見出し画像

「バスケじゃない」と思えば笛を吹く

むちゃくちゃプライベートの話なんですが、趣味でバスケをしています。
小学校4年から高校までの8年、社会人になってからの8年のトータル16年ほどやっています。途中、膝の手術をしたりコロナで練習できなかったりとありましたが、ずっとバスケはプライベートの予定で優先している事の1つです。

バスケを続けていくなかで、今と私の現役の頃と比べるとルールがとても変わっているのが気になっていて、ミニバスをしている娘の勉強も兼ねて一緒にeラーニングで受けれる審判の初級の講習を受けて、ついでにライセンスも取った所、なんと審判をしてくれないかと声がかかり5月に審判デビューする事になりました。
プレーヤーとしては16年やっていたものの審判は未経験です。
本番までに練習試合に参加したり、日ごろのサークルの練習を審判練習の場にしたり、なんとか本番を成功させたいと思っています。

審判デビューが決まる前から社会人サークルのバスケの大会に出る予定があって、審判をする事が決まったあとに「審判がどんな風にしてるか実際見てみよう」と思い、当日会場にいくと明らかにライセンスを持った審判さんがいたので、タイミングを見て声をかけました。
「審判デビュー予定があるんですがどこに注意したらいいですか?」と質問すると、めちゃくちゃ親身にアドバイスをくれました。
心の中では「師匠」と呼んでいます。
その師匠が言っていた言葉で一番胸に響いたのが
「これはバスケットじゃない、と思ったら笛を吹いたらいいよ」
という言葉でした。
とても抽象的だけど、意味が詰まりまくってる言葉に感じました。

これは自分の人生でもお部屋にも応用できる言葉だと思います。
何かの判断をする時に「こうあるべき」とか「こうすべき」とか「こうしたい」とか「こうなりたい」という考えや気持ちをベースにジャッジをしてもいいんですが、「こういう事はしない」「これは違う」など「やらない事ベース」のジャッジも大切だな、と思います。

「いろんな事にチャレンジする事は大切」だけど、「自分の信念を折ってでもやってみる」とか「大きいダメージを受ける事わかってるけどやる」は違う気がします。
直感的な言語化できない「いやだな」という感情だったとしても「これは違う」とハッキリ強く思ったのであれば笛を吹いて、周りの人みんなに「これは違うんだ!」と知らせていいんです。

同じ試合でも、違う目線で見る人がジャッジに不服を言う時もあります。
でも試合のジャッジを下すのは審判の役割です。
そして自分の人生の審判は自分です。人に委ねていいものではありません。
私は16年間バスケが好きで楽しんできました。試合でジャッジをする時、その経験をちゃんと信頼しようと思います。
16年よりもっともっと長い時間、一人暮らしの自分の部屋で、家族と過ごす部屋で、どうしたら楽しく毎日を送れるか考えてきました。
コーチングやお部屋相談をするときは、その経験を自信を持って信頼しようと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?