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「ray」に初音ミクが起用された理由を、その歌詞の意味とミュージックビデオから考察する

まず、大前提となる、「ray」の歌詞の意味を読み解く

初音ミクの起用について触れる前に、「ray」の歌詞でそもそも語られていくことを一つずつ解釈していきます。これは考察というよりも、単純に日本語を読み解いて、何が起こっているかを把握する段階です。

歌詞は適宜引用しますが、全文を見たい方はこちらなどでどうぞ。

ray = "光"は後ろから差している

光線、わずか、少量、熱線、放射線、輻射(ふくしや)線
https://ejje.weblio.jp/content/ray

まず第一の重要ポイント。
「光」と聞くと、前から自分を照らしていたり、将来を明るく照らしていたりという情景を直感的に思い浮かべてしまいますが、「ray」の歌詞においては、光は語り手の真後ろから差されています。

悲しい光が僕の影を
前に長く伸ばしている

この部分が決定的で、その他の部分も「光」が後ろにある前提で読むと、納得できる部分が多いです。

大丈夫だ
この光の始まりには 君がいる

この部分だけが聞こえてしまうと、"君"に向かって光を辿って歩いている歌詞のように思えてしまいますが、そうではなく、「ray」は"君"を置いて離れるように歩いている歌詞なのです。

数々の矛盾と疑問。"君"とは誰で、なぜ"別れた"のか

さて、「ray」を、"光"のはじまりにいる"君"から離れていく歌詞だと理解すると、「ray」が悲しい別れの歌であると理解できると同時に、数々の矛盾に気づくことになります。

◆"光"は敵か、味方か

悲しい光が僕の影を
前に長く伸ばしている

光はそもそも、"僕"にとって悲しいものである。

悲しい光は封じ込めて
踵すり減らしたんだ

「踵をすり減らす」は「歩く」こと。"僕"は自分の手で悲しい光を封じ込めて、歩くことを決めた。

にもかかわらず、

大丈夫だ
この光の始まりには 君がいる

光の始まりにいる君のことを、"僕"は心強く思っている。

歩いている"僕"にとって、光は悲しいもの。そうでありながら、その始まりにいる"君"のことは愛しい。

そのことは

夢だと解るその中で
君と会ってからまた行こう

からも読み取れます。

◆なぜ"お別れ"したのかわかっていない"僕"
別れは本来、本人の意志を伴うもの。しかし、この歌詞の中では

お別れしたのはもっと
前の事だったような

お別れしたのは何で
何のためだったんだろうな

と、いつ別れたのかも、なぜ別れたのかも曖昧です。

◆忘れても消えない、消えてほしくない"痛み"とは
歌詞の中に、唐突に「痛み」というキーワードが出てきます。「ray」が別れの歌である前提では、これが別れの痛みであることは想像できますが、"僕"のこの痛みに対する態度はとても微妙です。

大丈夫だ
あの痛みは 忘れたって消えやしない

このフレーズは歌詞中で唯一3回繰り返され、しかもそれぞれ1番サビ、2番サビ、大サビの締めくくりで登場します(ちなみにこの部分を除いて「ray」には歌詞をまるごと繰り返すサビは一つもありません)。つまり「ray」のメッセージにおいて、この部分が最も重要なフレーズと考えます。

「忘れたって消えない、大丈夫だ」と自分に言い聞かせるように繰り返す"痛み" ≒「別れ」とは何なのか。

◆"君"といたときは見えていた"透明な彗星"
「透明な彗星」という言葉が2回だけ登場します。

君といたときは見えた
今は見えなくなった
透明な彗星をぼんやりと
でもそれだけ探している

あの透明な彗星は
透明だから無くならない

透明な彗星が見えるとはどういうことか、それが見えなくなるとはどういうことか。

これらの疑問と矛盾を、僕は以下のように考察しています。

人生における悲しい別れ、それでいて心の支えとなる痛みとは

「ray」の歌詞にはたびたび、人生のモチーフが登場します。

いつまでどこまでなんて
正常か異常かなんて
考える暇も無いほど 歩くのは大変だ

理想で作った道を
現実が塗り替えていくよ

時々熱が出るよ
時間がある時眠るよ

晴天とはほど遠い 終わらない暗闇にも
星を思い浮かべたなら すぐ銀河の中だ

○✗△どれかなんて
皆と比べてどうかなんて
確かめる間も無い程
生きるのは最高だ

つまり「ray」における別れとは人生における何らかの別れです。これまで整理してきた疑問点にすべて当てはまる、この歌のテーマは何なのか。

単なる「人生の歌」ではなく、何かを歌っている。
死別ではなく、失恋でもない。

僕は「ray」が就職活動、そして新卒社員の歌ではないかと思っています。
そして「ray」で謳われる数々の悲しみは、社会の一員として歩き出す際に伴う、「夢」の挫折に起因していると考えます。

