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外向けのプロフィールには載せてない事 Part 2

さて、昨日の続きです。(長めですが。。。)

1995年10月21日に渡米するところまで話しました。二十歳の時でした。同級生たちは就職か進学して2年が経ち、自分はずっとバイトしかしてなかった劣等感を感じてました。そしてようやくたどり着いた留学でしたが、アメリカに来たからと言って生活が楽になるわけではありません。いや、その真逆。ここから就職するまでの約7年半、僕は人生で一番の貧困期を迎え、その間にこれまた多くの変わった仕事を経験します。

先ずは、時を戻そう。(ぺこぱ風)

目指すはミシシッピ州のハティスバーグ(それどこ?)という人口5万人の小さな町にある南ミシシッピ大学のキャンパス内のEnglish Language Institute (ELI)です。

渡航のルートは成田〜ロサンゼルス〜ニューオリンズ(飛行機)の後は、ELIの誰かがマイクロバスで迎えに来てくれるとのことになってました。この頃はネットがまだ普及してなくて、本屋さんとか図書館とかいって地図で探してみても、どこにもこの町についての資料がなくてびびったのを覚えてます。だからハティスバーグについての情報はほぼゼロの状態で行ったわけです。

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この時点で僕の想像してたイメージは「トムソーヤーの冒険」

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まぁ、こんなです。笑 全くイメージ湧かない。。。

この旅は緊張してたこともあって、すごく長く感じたのを覚えてます。あ、実際長かったか。だって飛行機が出発する5時間くらい前に茨城の実家を出て、母ちゃんに送ってもらって。3時間前くらいに成田空港着いて、成田を発ってロスで入国審査を片言の英語で乗り越えて…ロスのあのでか〜い空港を迷子になりながら国内線にようやく乗り換えて…でも安いチケット買ったから乗り換えの待ち時間が7時間ぐらいあってね、その間に頑張ってマクドナルドで食事するんだけど、注文を聞き取ってもらえないからとりあえず朝っぱらからビッグマックのセット食べたりしてね。それで、ニューオリンズに夕方に着いた頃には、家を出てから21時間くらいたってたわけです。そこからハティスバーグまでは3.5時間のドライブですから、合計30時間くらいの移動だった。若いって素晴らしい!(苦笑)

ミシシッピの学校を選んだわけ

さて、なんでこんな辺鄙なところの英語学校を選んだのか気になりますね?(本当か?)だってアメリカ中に同じような学校はたーくさんあるわけですよ。それに英語圏を含めたらイギリス、オーストラリア、ニュージーランドやカナダでも良いわけですから。それはですね、僕が留学準備中に愛読していた留学ジャーナルという月刊紙で紹介されている語学留学先の中で一番安かったからなのです!学費が安いだけではなく、大学の寮に住めて、カフェテリアで食事もできて、そして何よりELIを無事卒業してTOEFLで500点(当時)とって、高校の成績が一定以上であれば、そのまま大学に進学できるシステムだったのですよ。

そしてこちらが我が母校のキャンパスの写真。

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なかなかきれいなキャンパスでしょう?このキャンパスを見て、あ〜俺本当にアメリカ来ちゃったんだなぁと思ったのを今でも覚えてます。そしてめちゃくちゃモチベーション上がったのでした。(やる気MAX、オリックス!)

そこで僕は次の日から日本人留学生とはなるべく話をしないと決意して(でもけっこう日本人の女の子と喋っていたという通報あり!)、1日16時間、英語漬けのそれはそれはストイックな生活を6ヶ月を送ったわけです。

この間、言葉が通じないし勉強ばっかりでやっぱりストレスがたまるわけです。で、その時に役立ったのがスポーツでした。サッカー、バレーボール、バドミントン、ラケットボール、ビーチバレーなどなど、大学の超充実したスポーツジムやフィールドを使いまくって、ことあるごとにアメリカ人の学生に声をかけコミュニケーションをはかったので、徐々に英会話力も伸び友達も増えていきました。

ところが、語学留学3ヶ月目に資金切れの危機が来ます。はじめに住んだ大学の男子寮があまりにもうるさくて、汚いし臭いしでクラスメートのスイス人フレッドとキャンパスのすぐ外にアパートを借りたので、ちょっと予算オーバーになってしまったのです。

しかし留学生は働いてはいけないことになっています。こうなったらなんとかバレないように稼ぐしかない。そう思ってクラスメートや知り合いになった地元のアメリカ人に聞きまくって、大学内の学業に関係する期間だったら働いて良いというグレーなルールがあることがわかった。でも英語が達者じゃないので出来る仕事はかなり限られている。どうしよう。。。来月の家賃払えないかも。。。と思った矢先にELIの先生に紹介されたのが、大学のリスニングラボ(聴講室、つまり学生が外国語のリスニングテープを借りて聞きに来る部屋)貸し出し管理の仕事でした。ここなら英語が片言でもOK! というわけでこのリスニングラボで約3ヶ月、週10時間(時給5.15ドル(当時の最低賃金!)550円くらい)のバイトをしてなんとかELI卒業まで乗り切ったのでした。

ちょうど6ヶ月経った頃、もう勉強の甲斐あってTOEFLで515点取って大学入学の権利を勝ち取りました!我が家では初の大学生誕生です!この時は世界中がお祝いしてくれてるようなそんな気分でした。

でも。。。この時点で貯金はゼロ。急いで母ちゃんに国際電話かけて、大学に受かった事を伝えると「あら〜よくがんばったね〜!で。。。学費はどうするの?!」と言われ、二人で深いため息をついたのでした。

つづく。。。(次は一時帰国、大学、大学院在学中のバイトの話です。)




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