マガジン一覧

アントロポゾフィの読書会

mitteの庭で開催される読書会のレポートです。

会員への手紙 1

今から99年前、ルドルフ・シュタイナーが普遍アントロポゾフィ協会の会員に向けてあてた18通の手紙。 「普遍人間学」を読み終えて、 次に読み進めていくのはその「会員への手紙」です。 この手紙は、シュタイナーが亡くなる直前まで送られたといいます。 とても切実な想いをシュタイナーは抱えていたのだと思います。 初めは小さな集まりから始まったアントロポゾフィの営み。それは静かに穏やかに、外からの妨げなしに進んでいました。 しかしそのうち熱心な学び手たちが芸術を通して、このアントロ

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普遍人間学 第5講レポート その1

わたしたちのこころの技量、考える、感じる、欲するということは、それはそれ、これはこれ、という風にはっきりと分かれていない。 これまで、「考える」ということはどういう働きか、また「意欲」ということはどういう働きかということをじっくりと見て来たが、実は、この「考える」働きは、全き考える働きだけではなく、その根っこには「意欲」の働きを底流としていることがわかった。 また、反対に「意欲」の働きも同様に「考える」働きを底流としている。 そうでなければ、人は人としてあることはできな

7つの意欲② 人間学 第4講

 しかし、人が「動機」を繰り出すとき、それだけではなく、そのもとに何かが静かに響いています。 その静かに鳴り響いているものが、「願い」というものです。 「願い」は精神の領域から鳴り響く意欲です。 「動機」から何かをなすときに、さらによく為す、あるいは間違えて為す「願い」が、「動機」意欲の下にいつも鳴り響いています。 「願い」というと、うまく為すことへの思いのような気がしますが、この場合、間違えることへも響く「願い」なのです。 それは、うまくやりたいことが成功しても、

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7つの意欲①  人間学 第4講

オンライン読書会ルドルフ・シュタイナーの「普遍人間学を読む」のレポートです。 長いので、2回に分けて投稿します。 今回は人間の「意欲」とは、一体何かということについて、学んでいきました。 私自身、現在の教育現場で子どもたちに一番大切に育むべきものは、「意欲」ではないだろうかと、ここ数年は実感していました。 ただ、それは学ぶ意欲であったり、世界への好奇心であったり、子どもたちがワクワクして学ぶ場所はどうやってつくられるのか、といった私の思う日本の教育の課題の1つとして存

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えんげき塾 ことばの泉

親子えんげき塾 ことばの泉 言語造形を通して私たち自身がまっすぐ立ち、明瞭にことばを放つ中で、感じたことを綴ります。

音がその音としてなりたい音

私たちことばの泉の言語造形は、今、来年の3月の公演に向けて、練習を続けています。 今日は、その練習日。 キリスト生誕劇、古事記と2年にわたって、言語造形に取り組んできましたが、まだまだ言語を造形することってどういうことなのか、暗中模索中です。でも、これまでやってきたことは決して無駄ではないことを今日は感じました。 物語を語るとき、言語造形をするとき、まず手放さないといけないのが、エゴなのだと思っています。自分の話し方のクセや、物語に感情移入してしまうがために、変な抑揚が

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なめとこ山の熊

言語造形で取り組む、宮沢賢治の「なめとこ山の熊」。 コロナ渦を過ごしながら、これまでとは違う意識でことばの泉も動いています。 社会的なメッセージや誰かのためにやるのではなく、 私たち自身のためにやる。 という原点に戻り、思い切り楽しんでいます。 とりあえず、3月28日の発表に向けて練習に励みます。 この「なめとこ山の熊」は、猟師の小十郎と熊のお話です。 今日もひとりで練習をしながら、「いのち」のやりとりについて、 とても心に迫るものがありました。 「おまへは

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言語造形と宮沢賢治

長い梅雨の日の言語造形クラス。 宮沢賢治の「なめとこ山の熊」に取り組んでいます。 言語造形をすると、からだの細胞まで 楽しい!うれしい!気持ちいい!と言っているような感覚。 呼吸が深くなるからかもしれませんが、「音」と「響き」というものが 私たちのからだに深く染み渡って、命の源にエネルギーを注いでいるような気がします。 言語造形は、私たちの物質的な口から音が外に伝わるだけではなくて、肉の耳では聞こえない音をいっしょに空間に響かせていく。 一体どうやってするんだ!と

