#13 「教育」について
教育とは
急な方向転換みたいだけど、今さっき頭の中に浮かんだことをどうしても残しておきたかったので、noteに記録することにした。
元々、私は中学校の時から学校の教育についてずっと疑問を抱えていた。
「将来この暗記教育がなんの意味をもつんだろう?」「良い高校・大学(・企業)に行くことが人生において大事とか、そんなわけなくない?」
ずっと頭の中にあった疑問は大学になっても消えなくて、最終的に私が選んだ論文のテーマは「教育の再考」。笑
学校教育の生まれた背景を振り返ったり、学校教育への不満によって生まれた教育思想や学校教育の不足を補おうとする教育などを論じた上で、教育について語った論文だった。
社会人になった今も、本当の教育とは何かをよく考える。お金の勉強、英語の勉強、その他資格勉強などをしていく上で、常に教育について考えていた。
今の時代、ベストな学び方は?
学校教育を変えたい、というか、時代は変わっているからより良い教育方法があったっておかしくない。そんな風にみんなが思えば、もっと良いのではないかな~と思っている。
そんな中、今日本を読んだりしていて浮かんだのは、「徒弟制」が良いなということ。元々徒弟制は学校教育の前から存在していた。弟子入りという形で親方がいたり、そもそも代々家族で仕事をしていたりすると、教育というのはまさしく徒弟制になる。
今の言葉でいうと、それがメンターにあたるんだろう。今、私がプログラミングや他の勉強をするうえで思ったのは、「仲間が必要」「ロードマップが必要」「少し先の先輩が必要」ということだった。
独学だと限界がある。よほどの強靭なメンタルと願望実現への欲、そういったものがないとなかなか難しいな、というのは去年の私の失敗からの経験だった。特に、私みたいにマイルストーンを置いていきたいタイプの人間には、一人で学ぶのは向いていない。おまけに三日坊主だし。
でも、仲間がいたらお互いに頑張り合う環境をつくりやすいし、仲間づくりを通してメンターのように先輩とも仲良くなることもできる。どこの誰ともすぐに繋がれる時代、学びたい人を選ぶこともできるし、徒弟制度は向いているかもしれない、と思った。
学校教育と徒弟制の違い
そもそも、学校教育というのは、めっちゃ簡単に言うと、国が国民を均一化した教育をすることで模範的な労働者にするための策だった。だから、そこに国民の個性とか能力というのは関係ない。一定レベルが担保できれば、それ以上のことを労働者に求める必要はないから。
でも、時代は違う。自分の個性を大事にしたり、自分の生き方を大事にする時代なんだから、もう学校教育も変わる必要があるんだと、個人的には思っている。
それで言うと、学校教育というのは、あくまで教師という働き方を選んだ大人が、今まさに世界を知ろうとしている子どもたちに人生を生きるために必要な教育(?)を行う場である。
教師の友達がいるから教師のことを悪く言いたいわけでは全くないけど、あくまで教師は1人の大人というだけ。世界の1部分しか知らない大人が、世界のことを生徒に教えるのは、そもそも無理がある。
子どもたちそれぞれが、自分に必要な教育やメンターを探すために必要な素養を身につける場所というのは必要な気がするから、そういった意味で学校は必要なのかもしれないけど、今の学校教育で学んだ知識がどこまで活かされるのかというと、そこには疑問が生じる。
久しぶりに教育について語った
発信の場があるってのはやっぱり良いなと思う。まだまだ人に言えるレベルじゃないから発信なんてできない…とずっと思っていたけど、考えを発信することに意味があるのかもしれない。
今日は徒弟制・メンター制に魅力を感じたことを書きとめるだけのものになってしまったけど、これからもっと学んで、自分なりの教育観を今以上にもっていきたいな、と思う。
最後までご覧いただきありがとうございました!
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