見出し画像

カリブ海沿いを走る 南北アメリカ自転車縦断 コスタリカ(3)

2月27日、エレディアを出発。32号線は最初はずっと登り。

32号線はブラウリオ・カリージョ国立公園へ通じている。

公園内の景色は「いかにも山の奥深く」という感じで素晴らしかったのだが、大型トラックを含めて交通量は意外に多いのと、道がガタガタのデコボコなので走るためにはずっと正面の道路を見てないといけない。景色を楽しむ余裕がなかったのが残念。

途中、2つの川が合流するところに橋が架かっていた。一方は茶色の濁流、もう一方は白色で色が違うのが面白い。どちらの川も水量がものすごく、ゴーッと迫力の音を立てている。迫力のある渓谷美。これを橋の上から眺めることができた。ちなみに川が合流した先は茶色だった。

湿度が非常に高く、手が汗でべたつく。空気が体全体にまとわりついている。手を握ったら空気中の水分を掴みとれそう。

峠を越えてからは長い長いダウンヒル。雨林を抜けてからは、低地をアップダウンを繰り返しながらひたすら東へ向かう。周りは牧場かバナナ園が多い。

この日泊まろうと思っていたシキレスには午後1時には着いた。この日は日曜だったが、選挙の日で、学校が投票所になっていて人だかりがしていた。シキレスは海に面しているわけではないが、カリブ海側の町のため黒人の割合が高い。

すでに100kmほど走っていたが、もう60㎞先の港町、リモンまで行ってしまうことにする。

鄙びた道だろうと思っていたが、リモン港に向かうのであろう大型トラックが意外と多く、走っていてそこまで楽しい道ではなかったが、山から流れてカリブ海に注ぐ川をいくつも渡ったのは良かった。

リモンまであと10㎞ほどのところで炭酸飲料を買うために店に入る。小さな女の子が店番をしていたのだが、この子が目がクリっとして笑顔がとても可愛かった。名前はメアリー、年齢は10歳。彼女は非常にフレンドリーで、4つ持っているキャンディーのうちの1つを私にくれようとしたが、10歳の女の子からものをもらうのもどうかと思い、遠慮しておいた。

、、、しかし子供はこんなにスラリとしているのに、おばさん方は皆が皆あんなにも体格が良すぎ。メアリーも20年後は、、、と思ってみたり。

リモンの最初の印象はあまり良いものではなかった。全体的に汚いし埃っぽい。日曜日のため、大半の店は閉まっているが、飲み屋は開いていて、よっぱらいの男ばかりいる。町にも黒人のしかも酔っ払いのような人が多い。(もっとも、酔っ払いが多いのは、実はこの日サッカーのナショナルチームの試合があったからだった。)

夜、とにかく暑い。宿の部屋の扇風機をつけっぱなしで寝たら鼻水が止まらなくなった。

※※※※※

メキシコや中米の国々で面白いのは、主要都市はほぼ全て内陸にあるという点だ。これらほとんどの国の公用語はスペイン語であることからも、当然本国スペインとの結びつきは(少なくともかつては)強かったと思うのだが、カリブ海側に大都市は非常に少ない。コスタリカの首都サンホセは標高1,170mの場所にあるし、世界有数の大都会メキシコシティーは何と標高2,240mである。

スペイン人は金や銀などの鉱物資源を何よりも求めていたので、それで内陸に都市が建設されたらしい。港を中心に発展した都市が多い日本と違うのが面白い。

実際、リモンには大規模な港があったが、街自体は非常に小さかった。

リモンを出てからは途端に交通量が減り、快適なサイクリングになった。左手にずっとカリブ海。人の手が入っているような土地は少なく、たまにバナナ園があるくらいであとは雑木林。雑木林といってもそこは熱帯なので、日本のそれとはかなり趣が違う。ヤシの木が多い。

1時間ほど走って、ビーチのヤシの木の木陰で休憩。波が非常に穏やかなので、水が透き通っている。カリブ海ってなんでこんなにきれいなのか。

脇道にそれて、ビーチリゾートの町、ビエホ・デ・タラマンカへ行く。私の持っているガイドブックに、ビエホ・デ・タラマンカからマンサニージョまでのサイクリングをお勧めしていたので、明日走ってみるつもり。

ビエホ・デ・タラマンカは小さな村だが西洋人観光客で一杯だった。ホテルにチェックインして昼食後、歩いてすぐのビーチへ。水がきれいなので、街中のビーチでも十分に楽しめた。

