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短編創作「夜のコインランドリー」

 夜のコインランドリーが好きだった。
 金曜日の午前0時前のその場所には、何かの終わりと始まりの間にある特別な時間があった。そして、それには彼の存在も大きく関わっていた。
 彼を知ったのは梅雨入りした関東に雨の気配がぼんやりとはびこる時期だった。洗濯機を持っていないわたしは週に一度、金曜日の夜に近所のコインランドリーを利用している。残業の多い仕事なので、どうしてもこの時間帯になってしまう。
 彼はいつも、ただパイプ椅子に座って雑誌を読み、ときおりスマートフォンを眺めながら洗濯が終わるのを待つ。わたしが訪れると、彼は必ずと言って良いほど先にいる。最初の方はなんとも思っていなかったけれど、段々と彼と出会う回数が増えるたびに、わたしに会いに来てくれているようにも思えて、悪い気はしなかった。むしろわたしの方が、今日も彼はいるのだろうかと、一人そわそわしていて気恥ずかしくなる時さえあった。
 梅雨の終わりも近づき、彼との無言のやり取りが続いて二ヶ月が経ったころ、わたしは彼に声をかけてみることにした。毎週のように顔を合わせているのだから彼もわたしを知らないということはないだろう。時間の流れに沿ってやり過ごすよりも、何か留めておきたいきっかけが欲しかった。
 いつもと同じ夜、わたしは大量の衣類を大きなゴミ袋に突っ込んでアパートを出た。コインランドリーまでは歩いて数分程度だった。暗闇に沈む住宅街が続く。歩きなれた道のはずなのに、なぜか今日は道順を間違えていないか何度も振り返りそうになった。
 夏の夜の干からびた空気が漂う。じれったく輝く街灯の光に、一羽の蛾が甘い匂いにでも誘われたかのようにふらふらと近づく。滑稽だな、と思う。わたしは先を急いだ。

 彼はコインランドリーにいなかった。その後も彼が現れることはなく、次第に窓の外に赤紫の筋状の夜明けがやって来た。結局、わたし以外には誰も来なかった。
 以来、彼をコインランドリーで見かけることはなくなった。一週間、一ヶ月が経っても、二度と出会うことはなかった。もしかしたら他の日に来ているのかもしれないと思ったけれど、つきとめて彼に会うことができたとしても、それはどこか違う気がして、結局なにもしなかった。
 わたしは今でも、金曜日の夜にそのコインランドリーを利用している。何かの終わりと始まりを告げる時間がそこにはある。それは今も同じで、何一つ変わらない。そして、仮死状態のわたしは今日も彼のぬくもりの消えたパイプ椅子にもたれて、洗濯機の中でおぼれる夢を見ていた。

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