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#MTK_漂流詩 人形姫 はじまり

「まるでお人形さんみたい」
 小さいころ、私の話をするお母さんは必ずそう言った。よくわからないけど、たぶんあの人は頭がメルヘン。きゅるるるんって擬音が似合う脳内をしていて、その証拠に私の名前はキラキラした文字だけで構成されてる。その文字が使われてしまった時点で美形以外は許されない。そんな名前。男の子ならそうだな、露美男でロミオとかそういう感じだろうか。美形ならいいけど、おブスでこれは悲惨だ。
 もしも私に子供が出来たら、絶対に普通の名前にする。前年度の命名数ランキングを見て、その中から適度に地味なものを与えてあげる。他の人と同じものを手に入れられた子は幸せだ。その普通の中からのし上がるだけ、後は自分の努力次第だもんね。
 最初から負っているハンディキャップなんて、この世で一番不愉快。間違いない、上積みをよこせとは言わないけどせめて普通にしてほしかった。
 けどね、生意気にもこう思うの。私の顔は結構綺麗、名前に負けてるだけ。私の性格に合ってないだけ。
 じゃあ何が私のハンデって。
「ずっとかわいいままでいてね、かわいくないとダメよ」
 そりゃお母さんでしょ。

「お人形さんみたい」
 そう言われ続け、私は自分が本当に人形のように美しいんだと思い込んでいた。かわいくて、キラキラで、この世の何より優先されるべき存在で、蝶や小鳥や薔薇と並び立つのが当然だと思っていた。
 みんな笑うのかな。
 でもね。だってそう言われてたから。幼稚園にも行けず、毎日のようにお母さんと煌びやかなものを見に行って。扱い自体は本当にお姫様のようだったと思う。我が家は周囲と比べて裕福な方であり、私はかなりのコストをかけ育てられていた。
 そう考えると、私の人生はかなりの上積みが用意された状態で始まったに違いない。けれど、積んで積んで、相場を超えるほどに賭け金を追加された私という存在は何処かで歪んでしまった。
 愛もお金も、ただ背負うには重過ぎる。私には無理だった。重いよ。
 私の名前もそうだが、人にはちょうどいい領分というものがある。お母さんは、私のそれをずっと見誤り続けているのだろうか。それとも、分かった上で認めたくないのだろうか。
 どちらにせよ、自身の器量を測り損ねた私は、器以上のものを自分に詰め込もうとした。お母さんの熱烈な後押しを受け、無邪気に、当然の権利として自分を満たそうとしたのだ。
 そしてこれもまた当然、私は浮いた。
 お人形のように扱ってほしいと主張する権利を、私は持っている。
 同時に、そんな私を異物として認識する権利を、周囲は持っている。
 社会から隔絶され、自分をお人形だと思い込まされた私が、初めて外界に触れた瞬間だった。今でもあの時の感覚は覚えている。忘れる方が難しい。それまでの人生全てをかけて醸成された価値観が、一瞬にして裏返る。容姿の否定、人格の否定、思考の否定、否と否と否と否。不無非未が溢れかえりそれまでの世界をなかったことにされる。
 ただ、それくらいなら皆経験する挫折だったのかもしれない。痛い思いをしても、そこからまた学び直すことで世界と和解する。自分の居場所をちょっとずつ見つけていく、それが成長だという人もいるのかな。
 だけどそれは、あの人からするとかわいくなかった。
 成長も、妥協も、それは人間のすることであって人形には必要ない。あなたは特別なんだから、綺麗でかわいくて素敵なんだから。忘れないで、あなたは特別。
 毎夜毎夜刷り込まれる歪な世界観。お母さんには世界がそう見えていて、どうやらその景色を娘の私と一緒に見たいらしい。
 見たい世界の位相がズレている。だから私はその世界に合わせて矯正される。自分の中で確かに何かが変わる。でも、私の外見側が変わったわけではないので、周囲の私への対応は変わらない。そうやって受けた衝撃が、また私の普通の世界へと引き戻す。それはかわいくないから、またお母さんの世界へ戻される。そしてまた現実へ。またかわいく。現実。かわいく。現実。かわいく。
 そりゃそうだ。
 ブスはかわいくない。現実はシェイクスピアのようにはいかない。
『きれいは汚い、汚いはきれい』
 それはフィクションだから成立するごまかし。言葉で遊ぶのが好きな人達による机上の空論。お母さんの見ている世界と一緒の、ここではないどこか別の場所のルールでしかない。
 周りのみんなはそれを肌感覚で知っている。そうじゃない子も、集団生活を営む中で微妙なその塩梅を刷り込まれる。所謂普通を知った先で、自分に相応の主張や振る舞いを身に着けていく。
 何度も言うが、私は自分の顔は嫌いじゃない。そこまで汚いとは思わない。お母さんのせいにしてはいるが、私自身結構ナルシストだ。まあ、それも血は争えないと言えばそれまでだけど。
 出来れば、私はこのささやかな自尊心を抱えたまま、それなりに楽しく人生を終えたかった。そんな人生はかわいくないとしても。
 けれどいつの頃からか、私は変わった。
 晒され続けた二つの価値観、「かわいい」と「現実」。刷り込めば、それが私にとっての肌感覚になる。自我が形成される前に与えられた価値観は、まるで何かの彫り物のように黒々と私の精神を彩っている。もうそれが自分の考えなのか、与えられた考えなのかわからない。
 私はかわいくお人形のようになりたいと思ってしまった。
 私とお母さんは、もう一つだ。
 けれど、私の脳内はお母さん程幸せじゃない。自分の現実的な領分を知っている。
 なら、その現実を変えていこう。

 かわいくない私を捨てて。後は自分の努力次第だもんね。
 こんな顔変えてしまえばいい。




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こちらの小説は、私が海月-Mitsuki-という名義で発表した楽曲『かわいいとか病む』の世界観に基づいて書かれたものです。
もしよろしければ是非曲の方もお楽しみいただければと思います。


かわいいとか病む MV
https://youtu.be/Kpcpu-2tBvE
かわいいとか病む lyric Video
https://youtu.be/-ZyxXASl1O4

Illust & Design dir. by ABYSS:
 ​https://twitter.com/ABYSS56052854
Music production & writing. by 海月-Mitsuki-
 https://twitter.com/Mitsuki_LP
 

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