてるのではないか、今日家に帰って家が無くなってたらどうしよう。サイレン一つでそんなことまで考えるようになった。トラウマだ。


火事は怖い。荷造りは無駄になったけど、無駄になって良かった。思い出を無くさずに済んだ。



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