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#MTK_漂流詩 人形姫 おしまい

 その人はかわいかった。
 SNSで見かけた、自撮り。
 私を含めて多くの人が必死にかわいさを演出し、縋りつき、縺れあい、引き込まれていくかわいいの坩堝。そんな蟻地獄めいたSNSの自撮り界隈で、その人だけはあるがまにに輝いていた。
 彼女はそう、澄んでいる。私たちにありがちな執念や怨念は全く感じられず、ちゃんとかわいかった。どうしてだろう、私は彼女を見たときに真っ先にそう感じたのだ。ちゃんとかわいいと、ちゃんとしていると。
 じゃあ、もしかして。
 濁ったかわいさを競い合う私のような人間は、ちゃんとしていないのだろうか。
 私はかわいくなくてはいけないのに。努力して後天的にかわいさを積み上げても、彼女のように生き生きとした姿にはならない。無機物である画面越しにもわかる程の瑞々しい生気が羨ましい。あんな風になっている自分を想像できない。それほどまでにあの子と私は遠いのか。
 そこで気が付いた。
 そもそも、かわいさというのは生きるために必要な武器だ。動物としての本能に根差したものである以上、そこには生々しさがつきまとう。
 かわいいと、群れの中で大人たちが庇護してくれる。かわいいと、より良い異性と番となれる。かわいいというのは、つまり動物の個体として優秀ということに他ならない。
 だから、本当にかわいい子は生き生きとしている。
 じゃあ、私は?
 がらんどうの内側で、何かが音を立てる。これはなんだろう? 不安なのか、不快感なのか、それとも怒りか。むずむずする。今すぐに叫び出したい。よくわからないが、ぬるぬるした何かが私の中にいる。
 衝動的に、鏡の前へ立つ。一番気に入った服を着る。髪をセットし直す。メイクも再度。完璧にする。そして写真を撮る。
 何度も何度も何度も、最高の角度で、最高の私を撮る。
 でもダメだ。違う。
 これは違う。これはかわいくない。くらくらする。揺れる、何かが揺れて空っぽの私の内側で波紋を立てる。
 ゆらりゆらり、揺れる。何かが揺れる。
 これは指だ。誰の? 私の。
 妙に狭い視界の中央で、携帯を操作する指が震えている。もしかして今私は不安定なのだろうか。あんなにかわいいのに。
 違う、かわいくない。
 私はかわいくない。あの子みたいにかわいくない。こんなにかわいさを積み上げてもまだかわいくない。もっと、もっともっともっともっと。
 鏡の中パクパクと口が動く。息苦しい、喉が渇く、これじゃあ上手く喋れない。なんで喋る必要があるのかって、そりゃあ。
「お客様? お客様、どうかなされましたか? お客様?」
 そりゃあ、お客として手術の予約をするためだ。
 そう、そうすれば助かる。自分の顔を見ないで済む。そして、よりかわいくなった私に出会える。よかった、私は正常だ。何度もやってきた行動だからか、無意識のうちに馴染みのクリニックへ電話をかけていたらしい。
 認識したら、ようやく呼吸が出来た。
 額の中央に立ち込めていたもやが晴れる。がらんどうの中も静かになる。よかった、よかった。
 そうだ、あの子みたいにしてもらおう。
 あの子はとても素敵だった。あんな風にかわいくなれたらどれ程生きるのが楽だろう。皆が認めてくれて、かわいいままでいることを社会が許してくれるに違いない。うん、そうしよう。あの子に近づいて、あの子みたいになって、そうしたら声をかけてみるのもいいかもしれない。メッセージを送ってお友達になるのだ。お人形さんにはお友達が必要で、かわいいものはたくさん並べるともっとかわいくなるのだから。
 考えながらも予約はつつがなく進行する。カウンセリングの日取りを決めて、電話を切って、これで完了。
 よかった。まだ私は大丈夫。大丈夫なはずだ。私はかわいくて、そして同時に現実を見ることが出来ている。戸惑うことがあるのも、現実を見ることが出来ている証拠だろう。自分のかわいさを妄信しない。理想と現実の折り合いをつけつつ、より高度なかわいいを目指すだなんて、なかなかに凄いことをしていると思う。私は大丈夫だ。私にはよく見えているから。
「〇〇ちゃん、今ちょっといい?」
 ノックの音と共に、申し訳なさそうな声がかけられる。珍しい、お母さんは普段私にあまり話しかけない。時折かわいいねと、そう言ってくるだけだ。いや、それももう何年聞いてないだろうか。
「どうしたの?」
「あのね、お母さんね。あなたに謝らないといけないことがあるの」
 声は扉越しのまま。すぅっと、音だけが私に触れる。
「〇〇ちゃん。あのね……」
 じれったい。昔からそうだ。お母さんは、自分のしたい話をする時だけ流暢になる。自分の世界の話をする時だけあの人は楽しげで、そんなお母さんのことが私は昔から苦手だった。苦手だし、嫌いだった。この人の子供に生まれなければよかったと何度考えただろうか。何度も何度も何度も考えて、その度に辛くなって考えるのをやめた。
 私には現実が見えている。
 お母さんが、世間一般で言うダメな親なことも見えている。そんなお母さんを私がそれでも嫌いになりきれないことも、それどころかむしろ好きなことも見えている。お母さんが私に与えた「かわいい」という価値観が、私のほぼ全てになってしまったことも見えている。
 私は賢いから。見えてしまう。私は現実的で、そんな現実的な私だからちゃんと社会の中に居場所を作れている。皆私のことをかわいいと認めてくれている。けれど、私のかわいさはまだまだ足りていないことも見えている。大丈夫、だから私はもっとかわいくなれる。
「お母さん、あなたを育てるの失敗しちゃったよね」
 は?
「○○ちゃん、おかしいもの。あなたがそんな風になっちゃったの、お母さんのせいだよね。ごめんね。それを謝りたくて……」
 音がする。
「けど、大丈夫。どれだけ失敗しても、人間やり直せるから。あのね、近所の神社がねえ物凄く霊験あらたからしいの。だからお参りに行きましょう。そうだ、そこでお祓いもしましょう」
 がらんどうの中で、何か、何か鳴っている。
「○○ちゃん」
 これは、これは。
「もうね、現実見ましょう?」
 ああ、これは悲鳴だ。