「痛み」だけが"僕"のアイデンティティ

その夢はスポーツに関わるものかもしれないし、クリエイティブなものかもしれない。もしかしたら「第一志望企業に落ちたあとの就活」も、その射程に入っているかもしれません。

「ray」を就活と夢の挫折の歌と考えて歌詞の意味を考察していくと、これまで列挙してきた謎は以下のように理解できます。

悲しい光への"僕"の曖昧な態度 = 諦めなければならない夢への思い

大丈夫だこの光の始まりには 君がいる

悲しい光は封じ込めて踵すり減らしたんだ

自分にとって好ましいものであるはずの、しかし悲しい「光」を、自ら封じ込めて、踵をすり減らし歩くことを選ぶとは、夢を諦めて、いち社会人として歩むことにほかなりません。

"お別れ"について記憶が不確かな"僕" = 薄々感じていた挫折

お別れしたのはもっと前の事だったような

お別れしたのは何で何のためだったんだろうな

「夢の挫折」とは、ある瞬間にスイッチが切り替わるようにできることではなく、「だめかもな」「だめだよな」「そうだよな」と徐々に訪れるものなのだと思います。
あるいは、就職活動という現実から逃避するために、本心では「実現不可能」とわかっている夢を、諦めていないフリをすることもあるかもしれません。
だから、実は夢を諦めていたのは「もっと前の事だったような」気がします。

また、なぜ夢を諦めなければならなかったのか、なんのために諦めなければならなかったのか、これは就職して数ヶ月〜数年経った人の目線として、いち社会人として、自分の人生を振り返る時のモヤモヤとした思いを反映しているように見えます。

透明な彗星の正体 = 生きていく理由

君といたときは見えた
今は見えなくなった
透明な彗星をぼんやりと
でもそれだけ探している

ray = 夢 = 君と捉えると、「夢を追っていたときは見えたけど、今は見えなくなってしまったもの。でも、今もぼんやり見つけたいもの」ということになり、それには「生きていく理由や意味」といったモノが違和感なく当てはまってきます。

忘れても消えてほしくない痛み = "僕"のアイデンティティを保証するもの

大丈夫だ
あの痛みは
忘れたって消えやしない

そして、いち社会人 ≒ 社会の歯車となった"僕"にとって、かつて追っていた夢は、諦めてしまったものであっても、僕が僕であるアイデンティティにほかなりません。
「大丈夫だ」と自分に言い聞かせるように3回繰り返すこの歌詞は、社会人として一生懸命働くなかで、夢の挫折の痛みさえ忘れてしまったとしても、その事実が消えないことを謳っているのです。
とくに2番サビのこのフレーズが決定的です。

あまり泣かなくなっても
靴を新しくしても
大丈夫だ
あの痛みは
忘れたって消えやしない

これこそが「ray」のメッセージであり、この曲は「夢の挫折」へのエールであると僕は思います。

「ray」は「夢の挫折」と「就活・新社会人」の歌

以上が、僕が「ray」のテーマは「夢の挫折」と「就活・新社会人」であると考えていることの説明です。

以下ではこの前提を下敷きにして「ray」のメッセージを下支えする「不在による存在の証明」について書いていきます。これは、「ray」の楽曲・ミュージックビデオに初音ミクが起用された理由に、直接かかわってきます。

「ray」の歌詞でたびたび用いられる「不在による存在証明」

寂しくなんかなかったよ
ちゃんと寂しくなれたから

「ray」の歌詞を初めて聞いたとき、僕にはこのフレーズが強く印象に残って「どういうことなんだろうな」と考えさせられました。でも、素直にこの歌詞を受け取ってみたとき、なんとなく意味がわかったような気がしました。

つまり「普段から寂しいとき、寂しくなることはできない」ということ。
逆に言えば、「寂しくなる」という状態の変化を実感するためには、「普段は寂しくない」必要があるということです。

この「"無い"ことを実感することにより、逆に"有った"ことが浮き彫りになる」という表現は、「ray」の歌詞全体の世界観を作っていると考えます。

挫折してなお、存在感を示す光

「ray」そのものが、挫折し道半ばで置いてきた夢が放つ「光」を歌っていることは前半に書いた通りです。そして、悲しみをともなうその光こそが"僕"のアイデンティティである、それが繰り返される「大丈夫だ〜」の歌詞に込められている意味でした。

ここでは夢が失われたことに「痛み」が伴っていますが、この部分もまた、失ったものが自分が自分であることの証明として使われています。

逆に言えば、「もともと見えなければ、失わない」

そして、この「存在しないことが存在したことの証明になる」表現の逆説的に使われているのが、次の部分です。

あの透明な彗星は
透明だから無くならない

「存在を実感していないからこそ、失うこともない」
彗星とは「生きていく理由」でした。"僕"は夢を挫折することにより生きていく理由が見えなくなってしまっています。しかしよく見ると、歌詞の最初から最後まで彗星は「透明」なままで、夢を置いてくる前も、はっきり見えていたのかは判然としません。

