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奇妙な世界 前編 (読了4分)

あらすじ
僕が付き合い始めた女性は高沢まさみといい、日本を代表するダイニングサービスグループの高沢一族の娘だった。わがままし放題で何も言われずに育てられた彼女の気の強いところと、理不尽なところに振り回されるが、そこもなんとか対応していた。そろそろ両親に本気で結婚の話をする時期が来た。

奇妙な世界 第1話

「ねえねえ、これも買ってもいい?」

 高沢まさみが甘え声で言う。仕方ないな、みたいな感じで僕は

「いいよ、なんでも」

 と言う。まだクレジットカードの枠はたくさん空いているし、財布には現金も準備している。

 高沢まさみとは交際を始めて五年になる、交際期間で五年というと、友人たちからは長いねとよく言われるが、どうなのか僕にはよくわからない。お互いに三十歳を目前にしてそろそろ結婚を考える頃かなと思って一応まさみの父親には去年挨拶に行った。感触はまあまあだが、父親もこんなかわいい娘を手放したくないようだ。

 僕の名前は尾藤たけしという、尾藤という名前も珍しいが、なぜたけしと付けたかな、と子供のころは親のセンスをうたがっていたが、いつの間にか慣れてしまった。当然小学生の時のニックネームは“ビートたけし”だ。

 その割にというと変かもしれないが、成績は上の方で、都内の有名私立大学に現役で合格して、第一希望だった大手電機メーカーに就職することができた。入社後、今の彼女の高沢まさみと知り合い交際することになった。

 交際して一年たったころだった、高沢まさみが高沢ダイニンググループ会長の娘だということを知ったのは。高沢ダイニンググループは高級イタリア料理で急成長した上場会社で、海外の大統領が訪日した際に総理大臣なんかが利用する、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの飲食店グループだ。

「なんで先に言わなかったの?」

 と聞くと

「私が誰の娘だろうと関係ないでしょ、あなたは私が好きなんじゃないの、お父さんが好きならお父さんと結婚して、でもその代わり、あなたのことを変態ってよぶからね、いや変態野郎ってよんで、毎日洋服を着せないで通勤させるわよ」

 僕の目の奥を見ながらまさみは「何を言ってんのよ」という感じで言い捨てた。

 変態とよんでも僕とつきあうのかと思ったが、それ以上このことで話がもつれるのは避けたかったから、言うのはやめた。まさみはとてもわがままに育てられたと自分でいうだけあって、一度火が付くと延々としゃべり続けるから、こんな時は早めに話を切り上げた方が分は良い。

 そんなチャーミングなまさみだったから僕は手を焼きながらも楽しんでいたのだが、問題は金がかかることだった。さすが高沢ダイニンググループ会長の娘だけあって、持っている物は全て高級なものばかりで、必要なものは言えば父親が買ってくれるという家庭だった。

 うちは都内の役所に勤める父親と、子供が好きで六十際過ぎてもいまだに保育園にサポートにいく元保育士の母親という、ごく普通のまじめな家庭だから、まさみのお金の使い方には最初は驚愕したものだったが、慣れとは怖いものだ、今、目の前で僕は彼女に高級バッグを見立てている。

 僕はまさみと交際し始めて、世の中には色々な人生があるということがわかった。なんだか僕は違う世界に迷い込んだのかも知れない、導いてくれたのはまさみだ。いや、まさみ様と本当は言いたい。

 僕は、親父が早い時期に江東区にマンションを買っていたおかげで、会社には自宅から通勤している。食費にいくらか足した位の額のお金を毎月親に払えば、高い家賃と生活費を使う必要がなかった。だから貯金は普通のサラリーマンより多いだろうし、入社した会社が割と給料が高い会社だったのは助かった。それでも、まさみと付き合っていくにはお金が足りないから、僕は毎日自分で弁当を作って昼食代を節約し、会社の飲み会も全て断って、株式なんかも勉強して資産形成に励んだ。だから、なんとかまさみとは交際が続いている。

 今日はまさみの誕生日のプレゼントの買い物をしていた。誕生日は明日の日曜日だが、明日は明日でお祝いをする、今日は買い物と食事を予定していた。だからお金とカードはしっかり準備した。

 何でも言ってくれ、そしておねだりしてくれ、このために僕は毎日切り詰めて頑張ってきたんだ。日頃の努力の成果が見せられるとあって、僕はこの日を待ちわびていた。

 買い物を終え、予約していた店には十分くらい遅れて入った。まさみと僕の両手は大きな買い物袋でふさがれていた。イタリアンは嫌だとまさみが言うので、僕は江東区にある高級割烹料理店TAKIYAを選んだ。一人で来たことはない。美食家ネットという高級料理店ばかりを紹介しているサイトで探した店だった。以前から店の前は何回か通ったことがあり、ネットで表示されたのを見ると迷わずに決めた。江東区なら家も近いからまた使えるかもしれない、という考えもあった。

