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コーヒーゼリー誰にも触れず終わった日 木田智美

コーヒーゼリー誰にも触れず終わった日  木田智美

木田智美さんの第一句集『パーティは明日にして』より。

コロナ禍になってから、「ソーシャルディスタンス」の名のもとに、家族などの親しい間柄でなければ、人と人の体が接触することは避けられる時代になりました。

この俳句、「触(ふ)れずに」とありますが、「触(さわ)らずに」ではないですね。

伊藤亜紗『手の倫理』に、「ふれる」と「さわる」の違いについて次の様に書かれていました。

「ふれる」が相互的であるのに対し、「さわる」は一方的である。……
「ふれる」は人間的なかかわり、「さわる」は物的なかかわり、ということになるでしょう。

「誰にも触れず終わった日」とは、物質的な接触を誰ともしなかった、だけではなくて、他者との心の通い合いのような「ふれる」ことが無かったということなのかもしれません。

句集あとがきによると、この俳句が作られたのは、コロナ禍以前のようです。

コーヒーゼリーの澄んだ闇色に、クールな付き合いをする都会人の孤独と「ふれる」ことへの渇望が、小さくつるんと固まっているようです。

それは、コロナ禍以前から、既にあったのです。
そして今この世界の見えないところで、巨大なコーヒーゼリーとして太りつづけているのかもしれません。

その他、句集より何句か挙げさせていただきます。

やさしくてよく泣くひとへ蜜柑送る
冬の日や一冊を買い満たされる
春の水フラミンゴめく鳩の脚
咥えつつ嚙みたい林檎とか梨とか
うさぎ寄りあえばうさぎをゆるしあう
靴下を毛布の底で脱ぐよろこび
向日葵のうなじの少し冷えている
たましいの軽さ夜長の無線LAN
桜蘂降る自転車は海の色

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