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遠望7

残留アメリカ兵は撃墜されパラシュートで山に降り、そこで妻と出会った。

 翌朝九時には特別編成チーム二十人のミーティングは終えていた。前日の映像を見て情報を全員で共有し各自今日のやるべき事を報告している時、報道局長が発言した。

「その親友のアメリカ人は今も健在かなぁ。山を降りてアメリカに帰った過程を知りたいし、今現在を知りたい。彼の名前と出身地を聞いて来てほしい。そして昨日のミーティングでの計画通り全国への報道は明後日の金曜日、記者発表は翌土曜日七日にしたい。越谷御一家にそのことの了承を得てほしい。今日を入れて四日。漏らさず俊敏に、且つ間違いの無い報道の為の調査を心がけて欲しい」
 三宅と大筒はうなずき姫野はメモを取った。
今日の予定は十時に越谷家へ行くことになっており、平日の越谷を育てた両親に会い、そして十四時にはいよいよ山の両親と会う事になっていた。
 発進したロケバスの中で大筒が、

「今日は本当に大事な日になる。我々が知りたい聞きたい事の根本は全て今日聞こう。今日は山のご両親がお疲れになるギリギリまでお邪魔する覚悟で臨もうと思う。夜の八時、九時を過ぎてもまだまだ話し足りないと思われるようなら願っても無いことだ。姫野、君の用意したワインをお爺さんがお気に召してくれたら良いけどねぇ。三宅、お婆さんのはまんじゅうだっけか?」
 ミーティングの場で全員に見せているのに敢えて聞くのは確認なのか、大筒のボケなのかと苦笑いしながら袋から取り出して、

「美貴ちゃんからお婆さんの好物を聞いて用意したのはバームクーヘンと茄子の漬け物です。さっきも見せたじゃないですか。まんじゅうは好きじゃないそうですよ。あんこが嫌いだそうです。大筒さん、まんじゅうが食いたけりゃ自分で買ってください。自分が三度の飯はまんじゅうでも良いというほど好きだからって、みんながまんじゅう好きと思わないで下さいね。本気でまんじゅうが怖いと思っている人は世の中に大勢いるんですから」

「私はワインが怖いです」
 姫野の言葉に車内が湧いたが三宅はジョークだけではなく、山にいる彼が美味しいと言ってくれるかどうか彼女の胸の中では本当に怖いと思っていることを感じていた。
 越谷家に付きリビングに案内されるとこの家を建て、康一を育てた両親が座っていた。
 柔和な笑顔で我々を迎え、姫野の顔を見て「あら〜」と声に出して笑ってくれたが、大筒はこのご両親の顔を見た瞬間に「こちらへのお土産を忘れた!」と思ったがテーブルに昨日持って来た「扇屋」の和菓子が置かれてあるのをみて安堵した。

「父の正一七十八歳、母の三恵子七十五歳です。二人ともまだまだ現役で仕事をしていて毎日畑にでています。父はほぼ毎日近くのホームセンターまで運転していますが今朝聞きましたら先週、山の家に行って来たそうです。ワインと茄子の漬け物を持って」
 その瞬間、美貴が胸の前で手を合わせ、

「ゴメンナサイ」と頭を下げた。

「あちゃー、全く同じ物を持って来ちゃった」
 三宅が頭を掻くと正一が、

「大丈夫。好きな物はどれだけもらっても嬉しいから。特に兄さんはワインが大好きだから。カリフォルニアワインよりもチリワインが好きなんだ。アメリカ人なのにね。ちなみにどんなワインを持って来たの?」
 三宅が姫野の顔を見ると、不安げな顔で、