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あたらしく、はじまる。

昨年の12月、ちょうど半年前。 2019年の公演を最後に、ことばの泉は長い間お休みしていました。 そして、今日。 ひさびさの活動再開。 言語造形に、いや芸術自体に触れる機会からから遠のいた日々。 その日々を経ていま、自ら湧き上がる純粋な衝動とともに、再び言語造形がはじまりました。 半年ぶりのことばの世界。 空間に響く音韻の世界。 満たされる。 ひさびさに言語造形をして、 「わたし」が 体の中の まぎれもない私の席にすわる。 そんな感じがしました。 そして、

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mitteのひとりごと

スタッフの日々、想うことや気づきを、思うがままに書いていきます。

つれづれ

しばらく、言葉を紡ぐという行為をする意欲がなかったのですが。 久々に。 今まで、わたしが発してきた言葉は、真実のことばだったかな。 最近そう思うことがある。 わたしは、これまでの人生、色々な経験を通して、成長してきたと思ってきた。 自分の周りの世界の美しいところを見て、世界を信頼したと思ってきた。 芸術体験をして癒されたと思ってきた。 でも、わたしは、わかったと思ったことを本当にわかっていたのだろうか。 大事だと思ったことを心底大事だと思っていたのだろうか。

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オイリュトミークラス

月に1回、和歌山県岩出市でオイリュトミークラスを開催しています。

親子オイリュトミー体験会

mitteの庭で、小学生のためのオイリュトミークラスの開催に向けて、オイリュトミストの鈴木智子先生による体験会が行われました。 小学生のオイリュと ミーを大人も一緒に体験するという形でした。 それは、大人のオイリュトミークラスとは、また全然違うものでした。 先生がこどもたち(大人たち)と握手してから、はじまります。  頭は 光の中に  足は 大地の上に  心は 喜びと共に IAOのことばを からだを使って行っていきます。 二人で動いたり、みんなで動いたり、

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星のみち

本日、 Mitteの庭 の大人の学び場は 大人のオイリュトミークラスでした。 3人がそれぞれ 大・中・小の五芒星の上を 1辺ずつ I (い) A(あ) O(お) U(う) E(え) と言う母音のフォルムを表しながら移動してゆきます。 あってる??? 3人の歩くスピードや 行く方向をイメージし どこに到着するか 人と自分とのバランス そして自分の内側で起こっている感覚・・・ 体を動かす意思の力 先生の母音の響と共振するハートの感覚 中心にある 私と言う感覚・・・

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からだの声を聴く

10月のオイリュトミーレポート。 オイリュトミーの奥深さを、しみじみと感じる秋。 この時間はいったいなんと表現すれば良いのでしょう。 うまく言えないけれど、私にとって、とても大事な時間です。 何が正しくて、何が間違っているかという基準など、考えることなく。 どうしたら美しく見えるとか考えるでもなく。 ただ、フォルムを動きます。 左回りの渦巻きを動く。     “私たちは さがす 魂を” 右回りの渦巻きを動く。     “私たちを 照らす 高みの霊が” そのフ

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6月のオイリュトミーレポート

いつもオイリュトミーは 静けさ の中から始まります。 呼吸を整えて、わたし自身がどこにいるのかを確かめるように 歩くこと   胸から動くことを   ここ何ヶ月かはとても意識して 繰り返しています。 はじめは、ただ詩に合わせて 見よう見まねで動いていたものも、 ことばのひとつひとつを 動きながら、 わたしとともにいる あなたと みなと 動いているその空間に 何か、神聖なものが通っている気がしてきます。 今月は、 色の仕草とそれに対応する 惑星の動き。 また、惑

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こびとのおうち

小さな子どもたちとの時間の中で、感じたこと、考えたことを綴ります。

こどもの世界

こびとのおうちのお話会「こどもの世界」を終えて。 この日、この時、このお話会をすることができて、本当によかった。 集まったのは、まだ小さなこどもさんを抱えるお母さんたち。 兄弟姉妹ももちろんいるお母さんたち。 日々、お母さんたちは、こどもたちをどうやって健やかに育てていこうか試行錯誤しながら、そして、たくさんの家事に追われながら、めまぐるしく過ぎていく子育て期を自分なりに一生懸命奮闘しています。 わたしもその一人です。 「こどもの世界」は、そのむかし、お母さんであ

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巣立ちの日

卒園の日。 先生からの最後の素話。 金色の鹿。  言語造形で語られたそのお話は、 愛とは何かを、 無意識のうちに 子どもたちの精神に刻むような、 胸に染み入る語りでした。 そのお話を聞いている 子どもたちの表情が、 ああ、真実って こういうことなんだと、何も言わずともわかる。 お話を聞きながら、自分の心の奥と会話しているようなとき。 心に染みる時間を 過ごさせてもらいました。 最後のお祈りのとき。最後のことば。 「わたしのまわりには 愛だけが あるのです。」

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