 ピンク系の小物に溢れた、生活感のない部屋が目に入る。よく整頓された画一的な視覚情報とは裏腹に、嗅覚が拾うのはまとわりつくような悪臭だ。これはそう、一ヶ月分の私の食事から出たごみの臭い。当然だろう、私は人なので食べるし寝るし排泄する。人形じゃない、生きている。ごみはまとめて袋に入れて、それをゴミ箱に押し込んで、それをさらに収納へ入れても臭いは漏れ出してくる。綺麗な部屋の中だからこそ、それは目立って仕方がない。
 そう、知っている。そんなことは知っている。その臭いにつられてハエが湧いていることも、知っているし見えている。ほら、あそこにも。当たり前のように見えている。
 全部見えている。
 ☓☓歳なのに若作りと揶揄されていることも、整形のし過ぎで逆にバランスが崩れていることも、最近皆からのいいねが減っていることも、しわが増えてきていることも、加工にも限界があることも、馬鹿みたいな生活をしていることも、社会に居場所なんて少しもないことも、それでも親のおかげで生きられていることも、こんな私は全くかわいくないことも。
 全部見えている。
 私は現実が見えている。
 大丈夫、見えている。
 それでも、お母さんが囁くんだもん。かわいくありなさいって。
 違う、これは私か。でもいいんだそれで、かわいくないといけないから。それが私だから。かわいくいよう、かわいいお人形さんでいよう。
 大丈夫、私は現実が見えている。

 大丈夫、私は現実が見えている。
 だから撮った写真をそのままSNSに載せたりしない。よくないところに少しだけ修正を入れて、ほらかわいい。素敵だ。でももっとかわいくなりたいから、今度また手術を受ける。現実が見えている私だからこそ、そこは妥協しない。
 今日はその成功祈願に神社へ来ている。お母さんが教えてくれた神社で、物凄く効果があるらしい。それに、私の尊敬するあの子、SNSで見かけたかわいい子もこの神社を知っていた。もしかしたら会えるかもしれない。そしたらなんて言おう。いきなりファンだと伝えたら、あの子はびっくりしてしまうだろうか。マナー違反かもしれない。かわいい者同士、礼儀正しくしなくては。だってそれが普通だから。
 そう、ちゃんとしないと。あの子はちゃんとしている。瑞々しい肌、生気を湛えた目、薄紅色の唇。あの子は生き物として正しい、ちゃんとしている。でも私だって負けていない。後天的な努力でちゃんとしようとしている。かわいくなろうとしている。かわいくなる。違う、私はかわいい。もうかわいい。でもあの子の方がかわいい。あの子の方がちゃんとしている。なんで。なんであの子はどっちも持ってるの。どうして? 私はかわいいも普通もどちらもダメだったのに。失敗作なのに。お母さんが私を作った。私はお母さんの言う通りかわいくあろうとした。お母さんの言葉が、私の言葉だ。それくらい刷り込まれている。じゃあ私は私に失敗と言われたのか。なるほどそれは、ちゃんとしていない。
 そうだ、ちゃんとしないと。
 お参りの作法はなんだっけ。二礼して、拍手を二回打って、そしてお祈りをする。
 どうかあのかわいい子を呪ってください。
 どうかお母さんを呪ってください。
 どうか私を呪ってください
 がらんがらん。
 がらんどうの中で、音がする。
 がらんがらん。
 鈴が鳴る。思いを込めた音がする。この音に乗って、どうか全員が呪われますように。
 届け。

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こちらの小説は、私が海月-Mitsuki-という名義で発表した楽曲『かわいいとか病む』の世界観に基づいて書かれたものです。
また、人形姫は全部で3つに分かれた作品であり、これは最後の章ですので、お気を付けください。
もしよろしければ是非曲の方もお楽しみいただければと思います。


かわいいとか病む MV
https://youtu.be/Kpcpu-2tBvE
かわいいとか病む lyric Video
https://youtu.be/-ZyxXASl1O4

Illust & Design dir. by ABYSS:
 ​https://twitter.com/ABYSS56052854
Music production & writing. by 海月-Mitsuki-
 https://twitter.com/Mitsuki_LP

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