「コノスルとサンタヘレナなどです……」

「うわ、そんなの名前も聞いた事ないわ。安いものしか買った事無いから、そんな高級ワインもらったら飛び上がって喜びますよ」

「いえ、高級じゃないんです。私が週末に飲んでいるものですから……」
 姫野が小さな声でつぶやいた。

「あと、どこかで豚肉買って。お土産に持っていってくれんかね。この間は持って行けなかったもんでね、喜ぶよ」

「あぁ、それは持っていきます。ありがとうございます。良かった〜、教えて頂いて」
 大筒がホントに嬉しそうな声で言うと、

「年取ってきたら色々担いで山に上がるのがきつくなってね。五十年近く数え切れないほど登り降りしてきたから、ただ上がるだけなら今でも大丈夫なんだが」
 洋服越しにでも分かる上半身のたくましい筋骨に三宅が気づいた。

「先日私は十五分ほど上って下りて来たのですが、山の家まではどれくらい歩くんですか?」

「手ぶらで歩いて一時間丁度かな。前回は美貴がパウラを連れてどこかに行っていたもんだから、パウラの背中に背負わせなくてね」

「三宅さん、先日ご覧になった我が家の愛犬です。バーニーズ・マウンテンドッグという山岳犬なので、重い物はパウラの背中に積んでいくんです。ビールとかお米とか」

「優秀なシェルパだね。しかも給料を欲しがらないんだよ。ワッハッハ」
 正一が笑うと、庭からパウラが吠える声が聞こえてみんな笑った。

「康一が中学生のときにペットショップで、こういう大型犬が群馬でも手に入ると聞いて来てね、パウラはそれから何代目かなぁ、随分とお世話になってますよ」
 隣でずっと笑って聞いている母の三恵子に大筒が聞いた。

「康一さんは幼い頃はずっと山だけで暮らしてこられたんですよね?」

「そうです。あの頃は週末になると私たちが山に上がってね、もうとっても可愛くてね、楽しみでしたよ。子供が出来なかった私たちですが不思議な事がありました。義姉(あね)がおっぱいをあげているのを見ててずっと羨ましいなぁって思っていたんです。そしたらね、ある時私もおっぱいが出るようになったんですよ。もう、びっくりしちゃってね、思わず義姉から康一を奪って私の乳首を吸わせましたよ。いっぱい飲んでくれてね〜。あの時は義姉と抱き合って一緒にわんわん泣きましたよ。子供を産めなかった私に母親としての感動を分けてくれた義姉には本当に感謝しています。康一は二種類のおっぱいを飲んできたんです。だから精神的にも体もとても強くなったんだと思います」
 姫野は泣いていたが、美貴もTシャツのすそで目をこすっていた。
 三宅に優しく肩を叩かれた姫野は、

「女って凄いですね。妊娠していなくても、子供を産まなくても、愛する子供を持つとおっぱいを体が作るんですね。私、女に産まれて来て良かったです」
 母の三恵子の両手を握りながら涙を流す姫野を見て、康一も美貴も三宅も撮影スタッフも涙をうるませていたが大筒が突然叫んだ。

「越谷さん、いえ、康一さん。あなたは、世界一のご両親の元でお産まれになって育って来られたんですね。そのハーフのお顔でご苦労されてきた事と思いますが、あなたほど愛溢れる四人のご両親に囲まれた方はいらっしゃらないと思います。なんて素晴らしいご家族なんでしょう」
 大筒の叫びに康一は「抑えて抑えて」というように両手を前に出しながら笑った。 

「だからね、康一はぐれること無く強く育ったんですよ。どんなにいじめられても泣いて帰ってくることは一度もありませんでした。泣いて帰ってくると私たちが悲しむことを知っていたんです。週末には山で兄にさらに強く鍛えられてね。でもそれがとっても楽しそうでしたよ。木の枝から隣の木に飛んだり、ヘビの皮をむいて焼いて食べたり、川に入って魚を手づかみで捕まえる方法等、私たちには到底出来ないことを兄は教えてくれました」

 撮影スタッフ全員が、四人の親と一人の子供の暮らしに思いを寄せていると沈黙が続き、大きな家にふさわしい柱時計がぼーんと鳴る音で三宅が我に返った。

遠望8(2月19日)へ続く。1から読みたい方はこちら。


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