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悪魔の棲む喫茶店

東京に引っ越してきたばかりの頃に仮住まいしていた街に、店名に「悪魔」の名が付く喫茶店があった。
一回ぐらい入ってみてもよかったかな、と時々思い出してはいた。
悪魔がグラグラに煮え立った苦い珈琲を日夜淹れているのだろうか。

そしていつかは行くぞと思いつつ月日が流れてしまったが意を決して訪れてみた。

当然だが看板は当時と変わっていない。
店構えも変わっていない。当り前か。何十年もこのままなのだろう。

デーモンと合体しに地下室の扉を開ける不動明のような面持ちで恐る恐る店内へ。心なしか両拳は汗が滲んでいる。なんせ「悪魔」だ。緊張も致し方ない。
が、店内は拍子抜けするほど普通の「場末喫茶」の様相に安堵感がのしかかった。

今年で開店48年目ぐらいとの事。調度品やクロスや小物類も当時のままのようだ。
どれもこれもシブすぎて昭和アイテムクレイジーの私は痺れっぱなしだ。
比較的近年の物はブラウン管テレビぐらいか。
手書きのメニューもシブい。

その店が健全な運営かどうか、経営者は健全な人間かどうか。
それは換気扇を見ればわかる。他の何も見る必要はない。
48年前から回り続けているのであろう化石のような換気扇フードにはチリひとつ付着していない。ヤニの染みすら付いていない。

店内同様マスターも年季が入っている。年の頃80そこそこといった感じか。カップを持つ手は震えまくりでガチャガチャ盛大に音を立てている。
コーヒーは一杯ずつサイフォンで淹れてくれる。
缶コーヒーやコンビニコーヒーに馴染みきった舌には新鮮だ。
久しぶりに「きちんとした珈琲」を飲んだ気がした。

マスターが結構なお歳なのでお客さんもご近隣のお年寄りばかり。
みなさんお散歩の途中になんとなく立ち寄るのが日課なんだろう。
マスターは日がな一日そんな人達のお話しにお付き合いしているようだ。
ドアの外とは別世界としか思えない気が遠くなるほど穏やかな時間が流れている。
若い客人など滅多に訪れないのであろうか、マスターは昔話を沢山聞かせてくれた。

すごくフランクなんだけど絶対に相手を不快にはさせないタイプの話し上手で聞き上手な素敵なマスターだった。
一流シティホテルなどにありがちな、こちらが畏まってしまうような白々しく押しつけがましい似非ホスピタリティとは全く趣を異とする、極めてナチュラルで上質なホスピタリティが心地よい。

いつだったか都内のオフィス街に佇む小さなホテルに泊まった事がある。
とても地味で派手さは全くないけど落ち着いた大人の隠れ家的趣のホテルだった。
このホテルは極上のサービスを提供する為、人生経験豊かな年配のスタッフだけで運営されていた。
当時サービス業界に携わりたいと思っていたので勉強の意味でそのホテルを利用してみたんだけどスタッフの方々に教えて頂いた事は全て一生役に立つであろう有益な財産になっている。
マスターと話していたらそのホテルの優しくて穏やかなスタッフの方々の顔が思い出されて懐かしくなった。

ずっと気になっていた何故「悪魔」なのかは最後まで聞けなかった。

勇気を振り絞って訪れた悪魔が棲む喫茶店。
迎えてくれたのは悪魔ではなく、白髪混じりの天使だった。

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