 門から玄関のような入り口までは渡り石がひいてあった。暗闇の中で間接照明が玄関までの石の導線を照らしていて、違う世界へ導かれるようだ。入り口で立ち止まり、振り返って渡り石を見た。こういう店でまさみと食事できる幸せを感じた。横開きの戸を引くと生花がいけてあり、うっすらと漂う花の香りがほどよく鼻孔をくすぐった。

「お待ちしておりました」

 暗がりの玄関口みたいな場所に、着物を着た女性の従業員が迎えに来た。僕たちは女性の後に続いた。通りの両側には絵画が飾られていた。僕は従業員の後をついていきながら、廊下に飾ってある大正ロマンを感じさせる絵画に目を奪われていた。店の中は絵画だけでなく絨毯や照明、ステンドグラスなどが全てアンティーク調に作られていた。

 僕たちは従業員に促され個室に入った。座った視線の位置から小庭が見えた。そこにはちいさな庭園がこしらえてあり、鹿おどしが寂しそうに佇んでいた。

「まあ素敵なお店ね、大正時代の高貴なパーティ会場に来たみたいだわ、うちで買い取っちゃおうかしら」

「おい、冗談でもそういうのやめろよ、いやらしいだろ」

「あら、冗談だと思ってるの、私が本気になれば買うことくらい知ってるでしょ、おととしだってかわいいファーストフードのお店買ったじゃない、あなたもほめてくれたじゃない、いい買い物したねって、あれは嘘だったの?嘘だったらぶっとびよ、あんなに人を喜ばせておいて、嘘ついた人は身ぐるみはがして重しを付けて海に沈めるわよ」

「いや、本当は本当だよ」

 僕は二年前のことを思い出した。確かに僕は褒めた。褒めたけどそれは違う意味だ。

「買うったって、お父さんの会社のお金だろ、まさみのじゃない」

「同じなの、会議で通ればなんだって買えるのよ、私だって役員に名前があることくらい知ってるでしょ、いずれあなたもうちの会社の役員になるのよ、ひょっとしたら社長のイスも狙えるかもー、だから店一つ買うくらいの話にびびっちゃだめ、投資よ投資、いずれ投資は大きなリターンを生んでくれる、わかるでしょあなたなら」

「わかったよ」

「でも、心配しなくていいわ、あなたが役員になっても仕事はしなくていいのよ、だって何もわからないでしょ飲食業界のこと、だから名前だけでいいの、それでも役員報酬はたっぷりもらえるんだから、ね」

 ね、とほほ笑んだ天使のような笑顔の奥には、悪魔が潜んでいるようだった。

 僕は褒められてる?馬鹿にされてる?ただ、なんだろうこの戦闘地帯の危険なエリアに迷い込んだような感覚は、この何とも言えない刺激が僕の心に突き刺さってくるが、それが僕には心地よい。もっと言え、もっと言え。

「わかった、わかった、僕はまさみと結婚して君のお父さんの会社の役員になって、仕事はしません、お金だけもらっておきます、でいいか?」

 僕は仕方がない、を装って言った。

「もらうのはあなたじゃないの、私たちだから、そこは勘違いしないで」

 やはり口では勝てない、いや口だけではない、全て僕は負けている。こうやって僕はまさみワールドの餌食になるのか、いやダメだ、それでは男がすたれる。でも彼女の壊れ加減が程よくて、僕はまさみと交際を続けてきた、もう少し強く責められても、たぶん僕はへっちゃらだろう、いやもっとまさみのことが好きになるかも知れない。そんな世界に行ってみたい。

「失礼いたします。こちらが海老しんじょ、でございます。レモンをかけてお召し上がりください」

 その店の名物料理である海老しんじょは白いむきエビの食感としみ込んだ出汁の味が僕たちの口を喜ばせてくれた。

 そのあとヤリイカと本マグロとヒラメのお造り三種盛りや、海老芋と南瓜と人参と車エビの合せ煮、河豚の唐揚げ、牛ステーキが運ばれてきた、仕上げは鯛めしだった。僕たちはコース料理を堪能した。

「今日はありがとう、食事もとっても満足、あなたにしては上出来だったわ、サルも味を知れば選ぶようになるものなのね」

 店を出たところでまさみが口を開いた。やはり、褒められているのか馬鹿にされているのかわからないが、この刺激が心地よい。

「明日はわかってる?朝早いからね、遅れずに来るんだよ、わかってるわね、遅れたら裸にしてそこら辺の木にぶらさげるからね」

「わかってるよ」

 僕はその言葉にしびれそうになったが、顔に出さないように我慢していた。

 まさみの誕生日は明日だ、今日は買い物だったが、明日がメインと言ってもよい。明日はお父さんに会う。そして約束を果たさなければならない。

奇妙な世界 第2話につづく

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