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人として生きること

このタイトルで、画像は猫ちゃんですが。
猫や動物についても、いずれ書いていけたらと
思っています。


この1年は、「生きていること」に向き合う時間
でした。

ウイルスという目では見えないものに命が
脅かされ、いつ誰が感染してもおかしくない状況で
生活をする中で、自分が変わらず生きていることの
有り難さと畏れ。

また、考えてみれば、わたしが日常を過ごしてきた
その時、そして今も、事故や病、災害などで
思いがけず命を奪われた人、紛争や貧困のため
不安定な生活を強いられている人が、常にいる
こと。

そういう事実に、昨年の春頃は圧倒されていた。


昨年9月に祖父が、今年6月に祖母が亡くなった
ことで、一層、「生と死」がわたしの中で大きな
存在感をもつようになった。

2人は2、3年前から体の機能がぐんと低下し、
自力で生活することが難しくなったり、
体のどこかが悪くなり、良くなれば別のどこかが
悪くなり…の繰り返しだったり。

それでも、80代半ばまで生きた。

2人の変化がわたしに与えた学びは大きかった。

今までできていたことが、少しずつできなくなる
のを受け入れるのは、仕方ないと思いつつも
寂しかった。
体を思うように動かせずもどかしそうにする姿を
見るのも、辛かった。

祖父は最期、家族が誰なのか、わからなかった。

だからこそ、今、過去、その時々がどれだけ
貴重かということを実感した。

人間は、複雑にできた生き物で、生き物だから
衰えていくのが自然なんだなと感じた。

出会い方も別れ方も選べない、ただ、お互い
生きている間にどう関わるか、自分がどう
生きるか、しかないんだと思った。

この世界では会うことも話すこともできない、
それはとても寂しく、時に悔しくもあるけど、
この世界にいないから、ぷつんと切り離される
わけでもない。

とか、なんだか、まだことばになっていない
何かがいろいろあるので、日々生きながら
ことばにしていこうと思います。

お付き合いいただけたらうれしいです!

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