これは一見、生きていく理由なんてはじめから無かった、とネガティブにとらえてしまいそうですが、前後の歌詞を見るとそうではありません。

お別れした事は
出会ったことと繋がっている
あの透明な彗星は
透明だから無くならない

○✗△どれかなんて
皆と比べてどうかなんて
確かめる間も無い程
生きるのは最高だ

この曲のクライマックスにあたる部分で「透明だから無くならない」ことは強調されており、その前段には「お別れした事は出会ったことと繋がっている」という、「新しい夢」を思わせるメッセージが配置されています。

そして、「○✗△どれかなんて」という"皆"と自分を比べるヒマなんてない、というサビに入っていく。

「夢」は置いてきたけれど、それに代わる新しいものが見つかって「生きる理由」になるし、夢を叶えられた、叶えられなかったにかかわらず、それは存在し続ける。

「夢の挫折」を歌う曲でありながら、あくまでこの曲は夢破れた就活生や新社会人へのエールであり、このような極めてポジティブな意味で、「ray」の歌詞は締めくくられているのだと僕は思います。

これで、「ray」の歌詞が意味しているところ、その考察は終わりです。最後に本記事の目的である「初音ミクが起用された理由」に触れていきます。

feat.初音ミクの「ray」と、バンプのみで歌われた「ray」

YouTubeのBUMP OF CHICKEN公式チャンネルには、2パターンの「ray」がアップロードされています。feat.初音ミクのものと、BUMP OF CHICKEN単独のものです。

前者が単独のもので、後者がfeat.初音ミクのもの。
どちらも似たミュージックビデオですが、feat.初音ミクでは背後の円形のスクリーンに、初音ミクの姿が映し出され、メンバーと共に歌唱し、踊っています。

そして、このMVを比べてみる上で、重要な点が2つあります。

1つ目は、バンプ単独MVに、単に初音ミク映像を合成したものが、feat.初音ミクMVになっているわけ"ではない"ということ。もちろん全体構成は同じですが、随所でカメラワークやソロの切り取り方が異なっており、「単なる複製ではない」ことがわかります。

2つ目は開始10秒のシーン。ボーカルの藤原さんと初音ミクがハイタッチする様子が描かれていますが、バンプ単独の映像でも、藤原さんは虚空に向かってハイタッチをしています。

2つのMVで単なる映像の使いまわしではないにもかかわらず、相手のいないハイタッチが描かれる。つまり、これはバンプ単独MVにあえて残されたシーンであるということになります。これもまた、不在による存在の浮き彫りの一端です。
さらにいえば、この2つのMVは同時公開ではなく、バンプ単独版の方が約1週間だけ早く公開されています。公開当初、視聴者は冒頭で藤原さんが何をしているのか、映像からは読み取れなかったはずです。

初音ミクは「夢」そのものとしてMVにいる

さて、これまでの内容をまとめてみることで、「ray」に初音ミクが起用された理由が自ずと見えてきます。

①:「ray」の歌詞は「夢の挫折」へのエールである
②:(夢の)不在を認識することにより、逆に存在が実感できるという世界観
③:初音ミクもまた、2通りのMVの同時公開により「不在」と「存在」が強調されている

これらを総合して考えたとき現れてくるのが、「初音ミク」は「夢」そのものとしてMV内にいるという解釈です。

先に示した3つの考えに加え「あの透明な彗星は、透明だからなくならない」という歌詞を思い出すと、この曲に初音ミクが起用された理由、そしてわざわざfeat.初音ミク版とバンプ版を両方公開した理由が、初音ミクに「夢」を象徴させることにあったのだと行き着きます。

その視点でfeat.初音ミク版のMVを見たとき、初音ミクが、バンプメンバーの横ではなく後ろで歌い踊っていることや、MVの最後で光の粒子になって消えてしまうことも印象的に感じられます。

そもそも夢を託される「初音ミク」という存在

いうまでもなく、初音ミクは「音楽」を夢とする人々が夢を託す存在でもあり、その波はいまや音楽のみならず、イラストやゲームにも広がっています。

そんな「ray」において初音ミクが夢を託される存在として選ばれたのは、これ以上ない配役ではないでしょうか。

もちろん、この曲にまつわる企画の最初は、BUMP OF CHICKENと初音ミクのコラボありきだったかもしれません。しかしそうであればなおさら、藤原さんがコラボ楽曲として「ray」を書いた理由の中に、初音ミクの存在そのものを意味づけする意図があったとしても、不自然ではないのではないでしょうか。

夢の挫折を歌う「ray」の中で、見えなくなっても消えないというエールを表すシンボルとして、初音ミクは起用された。これが僕の考えです。


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