20180819沖縄スパイ戦史パンフ_007

『沖縄スパイ戦史』(三上智恵×大矢英代監督)の問いかけるもの

尊敬する友人の三上智恵さんと若きジャーナリスト大矢英代さんの共同監督作品『沖縄スパイ戦史』を見て感じたことを綴りました。もともとFBのノートとして書いたものですが、思いのほか多くの方に読んでいただけたので、noteというものを初めて使って、WEB上に公開します。

映画の細部に触れているので、見る前に予備知識を入れたくない方は、ご覧になってから読んでいただければ幸いです。

* * *

『沖縄スパイ戦史』は、どんなにぼんやりとした観客であっても読み取り間違えようのないほど、はっきりとしたメッセージを発している作品である。それは、第一に、軍隊は住民を守らない、ということ。第二に、それどころか、軍の論理を貫徹させるために、兵士すら守らず、住民も兵士ももろともに殺戮機構に巻き込んで、夥しい犠牲を出しながら自己崩壊していく、ということ。

このメッセージをなんとかいまの日本に届けようとする監督二人の危機感と決意は只ならぬもので、それは一つには、詰め込まれた情報量の多さとなって画面から溢れ出してくる。「護郷隊」、戦争マラリア、スパイリスト……。どれを取っても単独で一つのドキュメンタリー映画になり得る大変なテーマで、それらを束ねて一本の作品にまとめた背景には、それだけの歴史的事実を積み重ねないと、いまの日本では軍隊が本質的にもつ危険性など伝わらないという監督たちの切迫した思いがあるのだろう。その切迫感は、そもそもナレーションの多い三上作品の、過去のどの作品にも増して多いと感じられるナレーションにも表われている。その頻度と細やかさは、昨今の説明を極力、排したドキュメンタリー映画を見慣れている眼には過剰とも思えるほどだが、しかし、並大抵ではない量と密度の――しかも多くの、とくに本土の、観客にとっては初めて知る内容の――情報をまとめ、整理し、伝えるべきメッセージを過たずに伝えるには必要なものなのだろう。私たちは、二人の監督のガイド(ナレーションも二人が担当している)に従い、沖縄戦の知られざる闇に踏み込んでいくことになる。

たとえば私は、6月23日に沖縄戦が公式に終了した後も、沖縄本島北部の山々ではゲリラ戦、スパイ戦が続いていたことを知らなかった。その担い手となったのは、なんと10代半ばの地元の少年たちで、「護郷隊」と呼ばれた。「護郷隊」を指揮したのは、「陸軍中野学校」で特殊なスパイ教育を受けた青年将校二人で、彼らもまた20代前半と半ばという若さだった。少年たちは、身一つで戦車に特攻するなど、米軍の圧倒的な兵力・火力を前に勝つ見込みなどまるでないゲリラ戦を強いられた。米軍にわざと捕まって陣地に忍び込み、燃料を爆破させるなど、「子ども」に見えることを利用した作戦もあった。彼らはまた、「敵」の進軍を阻むためと称して中北部のほとんどの橋を爆破させたが、それは結局、避難する住民の行く手を遮り、大量の餓死を招いただけだった。さらに「護郷隊」の少年たち自身も、山中を転々とするなかで、ある者はスパイと疑われ、ある者は病気や怪我で足手まといとなる理由で、上官や仲間の少年たちによって殺害されていった。

「陸軍中野学校」出身者は、全部で42名が沖縄に派遣されたという。彼らの任務はゲリラ戦の指揮のほか、軍の作戦に応じた住民の利用と管理だった。それは、端的に言ってしまえば、住民を作戦の駒として使い、邪魔になった駒、害を為すかもしれない駒は排除する(当時の言葉では「始末」をつける)ということである。42名もの工作員が、各地でどのように任務を遂行し、それが住民にどのような帰結をもたらしたのか。有無を言わせぬ搾取と忍従、そして最悪の場合――といっても決して稀ではなかっただろうが――には、凄惨な暴力と死がもたらされたことは想像に難くない。八重山諸島の南端、波照間島の住民たちが経験した「戦争マラリア」は、そうした無残な帰結の一つだった。

その工作員、偽名「山下虎雄」は、国民学校の「先生」として波照間島にやってきた。彼は都会の洗練を身に着けた若者として、子どもたちや人々の人気を集めさえした。だが、沖縄戦がいよいよ現実のものとなるとその正体を顕わにし、住民たちをマラリア有病地帯の西表島に追いやった。住民を守るためではなく、軍の足手まといになる、あるいは「敵」に捕まれば軍の情報が漏洩する恐れからの強制移住だった。住民たちが生活の糧にしていた家畜も、強制的に屠殺させられたが、それも実は軍の食糧に換えるためだった。結局、波照間島では空襲も戦闘も行なわれなかったにもかかわらず、島民の3分の1が「マラリア地獄」のなかで苦しみながら無駄死にしていった。

