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PS.ありがとう 第27話

「そうね、楽しかったわ。また誘ってな」

「もちろんや、東京行くまでにまた会おう」

不思議な連帯感が生まれた気がした。

まだ小雨が降っていたので速足で歩いた。瑤子はいったん家に帰ってベランダの洗濯ものをしまおうと思った。レイナちゃんママと別れ、急ぎ足で自宅に向かう。

しばらく歩くと腕を打つくらいに雨が激しくなったので、あわてて道路わきの書店の軒下にすべりこんだ。すでに先客がいて雨が止むのを待っている。男性のようだ、少し間をあけて並んだ。本をかかえているから、今書店から出てきたのだろうか。

「ひどい雨ですね」

「えっつ?」

声をかけてきたその男性の顔を見て瑤子は思わず声を上げた。

「えっ?」

男性も問い返すように言葉を発した。

言葉では言い表せない、いい感じの男性が少し高い位置から瑤子を見下ろした。身長は頭一つ分くらい違う。

凛々しい顔つき、文句のない身長とTシャツから垣間見える筋肉質でやわらかそうな肉体。

驚いたのは、その男性の顔がネットの出会い系サイトで紹介された写真と酷似していたからだ。

写真より痩せている。ネットの写真の男性は明らかに肥満気味だと感じたから紹介されても断ろうと思っていた。

男性から香ってくるほのかな石鹸の香りに瑤子は心地良くなった。この人なら抱かれてもいいか。すっかり夫への恨み節が体に染みついてきているようだ。少し前までとは違った自分がここにいる。

女として生きている感覚を味わったのはどれくらいぶりだろう。最近は祐輔の浮気と東京行きのことばかりが頭を埋め尽くしていて、すっかり自分の身なりのことなどを考える余裕がなくなっていた。

振り返りガラス窓の自分を覗き見てみる。ガラスが曇っているのか自分が老化したのか、前に見た時とはかなり違っていた。きちんと鏡と向かい合ったのはいつぶりだろう。毎日見ているはずの顔が思い浮かばなかった。

「すみません、ちょっと知っている人に似ていたもので」

瑤子は男性が放つ香りに包まれ、溶けそうになりながら精いっぱいの言い訳をした。

「いいんです、少し驚きましたが」

20代後半くらいだろうか、見えている肌のハリが目を引く。

「本降りになりましたね」

男性が空を見上げながら目を細めた。爽やかという表現は、この目のためにあるのだと思った。

「ええ、これだとしばらくは帰れませんね」

「あのー実は」

と言いながら男性は肩にかけたトートバッグから傘を取り出した。

「これ使ってください。僕のうちはすぐそこなので走って帰れば大丈夫です」

そう言って瑤子の手にそっと折り畳み傘を握らせた。やはり書店から出てきたばかりだったのだ。

「いや、そういうわけには」

受け取らないで、と思いながらも傘を押し返す。

「いいんですよ、使って」

差し出した手に触れた瞬間、肩の力が抜けた。瑤子の胸の中が男性の笑顔で充満する。

男性がパーカーのフードを頭にかけた。

「あの、お名前、聞いてもいいですか?」

声がかすれる。

「成田雄二、あなたは?」

「宮口瑤子といいます」

思わず頭を下げていた。

「商談の挨拶みたい」

成田がそう言うと、うれしさと楽しさが同時に沸き上がってきて、気が付いたら2人とも大きな声で笑っていた。

「じゃあ、僕、用事があるんで先に失礼します」

「はい、傘は今度お返ししますね」

といいつつ、どうやって返せばいいのかもわからない。白い雨の中を走っていく大きな背中を見ながら瑤子は不思議な幸せを感じていた。

傘の取っ手のところにネームプレートのようなものが取り付けてあった。

「この傘を拾った方はこちらに連絡をお願いします。成田。携帯:080‐****‐****」

連絡先が記載されているのを見て、瑤子はまた笑顔になった。

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