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「なんぞ、法網の密なるや―史料集成『言論・表現の自由』受難史」 日本の言論統制の歴史…

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「なんぞ、法網の密なるや―史料集成『言論・表現の自由』受難史」 日本の言論統制の歴史に興味を持ち、定年後のライフワークとして研究・考察した内容をまとめたものです。

最近の記事

豊臣・徳川時代2-1 1649年「古状揃」没収・絶版~

「なんぞ、法網の密なるや ―史料集成『言論・表現の自由』受難史」(豊臣・徳川時代 2) 1649年(慶安2) 「古状揃」没収・絶版  「大坂の書估、西村伝兵衛方より発兌せし古状揃の一書は忌諱に触るる所ありて、没収絶版せられ、蔵版主伝兵衛は死罪に処せられたりといふ」。江戸時代、国書のうち禁書処分を受け、著作者・出版者・販売者が処罰を受けた最初の筆禍事件とされ、斬首となった伝兵衛は、徳川幕府禁制の初犠牲者となった。 伝兵衛が出版した「古状揃」は習字手本書簡翰集で、「今川状」「初

    • 密なる法網 豊臣・徳川時代1     豊臣時代のキリスト教関連

      ◇1587年(天正15)◇6月19日、秀吉、「伴天連追放令」を発し、キリスト教布教を禁止 日本に伝来したキリスト教は、<秀吉期>以前の<信長期>を除いて明治になるまで、ほとんどが禁教の時代であった。何十人、何百人が一度に迫害され、殉教する「崩れ」という大弾圧事件が繰り返された。集団虐殺が容赦なく頻発し、キリスト教史上、日本のキリシタン弾圧は、ローマ帝国に次ぐ残虐・凄惨なものだったといわれる。殉教者は、名前がわかっているだけでも4千人を超え、実際は、3、4万人に上るといわれてい

      • 密なる法網 豊臣・徳川時代1概説

        「なんぞ、法網の密なるや ―史料集成『言論・表現の自由』受難史」(豊臣・徳川時代 1) ≪概 説≫ 徳川幕府の言論政策 1603年(慶長8)2月12日、徳川家康が征夷大将軍となり、江戸に幕府を開き、260余年にわたる「江戸時代」が始まった。 徳川幕府の言論政策は「知らしむべからず、よらしむべし」を基本にした言論統制策で、触書では「書物類古来より有り来り通りにて事済み候間」として新版無用とされ、「新作のたしかならざる書物商売すべからざる」事という大原則をかかげ、出版許可主義を

        • 岡山十五年戦争資料センターへの寄稿

          「密なる法網」筆者は以下のサイトにも寄稿しておりました。 岡山・十五年戦争資料センター (ojsc.sakura.ne.jp) 「荒武一彦」名義の論考が筆者によるものです。

        豊臣・徳川時代2-1 1649年「古状揃」没収・絶版~

          密なる法網 江戸以前

          「なんぞ、法網の密なるや ―史料集成『言論・表現の自由』受難史」(江戸期以前) =はじめに=  およそ人間の集団・組織・社会が生まれると、そこにはコミュニケーションを維持するため、構成員の相互の「意思表示」が必要・不可欠となる。即ち「表現(言論)行為」である。これは、人間にとって、極めて自然発生的な営みであり、本能の一つとさえ言える。従って、その行為は「自由」であるはずだし、そうあるべきと言える。  ところが、集団・組織・社会には必ず「権力構造」が発生する。否、それな

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