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特待生にいたる病

 強迫性障害の私がリハビリの専門学校に入学したのは、二十七歳の頃だった。
 医療職を目指そうと思ったきっかけは、看護師の友人の勧めであり、また、病の体験から学んだことを活かして、誰かの力になりたいと考えていたからである。したがって作業療法士という仕事を知ったとき、運命的な出会いをしたと胸が躍ったものだった。
 入学するにあたって、お世話になったカウンセラーの先生に電話で知らせた。すると、とても喜んでくださり、「三鶴さんは頑張りすぎてしまうと思うので、赤点ギリギリをキープするくらいの気持ちで、楽に取り組んでくださいね」という言葉をいただいた。そのとき電話越しで目に涙を溜めて大きく頷いたものだったが、その後の実際は、アドバイスとはかけ離れた道を選択することになる。

 入学して間もなく、専門学校には育英奨学制度があることを知った。「特待生」になると、一年間の授業料が免除されるのだ。そのためには、成績でオールAを取得する必要がある。適用は一年毎に更新。つまり、入学した一年目の成績により、翌年度の特待生になることができ、三年生まで、二回のチャンスがあるのだ。ちなみに準特待生は、一科目だけBで残りはすべてAの成績を取った者がなることができ、こちらは授業料が半額免除である。
 特待生と準特待生は、全校集会で年度初めに華々しく表彰される。その表彰式に初めて参加し、学生たちから羨望の眼差しを向けられる姿を見て、私にはとても縁のない雲の上の存在に思えた。
 専門学校は学力や実技能力がすべてと言っても過言ではない、実力主義社会で成り立っている。しかし私はカウンセラーの教えを守り、授業はそれなりに話を聴いて、予習復習は特にやらずに、友人たちと過ごすことを第一にしていた。

 初めての小テストのことだった。解剖学だったと思う。テスト勉強は当日の朝、電車の中で教科書を読むことしかやらなかった。高望みはせず、六割くらいの点が取れればいいと考えていたのだ。
 が、結果、学年で唯一の満点を取ることができた。自慢になってしまうが、私は元来、勉強が得意なのである。その事実をひた隠しにして友人との娯楽に興じていたため、周囲からは驚かれた。
 そして私の学力が公になってからは、尊敬の対象として注目を浴びてしまい、私も次第に模範的な学生を意識して振舞うようになっていった。
 いつものように友人とランチを食べていたら、どういう話の流れか「三鶴さんなら特待生も夢じゃないですね」と言われ、「いやいや」と言葉を濁したが、そのとき、いつしか特待生になることを目標にしている自分に気が付いた。

 成績が決まる期末試験は前期・後期と別れていて、Aを取るためには八十点以上取らなければならない。特待生となると、それも全期全科目だ。
 私の目標への執着は凄まじいものになり、試験勉強だけでは飽き足らず、あまり出回っていない過去問の入手を図った。すると留年生がすべての科目を持っていて、それらをコピーさせてくれた。
 彼は渡すときに、「解剖生理学は毎年同じ問題しか出さないから、これだけ見ておけば大丈夫ですよ」と、助言を添えてくれた。
 それから解剖生理学の授業は、他の科目の教科書を読んでいた。

 過去を振り返ってもこんなに勉強に打ち込んだことはない。過去問もすべて丸暗記した。しかし試験当日、思わぬ試練が待ち受けていた。
 殆どの科目の問題はさほど難しくなく、正直楽勝だと思った。そして例の解剖生理学の問題用紙が配布されると……突然、頭が真っ白になった。過去問とまったく違うのだ。一瞬、留年生を恨んだが、それ以上に自分の愚かさを悔やんだ。この科目だけ勉強を怠っていたため、全然わからない。だが、今更後悔しても遅い。何としても八十点以上取らねば。他の科目で学んだことをすべて駆使し、後は勘に頼るしかない。
 試験後、机に突っ伏して、発狂しそうになるのを必死に堪えていた。

 翌年の表彰式では、特待生二人、準特待生一人が表彰された。私は準特待生になったのだ。賞状を持ち、笑顔で記念撮影する。だが、悔しさは一時も頭を離れることはなかった。
 これまで私を突き動かしていたものは、愚かな承認欲求である。しかし、これからは他人の評価ではなく、自分の信念に基づいて勉強しようと誓った。強迫性障害の私と同じように、生きづらさを抱えている人へ寄り添うために。随分と時間を要したが、そう思えたときに結果を受け入れることができた。
 それから僅かな失敗や過ちにより、脚光を浴びることがなかった者たちを思い、彼らだけに見える境地があることを知った。それは華やかで燦然とした景色ではない。だが、そのプロセスの輪郭は、かけがえのない尊さ、美しさがある。晩夏の空を染める夕焼けのように。

 更に翌年の表彰式。特待生はただ一人。緊張しながら賞状を受け取る私がいた。

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