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もう祝うことのできない誕生日

 今日は何かの日だ。しかし、何の日だか思い出せない。こんなことがよくある。だがそれは、大抵の場合、誰かの誕生日であることが多い。
 私は昔、友人の誕生日を知ると、必ずカレンダーに記入していた。生まれてきたことを、そして生き続けていることを祝福するためである。だが、カレンダーに記入しなくなると、段々と忘れてゆき、このように何か引っかかる日になっていった。

 十月十七日は、誰の誕生日だっただろう。しばらくぼんやりと頭の片隅で考えていたところ、ようやく思い出した。
 親友Hの誕生日だった。
 だが、彼の誕生日を祝うことはできない。
 もうこの世にはいないのだから。
 
 彼が自ら命を絶ったのは十四年前のことである。
 たくさんの思い出があるが、よく思い出すのは、亡くなる数日前の夜のことだ。
 
 私は布団の中で携帯電話の電話帳一覧を眺めていた。
 先程まで、幾度もいのちの電話にかけたが繋がらず、手当たり次第に友人の連絡先へ電話をかけた。しかし、社会人である彼らの殆どは寝ている時間だ。当然ながら電話に出ない。電話番号を変更したのか、繋がらない友人までいた。

 灯りを消して真っ暗になった部屋のカーテンに、淡い街灯の光がぼんやりと映る。やはり私は社会不適合者であり、孤独なのだ。みんなが遠くに行ってしまった。絶望しかないこの世界で、もう生きていく自信がない。すべての気力が失われていく。
 そのとき、先ほど電話をかけたHから着信があった。
 
「久しぶりだな。どうした、こんな夜中に」
「おう、久しぶり。悪いな。起きてた?」
「当たり前じゃん。起きてたよ」
 
 彼は起きていなかったはずだ。寝起きのような擦れ声である。しばらく黙っていると、
 
「どうした? 何かあった?」
 
 緊迫した声色で再び問いかけてきた。それから彼は私の話を黙って聞いていた。相槌は殆どなかった。とりとめのない、答えも出口もない、私の個人的な話を聞いて、Hは第一声、
 
「俺には想像できないけど、辛かったんだな」
 
 と言った。その瞬間、自然と涙が出た。
 私は言葉がほしかったのではない。私を受け入れてくれる人がそばにいてほしかったのだ。彼は続けた。
 
「そこまで人を愛せるなんて、俺は本当にお前を尊敬するよ。みんなが目を背けてしまうことまで、本気で向き合っているんだもんな。こんな純粋な愛を持ったやつ、他に知らないよ。お前のような人間がいることが、この世の希望に思う。ありがとうな。生きていてくれて」
 
 今でも、そのときのHの声や言葉を鮮明に覚えている。闇の底にいる私に、手を差し伸べるのではなく、隣まで降りてきて背中をさすってもらえたような温かさがあった。
 それは一縷の光であり、現在をも照らし続けている。
 
 あの頃、私はこの世の端で立ちすくんでいた。
 私を励ましてくれたHは、この世の崖淵を歩いていた。
 そんなこと、知らなかった。気づくこともできなかった。
 
 彼は消えてはいない。私や彼を大事に思う人に溶けていったのだ。
 
 人は命日を覚えていても、誕生日は忘れていく傾向があるように思う。
 しかし、この誕生日に私は手を合わせて、彼に感謝と祈りを捧げたい。
 
 生まれてきて、出会ってくれて、ありがとう、と。
 
 親友は、あの日の夜のように、いつも私の隣にいる。


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