back number「雨と僕の話」は本当に"救いのない冷めた大人の別れの曲"なのか

back numberで久々に考察を書きたくなる曲に出会った。それが「雨と僕の話」だ。今回も主観に塗れながら深読みの果てに心の古傷をえぐるような考察をお届けしたい。

さて、曲のタイトルは一旦横に置いておいて、まずは冒頭の歌詞から見ていきたい。

雨の交差点の奥にもうすぐ君が見えなくなる
おまけのような愛しさで呼び止めても傘を叩く音で届かないだろう

前回の記事back number「ハッピーエンド」のメンヘラ彼女とクズ彼氏と気持ち良さの正体でも触れたが、back numberの曲は冒頭の数フレーズでどのような状況なのか一発で分かる歌詞になっているものが多い。

「雨の交差点の奥にもうすぐ君が見えなくなる」
僕は最初にこの部分を聴いたとき、なぜ交差点の"向こう"ではなく"奥"なのかという点が引っ掛かった。雨の交差点とは、つまり主人公の頭の中を表しているのではないか。"君"は既に過去の人で、"僕"の人生という交差点の奥の方でもうすぐ見えなくなりそうな場所にいる。そして降りしきる雨は現在進行形で僕の頭の中に入り込んでくる様々な感情、情報、人間関係を表しているのではないか。

その後に続く「おまけのような愛しさで呼び止めても傘を叩く音で届かないだろう」という歌詞からは、もう既に終わった恋だという諦めと、君への愛しさよりも悲しみと自己嫌悪の方が遥かに大きいという僕の心境が見て取れる。
また、"傘を叩く音で届かない"という表現からも、この歌詞が単なる風景描写でないことがうかがえる。普通は雨が降っていようがいまいが(余程の過疎地域でもなければ)交差点の向こうまでは喧騒で声は届かないだろう。
だからと言って、この歌詞が主人公の頭の中だけの景色なのかというと、そうではないように思う。「ハッピーエンド」で"ポケット"がそうであったように、"雨の交差点"は現実にあった君との記憶と、主人公の頭の中にある想いを結びつける舞台装置なのだろう。

終わったのさただ君と僕の話が
エンドロールは無いあるのは痛みだけ

最初にこの曲を聴いたときはサブスクで曲名を見ずに聴いていたため、タイトルは「エンドロール」かと思っていた。それくらいエンドロールという言葉が印象的に用いられている。"君と僕の話"が終わった、つまりこの恋はもう終わったのだと諦め、それを受け入れているように見える。ではなぜエンドロールがないのか。それはこの物語が完結していないからではないか。本当は主人公はエンドロールに"君"と"僕"の名前をクレジットしたかったはずだ。しかしそれは叶わなかった。

ついに呆れられるまで直らないほど馬鹿なのに
君に嫌われた後で僕は僕を好きでいられるほど阿呆じゃなかった

ある意味back numberの曲では十八番とも言える、"どうしようもない駄目な男"の描写。ボーカルの清水氏もインタビューで語っているが、こういうどうしようもない駄目な恋愛の曲は歌っていて妙な心地よさがある。

今となればただ ありきたりなお話
言葉にはできないそう思っていたのに

もはや過去のものとなった恋愛を美化するでもなく、ありのままに受け入れる。恋は盲目というが、目が覚めてみれば一本の映画にもならないような、ありきたりなストーリーだったということか。

どうして ああ どうしてだろう
もとから形を持たないのに
ああ心が ああ繋がりが 壊れるのは

形を持たないはずなのに、"壊れた"ということだけははっきりと認識できる。それを認識させているのは"痛み"なのだろう。

君が触れたもの全部が優しく思えた
例外は僕だけもう君は見えない

君が触れたもののなかで、僕だけが最後まで優しくなれなかった。自分の弱さを、最後まで変われなかった愚かさを嘆いても、もう君はここにはいない。君がいなくなったことで、残ったのは「雨と僕」だけになった。

終わったのさただ 君と僕の話が
エンドロールは無いあるのは痛みだけ
終わったのさ ああ あるのは痛みだけ

最初にこの曲を通して聴いたとき「救いのない話だな」と思った。back numberの詞は、それが失恋であっても片思いであっても、大抵最後には"自分の想いと心中するような清々しさ"が残るのだが、この曲にはそれがなく、"あるのは痛みだけ"というどうすることもできないネガティブな終わり方のように思えた。しかし、繰り返し聴いているうちに、その印象は少しずつ変わっていった。

"形を持たない心や繋がり"が壊れてしまった後で、そして「君」がいなくなり「雨と僕」だけが残された世界で、"痛み"だけが君と僕の物語が存在したことを証明する唯一の手掛かりなのだ。痛みすらなければ、僕の心には本当に何も残らなくなってしまう。痛みはこのストーリーに残された唯一の救いなのだろう。

この曲は亀田誠治氏の編曲ということもあり、壮大で美しい映画のエンディングのような世界観を漂わせる一方で、そのストーリーは不完全で救いがなく、ただひたすらに感傷的だ。
思うに人生とは、恋愛とはそんなもんなのだろう。
誰もが物語の主人公ではあるものの、現実にはヒロインは入れ替わり立ち代わり、綺麗なエンディングなど迎える間もなく次のストーリーが否応なしに始まっていく。そんなどうすることもできない恋愛のエンディングを生々しくワンシーンで切り取った一曲。そこには感動的なエンドロールもなければ、君の名前もない。
しかし、美化するまでもなく、そのままでこれほどまでに美しい。それをこの曲のタイトル、歌詞、演奏で表現しきったback numberと亀田誠治氏の手腕には感服せざるを得ない。

皆さんも過去の恋愛を振り返ったときに「ああこれはどうしようもないな」という終わり方をして一切美化できないまま、痛みだけが微かに今も残っているというような経験はないだろうか。そして逆に、誰かの痛みとして、今も誰かの胸に少しでも自分が残っていたらいいな、と思うことはないだろうか。
大人になって別れに慣れてしまった気がしていても、きっと本質的には「冷めた大人の別れ」なんてものはなくて、そのときの熱量が、終わった後には痛みとして変換されて胸の奥にしまわれているだけなのだろう。
そんな忘れたつもりになっていた痛みを、たまには思い出して感傷に浸ってみるのも悪くはないのではないだろうか。

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