みつる

日常とは違って、こちらでは私の母や、介護のこと、相続のことなどを書こうかな。と思いまし…

みつる

日常とは違って、こちらでは私の母や、介護のこと、相続のことなどを書こうかな。と思いましたので、アカウントを分けました。 本アカウントはmitsuru_note34です。 かなり複雑な話もありますが、よろしくお願いします。

最近の記事

おかんの最期までを担当してくれたケアマネさんに、おかんの第一印象を訊ねたら 「こだわりが強く。細かいって感じ」だそうな。 おかんはケアマネをコロコロ替えていたので、介護初期の記録が無い! アポ取れるヘルパーさんに、なるべくアポを取って、おかんのこと、聞きたいです。

    • 母の居ない母の日。

      今日は母の日ですね。 介護記録を書くか悩みましたが、 つぶやいていたように、仕事を1つ辞めてきたので、そっちとヲタク活動に専念しなければなりません。笑 でも、スーパーで子ども達が描いた お母さんの似顔絵を見ると 「お母さん、大切にするんやで」と思ってしまいます。 私が母の日にカーネーションをあげたのは 物心ついてからは、おかんが旅立ってからでした。 小さい頃は、たぶんあげてたと思うのですが、 覚えていません。 そして、記憶にある限りで、花を贈ったのは おかんが旅立ってから

      • ゴールデンウィーク中は記事をお休みと書きましたが、少し個人的にバタバタしていますので、 不定期更新にします。 母の日には何か書きたいのですが どうなることやら…。 日々のことは「mitsuru_note34」で書いていますので、こちらにご連絡いただければと思います。

        • ゴールデンウィーク中は 記事の投稿をお休みさせていただきます。 正直、ずいぶん前すぎるので、 連休明けに お話を聞けるヘルパーさんに 当時のことを聞けるか?と考えていますので、今ちょっとアプローチ中です。 でも、亡くなってから年数も経ってますので、期待はしないで下さい。

        おかんの最期までを担当してくれたケアマネさんに、おかんの第一印象を訊ねたら 「こだわりが強く。細かいって感じ」だそうな。 おかんはケアマネをコロコロ替えていたので、介護初期の記録が無い! アポ取れるヘルパーさんに、なるべくアポを取って、おかんのこと、聞きたいです。

        • 母の居ない母の日。

        • ゴールデンウィーク中は記事をお休みと書きましたが、少し個人的にバタバタしていますので、 不定期更新にします。 母の日には何か書きたいのですが どうなることやら…。 日々のことは「mitsuru_note34」で書いていますので、こちらにご連絡いただければと思います。

        • ゴールデンウィーク中は 記事の投稿をお休みさせていただきます。 正直、ずいぶん前すぎるので、 連休明けに お話を聞けるヘルパーさんに 当時のことを聞けるか?と考えていますので、今ちょっとアプローチ中です。 でも、亡くなってから年数も経ってますので、期待はしないで下さい。

          母と私と私たちの介護記録。vol.3

          はい、この介護記録も3回目になりましたが、 なにぶん、10年くらい前から…さらに遡っての記憶なので、曖昧なところが多いのですが、 所々、修正して書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。 ・バリアフリー化の工事がテキトーすぎる。 おかんを家で介護するにあたって、 まずは、家の改装工事がはじまりました。 和室を無くし、3LDKだった家を2LDKにするため、壁をぶち壊します。 おかんの夜の介護がしやすいようにと、 おとんとおかんは、和室と、洋室だったところをぶち抜い

          母と私と私たちの介護記録。vol.3

          母と私と私たちの介護記録。vol.2

          さて、前回は母(おかん)の出生から、父(おとん)と出会い、私と姉が生まれるまでを書きました。 この時は、この先、普通の生活があって、私も姉も普通に進学していって、就職なんかしちゃったりするんだろうな。と思ってました。 今日は、病気の発覚までを書ければ良いかな。と思います。 ・全ての前兆 その日は、私と姉、おとんが家に居ました。 私が小学2年生、秋の日曜日です。 その日は、おかんの務める小学校の運動会。 昼過ぎに、電話がかかってきて、おとんが出て 「お母さん、病院に運ばれた

          母と私と私たちの介護記録。vol.2

          母と私と私たちの介護記録。vol.1

          はじめまして。 日常のことはnoteで書いていましたが、 そろそろnoteにも慣れてきたので、私が本当にやりたかったこと「母について」書いて行こうと思います。 ・母(おかん)とはどんな奴なのかしょっぱなから、奴呼ばわりですが、 私は今でも母のことは下に見ている内弁慶(姉談)なので、これからも、母というより「おかん」と呼び、 その生き恥を晒していこうと思います。 ・学生時代 1月1日の元旦生まれ、呉服屋の一人娘として生まれたおかん。名前は陽子にしときます。 (祖母は2度、

          母と私と私たちの介護記録。vol.1