ワーキングシーン 後編 読了3分

 自宅に帰って電車で作成されたファイルを開くと、電車の男性が会社に出社したシーンから始まった。時間は九時半を指していた。きっと証券会社なのだろう、朝礼をしている横のホワイトボードには投資信託や株の銘柄が書いてある。株価の値動きを表すグラフも並んでいた。

 ゆっくり見ることもできるが早送りや巻き戻しができる、ユーチューブみたいな機能だ。面倒なので早送りで見る。外回りで客先に行くところが流れている。夕方くらいに何か契約が決まったのか、客が書類に印鑑を押し、男性が何回も頭を下げていた。夕方の六時になると一旦会社を出るが、一時間後には上司らしき人と待ち合わせ、いっしょに人と会っている。高級クラブの接待なのだろう、相手は高齢だがきっちりしたスーツを着た紳士に見えた。

 なるほど、映した人の一日の仕事を見ることができる、これなら本当の勤務状態を確認できるわ。
 隣りに座っていた女性は保険の営業職のようで、先ほどの男性と同じように朝礼を済ますと、客先周りをしていた。五時半には仕事を終え会社を出た。

 保険の営業も六時前には終わるのかと思っていると、六時半に男性と待ち合わせをしてレストランに入っていった。

 ワーキングシーンには仕事のシーンしか映さないから、これも仕事か。レストランのテーブルで、男が書類にサインをしている。こういうシーンでも保険の契約をするのか、保険の営業もありかな。保険の仕事に興味が沸いたのは肌が白くきれいな顔立ちをした女性が魅力的に見えたせいもあるかもしれない。
 二人は夜八時過ぎにレストランを出て、しばらく店を探している様子だったが、二人が寄り添って入ったのは飲食店ではなくホテルだった。部屋に入り女性が洋服を脱ぎシャワーを浴びる。慌ててアプリを落とした。

 枕営業か、これはパスだな。

 そんなことを考えていると実家の父親からラインが入った。
“母さんの命日には帰っておいで”
 二十年前に事故で亡くなった母親の命日が翌週の日曜日だった。まさ美の実家は山梨だ。上京してから帰るのは盆と正月くらいだが、それ以外にも母の命日には必ず帰って墓参りに行っていた。
“わかりました”とだけラインに返信した。

「仕事を辞めたって、そんな都合のいい仕事は今どきないだろ」
 墓参りの後、実家の近くの居酒屋で久しぶりに父と二人きりで食事をしていた。
 父は母が亡くなってから、まさ美が就職するまでの間、昼の仕事をし夕食の準備をすると、夜勤の仕事もしていた。まさ美が中学に上がるまでは夜は祖母が面倒を見てくれていた。

 まさ美が中学二年の時に祖母は亡くなったが、そのころは夜間でも家に一人でいるのは苦ではなくなっていた。大学まで卒業できたのは父が自分を犠牲にして仕事をしてくれたからだと思っている。父はまさ美が就職してからは、昼の仕事を辞め、夜勤の仕事だけに絞ったようだ。

「お父さんこそ、夜勤の仕事はもう疲れるんじゃないの?体力があるうちは良かったかも知れないけど、そろそろ昼の楽な仕事をしたら」
「何を分かったような口をきいてるんだ、お父さんは気が付いたんだ、これが天職だと。いいか自分のプライドまで捨てて仕事をする必要ないんだからな、ちゃんと自分が何を求めているのか、考えて仕事を決めるんだ。お父さんは自分を犠牲にしてきたが、いつかそれが犠牲ではなく喜びに感じる日が来る、お客様の笑顔を思うだけで、どんなにか幸せか」

「お父さんは車のライン工場で働いてるんでしょ?そんなお客様の笑顔なんかわかるの、それにもう年なんだから、危険なことはしないでよ」

 少々スピリチュアル感を感じたが、父も自分を犠牲にして働いてきたことを誇らしく思っているのだろう。

「仕事の先に客の笑顔を感じるのは、仕事を長くやっていればわかるようになる。たまにはけがをすることもあるけど大したことはないよ、それよりまあ、お前も頑張って仕事を探すんだな」

 父の腕の節々には青あざや擦り傷の跡が残っていた。
 父からはそんな説教じみた話をされ、その日は眠りについた。今くらいしかないかも、そう思って三日くらい実家でゆっくりしていた。まさ美が実家にいる間も父親はせっせと夜勤の仕事に行っていた。

 東京の部屋に帰ると、久しぶりに一人になったからか、部屋の中が以前より静かな気がした。お父さんの仕事ぶりでも見てやるか。記念にと言って、写真を撮るついでに、ワーキングシーンで父親をとってきたのだった。

 ファイルを立ち上げた。父が作業着を着て勤務先に向かっている。きっとまじめな顔して仕事しているんだろうなと思っていると、すぐに仕事に没頭する父親が映し出された。

 確かに真剣な顔をしているが、様子が変だ。父はブリーフ一枚の姿になり、両手首は手錠のような拘束器具がかけられている。真剣にならざるを得ないだろう。その姿で円形のステージに上がると会場に拍手が鳴り響いた。スポットライトが父を明るく照らしている。

 ステージの反対側から、皮のボディスーツと黒の網ストッキング、ハイヒールを履いた女性が出てきて、黒いムチを振り回している。たまにそのムチがパシッと大きな音をたてて父親の尻を叩く。

「もっと愛をください、女王様!」

 父が大声で懇願すると

「そうか、じゃあこうしてやるー」

 更に数回、父はムチでいたぶられた。
「ひえー、あ、ありがとうございましゅ、じょほーさまー、つ、次はなにほー」

 最後は滑舌が悪くなっている。会場が沸く。

「次はこれよー」

 父は大きなルーレットのような円形の機材にダイノジに張り付けられると、女王様がそれを回し始めた。

「ひえー、助けてたすけてくだしゃーい」

 父が回転してさかさまになったりしながら叫んでいる。
 自己犠牲が喜びに、か。確かに目の前の客が喜んでいる。

 だが、ちょっと違う。そこは助けてくださいではなく、ありがとうございますだ。父の叫び声がまさ美の中に何かを呼び起こした気がした。
「上からが好きなのかしらね」
 ハローワークでの川口の言葉が浮かんだ。

 三歳年下の男性社員の泣き顔を思い出しながらパソコンを立ち上げると、まさ美は検索画面にキーワードを入力した。
「女王様 仕事」
 ワーキングシーンは役に立つ。新しい人生はここから始まった。
                           了

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