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HSP 私の場合 その6「本音より先に気づいてしまうこと」

こんばんは。そして、明けましておめでとうございます。自分見つめ隊です。

今年もよろしくお願いします。


さて、前回は「嫌い」という感情の捉え方について書きました。

今回は、「~しないといけない」「~でなければならない」といった義務感について、触れてみようと思います。


昔から、義務感で物事を考えがちな人間でした。

前回の内容と被りますが、「クラスのみんなと仲良くしなければいけない」とか、「いつも真面目に一生懸命頑張らないといけない」とか、「間違えてはいけない」とか・・・。

むしろ、そういう風に思う自分がかっこいいとすら思うほどでした。

言葉にするのが難しいですが、「義務感に燃える自分がかっこいい」といえばいいでしょうか・・・

しかしそれで得られたモチベーションは、今振り返れば気持ちがいいものではありませんでした。

耐える、我慢する、辛抱する・・・

そういった感覚で日々行動し、それが当たり前になっていました。

なので、例えば周りで「やりたくない」と言っているクラスメイトがいたりすると「それぐらい耐えろ」と内心腹が立って仕方がありませんでした。


最近、HSPの性質を持っていると自覚できるようになってやっと、「本当にそうしたくて行動しているのか」というところを今まで見つめられていなかったなと気づくことが出来ました。

世間的に、周りがそう言うから、その場の空気を読んで、「そうした方がいい」「そうしなければいけない」ことを重視して生活してきてしまったなと。

そういった「周りから求められていること」に敏感に気づき、それを満たそうと行動し、幸か不幸か、それに応える器用さが私には少しあったみたいです。

そんな生活を送っていると、やはりどこかで歪みが生じてきます。

気づけば「求められていること」と「自分が本当にしたいこと」に大きな乖離ができていました。


どうしたらいいではなく、どうしたいのか?


それは仕事や進路といった大きなものに限らず、日々の生活のちょっとした選択も含めてです。

私の本音は何と言っているか、ちゃんと意識をもって過ごし、本音が聞こえたらそれに従って行動してみることを繰り返しました。

すると、一つ一つの小さな選択を繰り返しているだけでも、自分が生き生きしていると感じられるようになりました。


ではどれが私の本音なのか?

一番わかりやすいのは「~したい」と思えるかどうかです。

このように表現できるときは、たいてい本音が出ています。

周りから求められていることを考える癖があるので、つい反射的に「~したほうがいい」「~しなければいけない」と今でも考えがちなのですが、そこで決断してしまわず、一旦本音が聞こえるまで待つということを実践するようにしています。


どうしたらいいではなく、どうしたいのか?(2回目)


すると、無理がたたって心身の不調をきたすようなことは減っていき、何となくいつも脳裏にあった重たい厳しい「自分の監視員」のような感覚も緩んでいきました。

今はかなり「やりたいこと」をすぐに感じ、自分を締め付けるような「ねばならない」感覚にとらわれることは少なくなりました。

もっとも、冒頭に書いた「義務感に燃える自分がかっこいい」など全く思わなくなりました。


もちろん、状況や立場によって「しなければいけない」ことはあります。

ただ、「しなければいけない」ことが、無条件に自分の本音を無視できるとはいえないと思います。

「しなければいけない」ことを「本当に心からやりたい」と思えれば理想だなと思います。


それでは、今夜はこの辺で。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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