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光夏のエッセイ② 「読書と性生活2」
はーい、毎日読書をしている光夏でーす。
昨日は途中で終わってしまいました。今日こそは読書と性生活の関係について考察しましょう。
文章はみな軽薄だ。どこまでも私たちをだましにくる。だから戦いなのです。そして勝利を得るとそこには新しい世界が生まれる。感謝です。
新しいパワーを希望を未来を、読書から得ることができる。
3日かけて読了、あるいは1週間、あるいは1ヵ月、1年でもいい一つの本を読み終えてみましょう。そこには感慨深い筆者との戦いの日々が残されています。筆者に感謝。読了することで、私たちは筆者と熱い友情で結ばれるのです。
読書は素晴らしい。
そして同じくらい性生活も素晴らしい。
性交渉もある意味戦いです。果敢に相手に攻撃していくことで、お互いの体に一縷の喜びがほとばしる。そして戦いを終えた後は戦友ですよ。初めて交わした情愛も次からは当たり前のものとなるでしょう。2人は共犯者という固い絆で結ばれるのです。
読書には前々回書いたように、想像力、コミュニケーション能力、癒しなどにプラスの効果があることがわかっています。
性生活(ここではセックスライフを性生活と書きます、なぜならいやらしいから)もそれに似たような点があるのでそのあたりを考察していきましょう。いっしょに。
まずは生で性交渉(ここではセックスのことを性交渉と書きます、なぜならいやらしいから)した場合。これはなかなか遠い。なぜならモロだから。
いつも不思議に思う。AVのビデオはぼかしが入るのに、生で性交渉していいのか。どうせなら生で性交渉するときも、あそこは見たらだめ、見たら刑事告訴なんてしないと釣り合わないのではないでしょうか。
50歩くらいゆずって読書に近いところを探すなら、生で性交渉している時も攻撃的にならないとできない、じゃないでしょうか?
読書は攻撃性がないとできないと1回目に書きました。それとやはり創造性は必要です。
フェ○のあとは女性上○とか、そういうことを想像しないといけませんからね。そのあたりは読書に近いことにしましょう。
読書というより、読書をした結果と結びつくのは、相手の気持ちを考えないとうまくいかないところ。
相手の気持ちが読めないと、痛みを与えたり、すごく喜んでるのにビデオに夢中になると、「なによん、ちゃんとしてよ」てなことになりますから。読書をするとそのあたりの気持ちがちょっとだけわかるようになるんですねー。
次は裏ビデオね。裏ビデオとは恥ずかしいところが全て見えてしまうビデオ。知ってると思いますがこれは、いほー。でもなぜかそのへんを歩いてる。DVDが。私はよくわかりませんが知り合いが言ってました。歩いてやってくるって。
裏ビデオはビデオ、動画だから普通の性交渉と違って多少の想像力が必要になってきます。多少ねー、そう書いたのは相手の体に触ることができないから。その分、読書に近い。
DVDだけじゃなくて、今はネットで見ることの方が多いのかな。ネット上にはあれもこれも、あふれてますからね。
次はぼかしがあるビデオ。まあこれは想像力が必要です。隠してある部分は何色なのかなー、とかどういう形してるのかなー、てなを想像しないといけないことです。そこはかなり読書に近い。
「茶色のビラビラと彼女の顔を見て比較してしまった」
こんなシーンが小説に書いてあったとします。やばいですねー。え?ほんとにそんなことするの?なんて思いますね。
この表現は、ぼかしの入ったビデオでは体験できません。体験しようとするとぼかしの入った個所の色を想像しなくてはなりませんね。
想像力増加にはそういう作業も必要です。自然と想像できるようになれば、読書と同じ効果を得ることができるでしょう。
想像力全開じゃないとできない、かなり読書に近づいています。
次回に続く
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