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「禅的マネジメント」を飲み込むように読み、自分対話する方法

よい本というのは、本と自分を行きつ戻りつしながら、内省が進んでいくものではないかと思う。

するする読める本もいいけど、
「あー、そうだよねー」と、自論が立ち上がったり、「そういえば」とそこからどんどこと思考が広がってなかなか読み進まない、というのがよい本ではないかと思う。

「よい師というのは、自分の得たかぎりの知識体系を教える人ではなく、自分の求めて求めあぐんでいるところを明らかにして、この道を究めようという、迷いへの誘惑者である」
亀井勝一郎の「愛の無常について」を高校生で読んで、うなったことをずーっと覚えてる。

それで、髙橋俊介さんや野中郁次郎先生や、
西條さんや、小阪先生やら、西村さんも本を読んで「これは!」と思うと追っかけ推し活をしてきたわけです。

「禅的マネジメント」の小森谷さんは、本からじゃなくてイベントで会った。
お話されることや、ワークショップの内容がわかりみが強くて本を読んだらビンゴだった。そうそう、とうなずきすぎて全然進まない。
そんな時は書き写していく。付箋を貼ったり、マーカーを引くより、文章をそのまま写していく方が自分にインストール出来るから、ゴクゴク飲み込むように書いていく。

自分の字で書いた方が、読みやすくてその時の空気も閉じ込められる。

今回は、左のページに本の内容を
右のページにそれを読んでの考えや感じたこと、自論を書いていくことにする

そのために、クラッシックインクというのを買ってみた。
インクは青系が多いんだけど、これはカシスブラック。酸化により黒っぽく変化していくらしい。ちょうど万年筆がplatinaのセルロイドの金魚だから雰囲気にも合う。ちなみにプラチナの万年筆は、めっちゃ日本語がきれいに書けるのと、しばらく使ってなくてもすぐに書けるので素晴らしい。

platinaのセルロイド万年筆「金魚」
見開きで見るとなんかいい

こうやって、書き写してから右のページを埋めていくと、自分と本とで内省と対話が出来る感覚がある。

この本の中には、ワークの部分もあるのだが私にとっては、そこじゃないところ、さまざまに引用された文章などが心に響く。

今年、吉野の修行の最後に書いた文字が「共」という字だった。
共に笑い、共に泣く、
いのちそのものが共鳴、共振すること

私にとって世界とどうつながっていくのかは、自分を超えていくことで、そのものになっていく景色でもあって
ただ、そこに無心でいる磁場としての存在。

「たまたま」とか「偶然」とか、
そんなことある?というような天のはからいが起こること

小さな自己を認め、大いなる存在に身をゆだねること
なんでも自分で出来ると思ってやらずに、ゆだねた時にもっと大きなものが動く

何もしないでそこにいることで、大きなエネルギーが動くこと

そんなことを右のページに綴っていこう。
そうすると、一冊の本が自分を導いてくれるのではないかと思う。

哲学に出会った高校生の時の私が、よろこんでるのを感じる。
「迷いへの誘惑者」として、よき師のように本につきあっていく。

2024年2月には、小森谷さんのリトリートに行く。
その時に、こんな話が出来たらいいと思うんだ。



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