※※※※※

マンサニージョまで、海岸線をサイクリングしている途中で、1台の車が私の前で停まり、西洋人に「ニホンジンデスカ」と声を掛けられた。そこから日本語で会話が始まる。彼はこんなところに日本人がいることにまず驚き、その日本人がアラスカから自転車でここまで来たということに更に驚いていた。

すぐ近くの食堂で飲み物を奢ってくれることになり、一緒に行く。

彼はケンという名前のドイツ人で、かつて日本の楽器会社で働いて、その後独立して自分の店を持ったらしい。しかしその後、全てを清算してコスタリカにやって来て、土地を買い、半ば自給自足の生活をしつつ、プラスアルファの収入を得るためにこのあたりのガイドの仕事もしている。様々な環境保護の活動にも関わっているらしい。

彼に明日の一日ツアーに誘われる。明日は他に参加するかもしれないアメリカ人グループがいるらしく、その人たちが行くなら自分も加えてもらうことにする。本来35ドルのところを20ドルでよいとのこと。本当は明日には次の国パナマに入る予定だったが、こういうハプニングは歓迎だし、教育も兼ねたエコツアーを成功させる、という夢があるケンにお金を使うことはある意味人助けにもなるだろう。

、、、結局アメリカ人グループはキャンセルになってしまったのだが、それでもいくつかのスポットに連れて行ってくれることになった。

次の日、まずはケンの奥さんの実家があるブリブリ(←名前が面白い)まで、自転車で行く。奥さんはコスタリカの人だった。ケンは37歳だが、奥さんはまだ21歳。それで3歳の子供がいる。奥さんの実家に自転車や荷物を置かせてもらい、そこからケンの車に乗り込んで山の中に分け入る。

ジャングルの中をハイキング。途中4回徒渉しないといけないところがあって、最初は長靴を履いているケンにおんぶしてもらった。しかし大の大人がおんぶしてもらうというのは非常に恥ずかしい。しかも結局滑って水の中に入ってしまいびしょ濡れになったので、その後は靴のままジャブジャブと川に突入した。冷たい水が気持ちいい。

山の中に大きな滝があった。すでに濡れていたこともあり、思い切ってパンツ1枚になり滝壺で泳いでみる。水が冷たくて気持ちよい。滝に打たれてみたが、すごい圧力で弾き飛ばされてしまった。

帰りにブルーバタフライを目撃する。こんなに間近で見たのはケンも初めてだそうで、私よりも彼の方が興奮していたかも(笑)。羽の裏側は灰色っぽくてどうということはない(そしてチョウがとまっているときは羽の裏側しか見えないので全然大したことない)のだが、飛んだ時に見える羽の表側は、こんなにも美しい青がこの世に存在するのか、というくらいの色だった。

その後、原住民の保護区に行って、そこで農業をしているおっさんの話を聞く。いろいろ話をしてくれたのだが、その間サンドフライ(吸血性の小ハエ)の攻撃を両足にくらい、痒くて痒くてたまらなくなる。(その後一週間近く痒みに悩まされた。)

その後奥さんの実家に戻り、お茶をしてから午後3時に35km先の国境に向けて出発。ケンには15ドルと余っていた現地通貨3,000コロンを渡した。これで20ドル以上になる。

国境では出国者は私だけで待ち時間ゼロで出国スタンプを押してもらう。それから橋を渡ってパナマ側へ。この橋は元々は鉄道用の橋で、そこに一応車も通れるように両端に木の板が敷かれているだけだった。もちろん手すりのようなものはなく、バランスを崩して転んだら川へ落ちるところだが、無事渡ることができた。

パナマ側もスムーズに手続きが済んだ。ガイドブックに書いてあった「コスタリカ出国に25ドル、パナマ入国に5ドル」は結局どちらも請求されなかった。(多分、あまりにもマイナールートだったからだと思う。)

コスタリカとパナマの間には時差が1時間ある。4時半だったのを5時半に直して出発。

しかしパナマ側の道路は完全未舗装、石ころだらけで最悪の道。12㎞先のチャングイノラまで1時間以上かかった。おまけに車やトラックが通過すると盛大に砂埃を巻き上げていくので全身砂まみれ。そのたびにパナマとパナマ人に対してありとあらゆる悪口を叫ぶ(笑)。

チャングイノラの宿にチェックイン。そして速攻シャワー(笑)。

宿代は1泊11ドルだった。パナマはエルサルバドル同様、自国の紙幣をもたずアメリカドルが流通している。(パナマ独自のコインはある。)

これでいよいよ中米も最後の国となった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?