見出し画像

ワーキングシーン 前編 読了5分位

あらすじ
早期退職をした藤浜まさみは今日もハローワークで仕事を探していた。条件の合う仕事がなかなか見つからないまさみに、ハローワークの担当者がワーキングシーンというアプリを紹介する。ワーキングシーンでは他人の一日のしごとぶりを見る機能がついていた…。

ワーキングシーン 前編

 年齢もまばらな見知らぬ男女が椅子に座り、書類を眺めたり、ぼーっと宙を見たりしながら自分の名前が呼ばれる番を待っている。力をなくしたように見える男女の目にはいったい何が見えているのだろうか。ここにいるくらいだから多少なりとも皆同じ運命を抱えているのだろう。そんなことを考えながら、藤浜まさみは空いている席を探した。

 今年三十歳になるまさ美は、勤めていた大手広告代理店の規模縮小に伴う早期退職者募集に応募し、わずかながらの退職金をもらって退職した。しばらく何もしなくても生活できるくらいの貯金はあるが、キャリアのためにあまり長いブランクを作りたくない。会社で培った顧客対応能力と広告センスはすぐに売り物になるだろう、と思っていたが実際に転職活動をしてみるとそう甘くはないことがわかってきた。

 退職してすでに五ヵ月が過ぎようとしている。ハローワークに来るようになって、パソコンで希望の条件を入力し、情報をプリントアウトして相談をするという一連の流れにも慣れ、窓口の担当者の顔と名前を覚えた。

 そのうち担当者の指名ができるということを知り、少し前から川口さんという女性を指名するようになった。川口さんは見た目五十歳を超えただろう。色白で化粧も派手ではない。丁寧に話を聞いてくれるし、大きな包容力を持っているようなところが気に入った。

「藤浜まさみさーん」
 名前を呼ばれカウンターの前に座る。
「どうですか?そろそろいい仕事は見つかりましたか?」
「なかなか厳しいですね、給料は以前の会社と比較して随分少なくなるし、かといって、給料が希望の額に近くても他の条件がね、例えば、この会社は給料がまあまあなんですけど、会社の場所が自宅から遠すぎるんですよね」

 プリントアウトした企業情報を受け取った川口がメガネをかけなおし書類に視線を落とす。
「なかなかないですか、でも仕事って条件だけでもないんですよね」
 ざっと企業情報に目を通した川口が顔を上げてほほえむ。
「もっとライフスタイル的なところから考え直しませんか?わかってるとは思うけど、残念ながら広告業界は残業が多い世界でしょ?ライフスタイルを優先してもっとワークライフバランスの良い他の業界も探してみるとか、どうかなと思うんだけど」

 ライフスタイル、業界、大学を卒業して就職活動をしていたころが懐かしい。会社案内や就職情報には、ワークライフバランスや充実したライフスタイル、といったような言葉が躍り、ファッション雑誌でも見ているようだった。

 しかし、実際に就職してみると、現実はそんなに甘くない。まさ美が勤務していた広告代理店には顧客第一主義や社会貢献といった言葉の裏に、残業や休日出勤という自己犠牲精神が残ったままだった。
 まさ美が勤務していた会社では、残業は当たり前、終電で帰宅することも週に二、三回はあった。仮眠部屋なる部屋もあり、終電に間に合わずに寝泊まりする男性社員もいた。五時に上がって丸の内で買い物なんて、作られた理想の世界の話だと思っていた。

「お給料以外で、楽しみって感じたことあるかしら」
 まさ美は広告代理店時代の記憶をたどった。入社して残業をしたり、顧客から叱られたりしたことが思い出され、胃の辺りがキュッとなるのを感じた。

 川口はパソコンを立ち上げ、他の仕事も探してくれているようだ。

 入社後五年くらいから部下を持つようになったが、三歳年下の男性社員をいじるのは楽しかった。一度男性社員が泣いたことがあるが、少々高揚感を感じたのも確かだ。
 そのことを川口に話すと
「そうね、上からが好きなのかしらね」
 川口はパソコンの画面を見ながら独り言のようにつぶやいた。
「えっ?」
「いや何でもないわ、残業はあるとまずいのよね」
「そうですね、自分がきついのはもういいかな」
 確かにわがままな条件だとは思うが、今さら違う業界に転職してゼロからなんてやれる自信ないし、仮に本当にワークライフバランスの良い会社だとしても、そんなの就職してみないと実際にはわからない。

 しかし、ワークライフバランスという言葉を川口の口から聞くと、少し胸が高鳴るような響きを感じたのも確かだった。
「業界を変えるのも悪くはないと思うんですけど仕事を始めてから転職なんて考えたことなかったから、他の仕事が良くわからないんです」

 川口ならなんとかしてくれるのではないか、そんな気がした。
「三十代で転職する人の中には、男性でもそう感じている人が多いのは確かね。でも、このご時世、残業もあまりないっていう会社も少なくないのよ」
 残業がない会社がまさ美に近付いている気がする。
「何かそういう会社を見つけられるキーワードとか、ヒントになるようなものってありますか」

 川口の言っていることは本当だろう、そうであれば業界は違っても良い。だんだんその気になってくる。川口もその言葉に何か考えているようだ。
「そうね、じゃあ、あれ使ってみましょうか」
 しばらく何かを案じていた様子の川口が口を開いた。川口はちょっと待ってというような仕草をすると、席を立ちパーテーションの裏に消えたが、すぐにスマホを手にしてまさ美の前に戻ってきた。

「藤浜さんラインやってます?」
「はい」
「じゃあ、ライン交換させてもらってもいいかしら」
「大丈夫です、ちょっと待ってくださいね」
 何か、教えてくれるのだろうか、バッグからスマホを取り出しライン交換をした。
「今、ワーキングシーンのサイトのURL送ったから、ダウンロードして使ってみて」
「なんなんですか?これ」
「そのアプリを使って人を見ると、その人が日頃仕事をしているシーンを見ることができるの。一見余裕がありそうに見える人でも、本当はきつい仕事をしていることもあるし、逆に忙しそうな人でも、五時にはきっちり仕事を終わっている人もいるのがわかると思うわ。その人の仕事ぶりと仕事の実態を観察できるから、ちょっと研究してみたら。でも、こんな案内は禁止されているから他の人には秘密ね」

 川口がにこっと笑う。笑顔がとてもかわいらしかった。

 便利そうだが、実際にその人を画面に映すだけで一日の行動が見れるような不思議なことがあるのだろうか。しかも、人にスマホを向ける難題もクリアしなければならない。ただ、ここは川口の笑顔を信じてみよう、とりあえず自分だけではどうにもならないことはわかっている。

 ハローワークの帰りに、早速、電車のシートに座っている人のワーキングシーンを見ることにした。座らずに吊革につかまってスマホのニュースでも読むふりをすれば、映していることには気付かれない。
 足元に座っているのは、二十代くらいのスーツを着たビジネスマンだ。カメラで映すと左側に時間系列が表示される。超高速で一日の仕事ぶりが流れるが目視ができない。十秒くらいでファイルが一個できていた。

 ワーキングシーンはカメラのレンズ越しに見ても、その場では早すぎて動画を確認することはできない、ファイルを作り、後でファイルを開いてゆっくり見る仕組みになっていた。
 ワーキングシーンをとった男性の隣に、きちんと髪を整えて折り目の付いたシャツを着た女性が座っていた。膝の上のバッグも高そうでシックだ。こういう仕事をしたいなあ、と思ってその女性のワーキングシーンも撮っておいた。

ワーキングシーン 後編へつづく

この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,470件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?