軍の住民管理、というより管理しようとしても管理し切れないことから生じるパラノイアは、他の地域でも多くの命を奪った。その一つが、沖縄本島北部の「スパイ容疑の住民リスト」の作成と虐殺である。リストの作成にもそれに基づいた殺害にも、軍だけでなく住民がかかわっていたと言われるが、全容は明らかになっていない。それもそのはずで、加害に回った者も、被害を受けた者も、また必ずやいたであろう見て見ぬ振りをした者も、ともに同じ地域で暮らす住民なのである。彼らは、たとえ戦後になり、軍が去って、時代が変わっても、沈黙を続けざるを得なかった。軍は、地元にもともとあった人間関係を利用し、情報を吸い上げ、疑心暗鬼と怨恨を増幅させて命を奪い、語ることさえできない深い傷を共同体に残したのだ。なんと残酷なことか。

ここまででも心底、震撼させられる内容だが、映画はさらに踏み込んで、こうしたことが軍の偶発的な暴走で起こったわけではなく、そもそも戦闘方針に書き込まれていたこと、そして、現代の自衛隊の「野外令」や「自衛隊法」にも、同じことの繰り返しを可能にする文言が堂々と記されていることを明らかにしていく。画面に映し出される、紛れもない「いま」の戦闘マニュアルを呆然と見つめていたので、そこに何と書いてあったか正確に再現することは私にはできない。だから、ぜひ映画を見て目の当たりにして欲しい。作戦の遂行のためには人も物資も徴用できてしまうことが、婉曲語法すら使わず、驚くほど直截に書かれている。

ここに至ってようやく私は、自分が甘かったことを思い知らされた。三上監督の前作『標的の島 風かたか』を見て、軍隊の存在は危険を増大させると頭ではわかっていたつもりだった。だが、そうは言ってもいまの時代にまさかと、まだどこか高をくくっていた部分があった。軍隊のいる場所は外から標的にされるだけでなく、内から浸食され、いざ有事となれば、暮らしも命も軍の都合で駒とされて、引き裂かれ、壊されていく。しかもそれが、当然の前提として、軍の法規に書き込まれている。遠い昔ではなく、「いま」の話だ。その怖さが、本作では過去の歴史によって緻密に裏付けられている。メッセージは明らかだ。

だが一方で、この作品が一義的なメッセージに回収されない多義性を孕んだものであることも強調しておきたい。その多義性は、現実の世界を生きる人間がどうしても抱え込んでしまう複雑さと矛盾に裏打ちされている。

たとえば、かつて「護郷隊員」だった高齢の男性たちが語る隊長の思い出には、少年だった彼らが本土出身の若きエリート下士官に抱いた、キラキラした憧れが織り込まれている。隊長二人は、戦中に面倒見がよかっただけでなく、戦後も戦死した部下の家を回って位牌に手を合わせるなど礼を尽くし、生き残った少年たちともさまざまなかたちで交流を続けた。そうやって醸成された絆が、かつての少年たちがいまも滲ませる敬慕の念を支えているのは疑いない。だが、それだけでなく、軍国主義教育のもと、当時、彼らが抱いていただろう力への志向、強く有能な兵士であることへの憧れもまた透けて見えると私には思われる。少年たちを過酷な戦場に駆り立て、時に死に追いやった上官と彼らが結ぶそうした絆を、あるいは憧れを、私たちはどのように受け止めればよいのだろうか。

また、スパイ容疑による住民殺害について語る男性が、監督に「いま考えれば、彼が言っていた(スパイではないという)ことは正しいわけですよね?」と問われて、「あんた、どう思うか? あの時代、敵と通じたらもう殺される……」と必死に抗弁する場面がある。それを現代の観点から自己正当化と批判することは容易だが、全身を震わせて語る彼の姿から感じるのは、むしろ、そのような証言をさせなければならない、聞かなくてはならない痛みである。

一人ひとりの証言者の背景に、彼らが一生をかけて紡いできた個の歴史がある。それは、誰にも否定できるものではない。しかし、同じく名前と人生をもっていた、証言することさえできない死者たちが無数にいることは決して忘れてはならない。死者たちを思いつつ、帝国国家と臣民、軍隊と住民、上官と部下、本土と沖縄といった大きな構図で見る時、やはり加害と被害という非対称な関係をそこに読み取らないわけにはいかない。そうした大きな構図のなかでの個の行ないをどう考えるかは、残念ながらいまも同じような構図のなかにいる私たち一人ひとりが、自分事として向き合わなければいけない問いなのだと思う。

最後に、言葉という観点から、本土と沖縄との関係を考えて終わりたい。映画のラストに、ふいに激しく胸を衝かれる場面があった。おそらく贖罪のためだろう、「護郷隊」の村上治夫隊長は戦後、本土から木々の苗木を送り続けた。だが、彼が送ったソメイヨシノは、沖縄の土地に根づくことはなかった。一方、元少年兵の一人は、亡くなった仲間たちを悼んで、地元の山にカンヒザクラを植樹し続けている。カンヒザクラは、沖縄に多く自生する桜で、漢字では寒緋桜と書き、その名の通り、本土はまだ冬の1月から2月にかけて濃いピンク色の花を咲かせる。その花の季節、一人の亡くなった少年兵の弟が山に招かれる。元少年兵に促され、兄の桜を選んだ彼は、即興で詠んだと思しき俳句を披露する。

「桜咲く……」 彼は、一音一音を丁寧にはっきりと発音しながら詠じた。それが私の耳には「サクラサク」と聞こえ、私は虚を衝かれて息を呑んだ。反射的に、「サイタ サイタ サクラガサイタ」を思い出したからである。「サイタ サイタ」は言うまでもなく、「コイ コイ シロコイ、ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」と続く、いわゆる「サクラ読本」の書き出しである。1933年から1940年まで尋常小学校1年の国語教科書として使われた。国語教科書とは、「国」の隅々まで、「正しい」国語すなわち「標準的」な日本語の読み書きを行き渡らせようとするものである。

「護郷隊」に動員された少年たちは「サクラ読本」で教育された世代であり、はっきりとはわからないが、この弟もおそらく同じような世代だろう。私は、彼がカンヒザクラの花の下で、ソメイヨシノを国民統合および動員の象徴として描いた国定教科書を、まったく無意識のうちに、そんなつもりなどさらさらなく、引用してしまったように感じて、胸が詰まった。元少年兵たちを偲び、言祝ごうとするそんな穏やかな場面にも、不意に裂け目が開けば、沖縄と本土、あるいは島言葉と「標準語」の複雑な関係が顔を覗かせてしまうのか……。そう思って、その残酷さにいたたまれない気持ちになったのである。

私がそのように感じたのには、実は伏線があった。本作では、証言者の発言の一部に日本語字幕がつけられていた。字幕を付す基準はある意味、明確で、関東生まれ関東育ちの私のような、いわゆる「標準語」話者にとって聞き取りにくい発言には字幕が添えられていた。といっても、それらが島言葉だったかというとそうではなく、むしろ独特のアクセントのある日本語だった。私はそうした字幕を目にする度に、ひどく胸が痛んだ。以前にあるドキュメンタリー映画を上映し、対話する会を企画した時に、制作者たちから聞いた言葉が耳に残っていたからである。

その映画『記憶との対話~マイノリマジョリテ・トラベル、10年目の検証~』は、さまざまな意味で社会のマイノリティに属する人たちとパフォーマンスを制作した記録だった。出演者のなかには、脳性麻痺による構音障害を抱えた人もいた。彼の発音は聞き取りにくく、私には何を言っているのかよくわからない場面も多々あった。だが、映画には一切の字幕は付されていなかった。その理由を制作者たちは、誰かの発話を、予め先回りして聞き取りにくいと決めつけたくないと説明した(記憶で書いているので、正確な言葉ではない)。特定の発話にのみ字幕を付せば、その発話は「標準」から外れたものとしてラベリングされることになる。そうしたラベリングは、「標準」とそうでないものとのあいだの線引きを固定化し、「標準」をいっそう強固なものにするだろう。それは、マイノリティとマジョリティのあいだの境界を問う同企画の趣旨にそぐわない。したがって、字幕を一切つけないという製作者たちの判断は、深く納得できるものだった。

一方、『沖縄スパイ戦史』では、同じ話者でも聞き取りにくい発話のみに字幕がつけられていた。それは、はじめに書いたように、知られざる歴史をめぐる込み入った大量の情報を、過たずに伝えるには必要なことだっただろう。おかげで私を含む多くの観客は、ストレスなく証言者たちの言葉を「聞き」取ることができた。しかし、字幕を頼りにそれらの言葉を理解した者たちは、その意味をよく考えたほうがよい。なぜなら、私たちが享受した快適さは、マジョリティであることの特権だからである。自分は何もしないうち、要望を口にさえ出さないうちに、マジョリティのニーズは往々にして満たされる。市場規模の大きさにより、社会が先回りしてニーズを満たしてくれるからだ。だから、わからない言葉には字幕がついていることを当然の期待として、安心して映画館に足を運ぶことができる。意識しなければ、特権によって楽をしていることに気づきさえしない。

私は字幕のついた映像を見ながら、「護郷隊」の指揮官二人や、波照間島に入った「山下虎雄」が、当初、崇敬を集めたのは、一つには、彼らが「標準語」を話したからなのではないか、と何度も考えた。逆に、彼らが少年たちや島の人々を駒の如くに扱えてしまったのは、話す言葉の違いが、そもそも傾斜のある力関係をさらに強固なものにしたからではないか。だとしたら、言語的マジョリティであることの快適さを味わった私たちは、沖縄との関係において、マジョリティであるがゆえに享受していることが他にも多くあることを、改めて肝に銘じる必要がある。人が人を駒として使った歴史を繰り返さないためにも、自らがその一端を担っている権力関係に無自覚であってはならない。

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